御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 34 広く題目肝心を明示
第33章 広く題目肝心を明示
【疑って云はく、二十八品の中に何れか肝心なる。】
そうであるならば、二十八品の中でいずれが一番大事なのですか。
【答へて云はく、或は云はく、品々〔ほんぼん〕皆事に随ひて肝心なり。】
それに答えると、ある人は、二十八品すべてが大事であると言っています。
【或は云はく、方便品・寿量品肝心なり。】
また、ある人は、方便品・寿量品が最も大事であると言い、
【或は云はく、方便品肝心なり。或は云はく、寿量品肝心なり。】
ある人は、方便品と言い、ある人は、寿量品が最も大事であると言っています。
【或は云はく、開・示・悟・入肝心なり。】
また、ある人は、開示悟入が最も大事であると言い、
【或は云はく、実相肝心なり。】
ある人は、実相が最も大事であると言っています。
【問うて云はく、汝が心如何。】
それでは、あなたは、どう思うのですか。
【答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。】
それは、南無妙法蓮華経が最も大事であるのです。
【其の証如何。答へて云はく、】
その証拠はあるのですか。それに答えると、
【阿難〔あなん〕・文殊〔もんじゅ〕等、如是我聞〔にょぜがもん〕等云云。】
阿難、文殊などが如是我聞と言っているからです。
【問うて曰〔いわ〕く、心如何。】
それは、どういう意味なのですか。
【答へて云はく、阿難と文殊とは八年が間此の法華経の無量の義を】
それに答えると、阿難と文殊とは、八年の間、この法華経の無量の義を
【一句一偈〔げ〕一字も残さず聴聞してありしが、】
一句一偈一字も残さず聞いていましたが、
【仏の滅後に結集〔けつじゅう〕の時】
仏の滅後に仏典を結集した時、
【九百九十九人の阿羅漢〔あらかん〕が筆を染めてありしに、】
九百九十九人の阿羅漢が、まず筆を染めて、
【妙法蓮華経とかゝせて次に如是我聞と唱へさせ給ひしは、】
妙法蓮華経と書いて、その後に如是我聞と唱えたのは、
【妙法蓮華経の五字は】
妙法蓮華経の五字こそは、
【一部八巻二十八品の肝心にあらずや。】
一部、八巻、二十八品で最も大事であった証拠ではないでしょうか。
【されば過去の灯明〔とうみょう〕仏の時より】
そうであればこそ、過去の日月灯明仏の時より
【法華経を講ぜし光宅寺〔こうたくじ〕の法雲〔ほううん〕法師は】
法華経を講義している光宅寺の法雲法師は、
【「如是とは将〔まさ〕に所聞〔しょもん〕を伝へんとして】
「如是とは、まさに以前に聞いた法門を伝えようとして、
【前題〔ぜんだい〕に一部を挙ぐるなり」等云云。】
題名に法華経のすべての意味を持たせたのである」と言っているのです。
【霊山〔りょうぜん〕にまのあ〔親〕たりきこしめしてありし】
霊山で薬王菩薩として、目〔ま〕の当〔あ〕たりに法華経を聞いた
【天台大師は「如是とは所聞の法体〔ほったい〕なり」等云云。】
天台大師は「如是とは、所聞の法体である」と言っています。
【章安大師の云はく、記者釈して曰く「蓋〔けだ〕し序王〔じょおう〕とは】
章安大師は「確かに天台大師が書いた法華玄義の序文には、
【経の玄意〔げんい〕を叙〔じょ〕し】
法華経の玄意が記されており、
【玄意は文の心を述す」等云云。】
その玄意とは、文の心を書いている。」と述べています。
【此の釈に文心とは題目は法華経の心なり。】
この文章の中の「文の心」とは「題目は、法華経の心である」と云う意味なのです。
【妙楽〔みょうらく〕大師云はく「一代の教法を収むること】
妙楽大師は「釈迦牟尼仏一代の教法を収めるとは、
【法華の文心より出づ」等云云。】
法華の文の心より出た事である」と云っています。
【天竺〔てんじく〕は七十箇国なり、総名は月氏国。】
インドは、七十カ国であり、総名は、月氏〔がっし〕国と言います。
【日本は六十箇国、総名は日本国。】
日本は、六十カ国、総名は日本国と言います。
【月氏の名の内に七十箇国乃至人畜珍宝みなあり。】
その月氏の名前の中に七十カ国の人畜珍宝がことごとく入っているのです。
【日本と申す名の内に六十六箇国あり。】
また日本と言う名前の中に六十六カ国が入っているのです。
【出羽〔でわ〕の羽〔はね〕も奥州の金〔こがね〕も】
出羽の鷲の羽も奥州で取れる金も
【乃至〔ないし〕国の珍宝人畜乃至寺塔も神社も、】
国の珍宝人畜、寺も塔も神社も、
【みな日本と申す二字の名の内に摂〔おさ〕まれり。】
すべて日本と言う二字の名前の中におさまっているのです。
【天眼〔てんげん〕をもっては、日本と申す二字を見て】
天眼をもって見れば、日本と言う二字を見て
【六十六箇国乃至人畜等をみるべし。】
