御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 15 慈覚の真言転落
第14章 慈覚の真言転落
【慈覚大師は去ぬる承和五年に御入唐〔にっとう〕、】
慈覚大師は、去る承和5年に中国の唐に入って、
【漢土にして十年が間、天台・真言の二宗をならう。】
そこに十年の間、留学して天台と真言の二つの宗派を学びました。
【法華・大日経の勝劣を習ひしに、】
法華経と大日経の優劣について
【法全〔はっせん〕・元政〔げんせい〕等の八人の真言師には、】
法全や元政などの八人の真言師に尋ねたところ、
【法華経と大日経は】
法華経と大日経とでは、
【理同事勝等云云。】
理論は同じであるけれど事実の上においては、真言が優れていると言われたのです。
【天台宗の志遠〔しおん〕・広修〔こうしゅ〕・】
また、天台宗の志遠や広修、
【維□〔ゆいけん〕等に習ひしには、大日経は方等部の】
維□などに尋ねると、大日経は、釈迦一代の説教の中で第三の方等部の部類で
【摂〔しょう〕等云云。】
法華経に劣ると言われたのです。
【同じき承和十三年九月十日に御帰朝、】
こうやって同じく承和13年9月10日に日本に帰って、
【嘉祥元年六月十四日に宣旨〔せんじ〕下る。】
嘉祥元年6月14日に真言灌頂〔かんちょう〕の天皇の命令が出たのです。
【法華・大日経等の勝劣は、漢土にして】
法華経と大日経の優劣について中国に行ったものの
【し〔知〕りがたかりけるかのゆへに、金剛頂経の疏〔しょ〕七巻、】
それが未だにわからずに、金剛頂経の疏七巻、
【蘇悉地〔そしっじ〕経の疏七巻、已上十四巻。】
蘇悉地経の疏七巻の十四巻を書いて、それを天皇に奏上〔そうじょう〕したのです。
【此の疏の心は、大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と、】
その疏の意味するところは、大日経、金剛頂経、蘇悉地経の意義と、
【法華経の義は、其の所詮の理は一同なれども、】
法華経の意義は、理論は、同じであるが、
【事相の印と真言とは、真言の三部経すぐれたりと云云。】
事実上の姿である印と真言において、真言の三部経の方が優れている事なのです。
【此は偏〔ひとえ〕に善無畏・金剛智・不空の造りたる】
これは、ひとえに善無畏、金剛智、不空三蔵の言っていた事であり、
【大日経の疏の心のごとし。】
大日経の疏の意味するところだったのです。
【然れども、我が心に猶〔なお〕不審やのこりけん。】
しかしながら、慈覚大師も心になお不審が残っていたのか、
【又心にはと〔解〕けてんけれども、人の不審をは〔晴〕らさんとやをぼしけん。】
また心では、そのように決心していたけれども、他人の不審を晴らそうとしたのか、
【此の十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて、】
この十四巻の解釈書を本尊の前に置いて、
【御祈請〔きしょう〕ありき。】
どちらが優れているか教えて欲しいと祈祷したのです。
【かくは造りて候へども仏意計りがたし。】
このように十四巻の解釈書を作ったけれども仏の心は、理解しがたいと言うのです。
【大日の三部やすぐれたる、法華経の三部やまされると御祈念有りしかば、】
大日経が優れているのか法華経が優れているのかと必死に祈念していると、
【五日と申す五更〔ごこう〕に忽〔たちま〕ちに夢想あり。】
五日後の午前四時頃に夢を見たのです。
【青天に大日輪か〔懸〕ゝり給へり。】
それは、青い空に大きな太陽があって
【矢をもてこれを射ければ、矢飛んで天〔そら〕にのぼり、日輪の中に立ちぬ。】
弓矢でそれを射ると矢は空を飛んで太陽に突き刺さったと言うのです。
【日輪動転してすでに地に落ちんとすとをも〔思〕ひて、】
そしてその太陽がまさに地面に落ちようとする時に
【う〔打〕ちさ〔覚〕めぬ。悦んで云はく、「我に吉夢あり。】
夢から覚めたのでした。それによって「良い夢を見た。
【法華経に真言勝れたりと造りつるふみ〔文〕は】
法華経よりも真言が優れていると云う解釈書が、
【仏意に叶ひけり」と悦ばせ給ひて、】
ようやく仏の意志にかなっている事がわかった」と喜んで、
【宣旨を申し下して日本国に弘通あり。】
天皇の許可をもらい、それが日本中に広がったのでした。
【而も宣旨の心に云はく「遂に知んぬ、天台の止観〔しかん〕と】
しかし、その許可の言葉の意味するところは「天台の摩訶止観と
【真言の法義とは理冥〔みょう〕に符〔あ〕へり」等云云。】
真言の法の意義は、理論においては符合する」と言うものであり、
【祈請のごときんば、大日経に法華経は劣なるやうなり。】
慈覚大師の言っている意味は、大日経に法華経は劣ると言っているのです。
【宣旨を申し下すには法華経と大日経とは同じ等云云。】
しかし、天皇の許可は、法華経と大日経は同じであると言っているのです。