御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 19 法華経の三国三師
第18章 法華経の三国三師
【法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心のごとくならば、】
法華経が天台大師、妙楽大師、伝教大師が解釈した通りの心であれば、
【今日本国には法華経の行者は一人もなきぞかし。】
今、日本には、法華経の行者は、誰一人いない事になります。
【月氏には教主釈尊、宝塔品にして】
インドには、教主釈尊がいて、その宝塔品の時に
【一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、】
すべての仏を集めて大地の上に座らせて、
【大日如来計り宝塔の中の南の下座にす〔居〕へ奉りて、】
大日如来だけが、宝塔の中の南の下座に座って、
【教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。】
教主釈尊は、北の上座に座られたのです。
【此の大日如来は大日経の胎蔵界〔たいぞうかい〕の】
この大日如来は、大日経で説かれた胎蔵界の
【大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。】
大日如来、金剛頂経で説かれた金剛界の大日如来の主君であるのです。
【両部の大日如来を郎従〔ろうじゅう〕等と定めたる】
この両界の大日如来を家来とする大日如来を
【多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。】
多宝仏と呼んで下座に置き、その上座に教主釈尊が座られるのです。
【此即ち法華経の行者なり。】
これは、すなわち、法華経の行者の事なのです。
【天竺かくのごとし。】
釈迦牟尼仏が法華経を説かれたインドであっても、このようであるのです。
【漢土には陳帝の時、】
中国では、陳帝の時代に
【天台大師南北にせめかちて、現身に大師となる。】
天台大師が南三北七に法論に勝って現実に大師となりました。
【「群に特秀し唐に独歩す」というこれなり。】
南三北七の僧達よりも、極めて優れ、中国随一であるとは、この事です。
【日本国には伝教大師六宗にせめかちて、】
日本では、伝教大師が六宗に法論で勝って、
【日本の始め第一の根本大師となり給ふ。】
日本において最初の根本大師となったのです。
【月氏・漢土・日本に但三人計りこそ】
インド、中国、日本の中でこの三人だけが
【「一切衆生の中に於て亦為〔こ〕れ第一」にては候へ。】
法華経で言うところの「すべての衆生の中においてこれ第一」なのです。
【されば秀句に云はく「浅きは易く】
そうであれば、法華秀句に「浅い教えは、理解し易く、
【深きは難しとは、釈迦の所判なり。】
深い教えは、理解し難いとは、釈迦牟尼仏の説いた事です。
【浅きを去って深きに就くは、】
そうであるならば、浅い教えを去って、深い教えに向かうのが、
【丈夫〔じょうぶ〕の心なり。】
本当の求道者の心なのであり、
【天台大師は釈迦に信順して、法華宗を助けて震旦〔しんだん〕に】
天台大師は、釈迦牟尼仏を信じ従って、法華宗の解釈書を作って中国に広げ、
【敷揚〔ふよう〕し、叡山の一家は天台に相承して、】
比叡山の伝教大師の門弟は、天台大師の後を継いで、
【法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。】
法華宗を理解して日本に弘通した」と伝教大師は、書かれています。
【仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、】
仏滅後一千八百余年の間に法華経の行者は、漢土に一人、
【日本に一人、已上二人、釈尊を加へ奉りて已上三人なり。】
日本に一人の二人であり、それに釈尊牟尼仏を加えて以上三人だけなのです。
【外典に云はく「聖人は一千年に一たび出で、賢人は五百年に一たび出づ。】
外典には「聖人は、一千年に一度だけ出で、賢人は、五百年に一度だけ出る。
【黄河は涇渭〔けいい〕ながれをわけて、】
黄河は、涇河〔けいが〕、渭河〔いが〕と流れを別にしているが
【五百年には半河すみ、千年には共に清〔す〕む」と申すは一定にて候ひけり。】
五百年に一度は片方が澄み、千年に一度は両方が澄む」とされているのです。