六十六カ国、その中の人間や家畜など、すべてと見る事が出来るのです。
【法眼〔ほうげん〕をもっては、人畜等の此〔ここ〕に死し】
法眼をもって見れば、人間や家畜など、すべてが、ここで死に、
【彼〔かしこ〕に生ずるをもみるべし。】
かしこで生じていると見る事が出来るのです。
【譬へば人の声をきいて体をしり、跡をみて大小をしる。】
例えば、声を聴いてその人の姿を知り、足跡を見て大小を予測し、
【蓮〔はちす〕をみて池の大小を計り、】
蓮を見て池の深さを計り、
【雨をみて竜の分斉〔ぶんざい〕をかんが〔勘〕う。】
雨を見て雲の様子を考えるのです。
【これはみな一に一切の有ることわりなり。】
これは、みんな一つにすべてが備わる事を示しているのです。
【阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども、】
しかし、阿含経の題目には、すべてが有るようだけれども、
【但小釈迦一仏ありて他仏なし。】
ただ小釈迦の一仏のみ有って他の仏はいないのです。
【華厳経・観経・大日経等には又一切有るやうなれども、】
華厳経、観経、大日経にもまた、すべてが有るようだけれども、
【二乗を仏になすやうと久遠実成〔くおんじつじょう〕の釈迦仏なし。】
二乗を仏にする事と久遠実成の釈迦牟尼仏はいないのです。
【例せば華さいて菓〔このみ〕ならず、雷〔いかずち〕なって雨ふらず、】
例えば、花が咲いても菓がならず、雷が鳴っても雨は降らず、
【鼓〔つづみ〕あ〔有〕て音なし、眼あて物をみず、女人あて子をうまず、】
鼓が有っても音がせず、眼があっても物が見えず、女人がいても子が生まれず、
【人あて命なし又神〔たましい〕なし。】
人がいても命がなく魂がないようなものなのです。
【大日の真言・薬師の真言・阿弥陀の真言・観音の真言等又かくのごとし。】
大日の真言、薬師の真言、阿弥陀の真言、観音の真言も同じようなものなのです。
【彼の経々にしては大王・須弥山〔しゅみせん〕・】
このような経文は、大王や須弥山、
【日月・良薬〔ろうやく〕・如意珠・利剣等のやうなれども、】
日月、良薬、如意珠、利剣などのようであるけれども、
【法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず】
法華経の題目に対すれば、雲泥の優劣があるのみならず、
【皆各々当体の】
法華経がなければ、みんな、それぞれが存在する事
【自用〔じゆう〕を失ふ。例せば衆星の光の一つの日輪にうば〔奪〕はれ、】
自体の価値を失ってしまうのです。例えば、多くの星の光も一つの太陽に奪われ、
【諸の鉄の一つの磁石に値〔あ〕ふて利精のつ〔尽〕き、】
多くの砂鉄も一つの磁石によって集められてしまい、
【大剣の小火に値ひて用〔ゆう〕を失ひ、】
大剣も小さな火によって切れ味を失ひ、
【牛乳・驢乳〔ろにゅう〕等の師子王の乳に値ひて水となり、】
どんな牛乳も腐れば飲めなくなり、
【衆狐〔しゅこ〕が術、一犬に値ひて失ひ、】
狐が秘術を使って人を騙しても犬がいるとその能力を失い、
【狗犬〔くけん〕が小虎に値ひて色を変ずるがごとし。】
犬が幼い虎に会って怯えてしまうようなものなのです。
【南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の用も、】
南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の意味も、
【南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も、一切の諸仏諸経諸菩薩の用も、】
南無大日真言の意味も、観世音菩薩の意味も、一切の諸仏諸経諸菩薩の意味も、
【皆悉く妙法蓮華経の用に失はる。】
みんな、ことごとく妙法蓮華経の意味によって、その意味が失なわれるのです。
【彼の経々は妙法蓮華経の用を借らずば、】
これらの経文は、妙法蓮華経の意味を借りなければ、
【皆いたづ〔徒〕らもの〔物〕なるべし。】
すべて、なんら意味のないものとなるのです。
【当時眼前のことはり〔道理〕なり。】
それは、この時代にあっては当然の道理なのです。
【日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば、】
日蓮が南無妙法蓮華経と唱え始めれば、
【南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひ〔干〕るがごとく、】
南無阿弥陀仏の意味は、月の欠けるように、また潮が引くように、
【秋冬の草のか〔枯〕るゝがごとく、】
秋冬の草が枯れるように、
【氷の日天にと〔融〕くるがごとくなりゆくをみよ。】
氷が太陽の光でとけるように、衰えていく様を見ていなさい。