御書研鑚の集い 御書研鑽資料
報恩抄 18 法華最勝の経釈
第17章 法華最勝の経釈
【抑〔そもそも〕法華経の第五に「文殊師利〔もんじゅしり〕、】
もともと、法華経の第五巻に「文殊師利菩薩よ、
【此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。】
この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵であり、
【諸経の中に於て、最も其の上に在り」云云。】
諸経の中で最もその上にあり」と説かれているのです。
【此の経文のごとくならば、法華経は大日経等の一切経の頂上に住し給ふ】
この経文通りであれば法華経は、大日経などすべての経文の最上位にある
【正法なり。】
正しい経文である事は間違いない事なのです。
【さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は】
そうであれば善無畏、金剛智、不空、弘法、慈覚、智証などは、
【此の経文をばいかん〔如何〕が会通〔えつう〕せさせ給ふべき。】
この経文をどうやって矛盾なく説明するのでしょうか。
【法華経の第七に云はく「能〔よ〕く是の経典を】
法華経の第七巻には「よく、この経典を
【受持すること有らん者も、亦復是〔か〕くの如し。】
受持する事が出来る者も、またまた、これと同じである。
【一切衆生の中に於て亦為〔こ〕れ第一なり」等云云。】
一切衆生の中において、またこれ第一の人である」と説かれているのです。
【此の経文のごとくならば、法華経の行者は川流〔せんる〕江河の中の大海、】
この経文の通りであれば法華経の行者は、川が流れ下る大海、
【衆山の中の須弥山〔しゅみせん〕、衆星の中の月天、】
山の中の須弥山、星の中の月、
【衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。】
明かりの中の太陽、諸王の中の梵天王であると言えるのです。
【伝教大師の秀句〔しゅうく〕と申す書に云はく「此の経も亦復是くの如し。】
伝教大師の法華秀句と言う書物には「この経も、またまた、これと同じであり、
【乃至、諸の経法の中に最も為れ第一なり。】
諸々の経文の中で最もこれが第一なのである。
【能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如し。】
また、法華経をよく受持する者は、またまた同じなのである。
【一切衆生の中に於て、亦為れ第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給ひて、】
すべての衆生の中で、この人は、第一の衆生である」と云う経文と言われ、
【次下に云はく「天台法華玄に云はく」等云云已上玄文と、】
さらに、その次には「天台法華玄にいわく」とその原文にはと、
【かゝせ給ひて、上の心を釈して云はく「当〔まさ〕に知るべし、】
書かれていて、それには「まさに知るべきである。
【他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず。】
他宗の経文は、未だ第一の経文ではない。
【其の能く経を持つ者も、亦未だ第一ならず。】
また、その経文を受持する者も未だ第一ではない。
【天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に、】
天台法華宗が所持する法華経が、最も第一である故に、
【能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。】
この法華経を受持する者がまた、衆生の中の第一なのである。
【已に仏説〔ぶっせつ〕に拠〔よ〕る、】
これは、仏の説であって、
【豈〔あに〕自歎〔じたん〕ならんや」等云云。】
けっして自画自賛ではない」と書かれているのです。
【次下に譲る釈に云はく「委曲の依憑〔えひょう〕、】
同じ法華秀句の巻末には「各宗が拠りどころとする
【具〔つぶさ〕に別巻に有るなり」等云云。】
天台大師の法門の委細については、別巻につぶさに書いている」と書かれており、
【依憑集に云はく「今吾が天台大師、法華経を説き】
実際に依憑集には「今、我が天台大師が法華経を説き、
【法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す。】
法華経を解釈する事は、南三北七の僧達よりも、極めて優れ、中国随一である。
【明らかに知んぬ、如来の使ひなりと。】
この人こそ、まさに如来の使いであるのです。
【讃〔ほ〕めん者は福を安明〔あんみょう〕に積み、】
従って、この人を信じて学ぶ者は、幸〔さいわ〕いを須弥山のように高く積み、
【謗〔そし〕らん者は罪を無間〔むけん〕に開かん」等云云。】
謗って信じない者は、その罪によって無間地獄に堕ちる」と書かれているのです。