日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 11 三宗の迷乱


第10章 三宗の迷乱

【其の後天台大師も御入滅なりぬ。】
その後、天台大師は、入滅され、

【陳隋の世も代はりて唐の世となりぬ。】
陳〔ちん〕隋〔ずい〕の世も過ぎ去って唐の時代になり、

【章安大師も御入滅なりぬ。】
天台大師の弟子の章安大師も入滅しました。

【天台の仏法やうや〔漸〕く習ひ失〔う〕せし程に、】
天台大師の説いた法華経最勝の仏法も失しなわれ、

【唐の太宗〔たいそう〕の御宇〔ぎょう〕に玄奘〔げんじょう〕三蔵といゐし人、】
唐の太宗の時代に玄奘三蔵と言う人が、

【貞観〔じょうがん〕三年に始めて月氏〔がっし〕に入り同十九年にかへりしが、】
貞観三年に始めてインドに入り、同十九年に中国に帰って、

【月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす。】
インドの仏法を調べ尽くして法相宗と言う宗派を立てたのです。

【此の宗は天台宗と水火なり。】
この宗派は、天台宗とはまったく違っていました。

【而るに天台の御覧なかりし深密〔じんみつ〕経・瑜伽〔ゆが〕論・】
ようするに天台大師は、深密経や瑜伽論、

【唯識〔ゆいしき〕論等をわたして、法華経は一切経には勝れたれども】
唯識論などを知らずに、法華経が一切経に優れていると思ったが、

【深密経には劣るという。】
実は、深密経には、法華経も劣るのであると主張したのです。

【而〔しか〕るを天台は御覧なかりしかば、】
それを聞いて、天台大師が知らなかったのならば、それも無理からぬ事と

【天台の末学等は智慧の薄きかのゆへ〔故〕にさもやとをもう。】
天台の弟子達は、智慧がない為か、それを真実と思ってしまったのです。

【又太宗〔たいそう〕は賢王なり、玄奘の御帰依あさからず、】
また太宗皇帝は賢王であり、玄奘への帰依も深かったので、

【いうべき事ありしかども、いつもの事なれば】
いつもそうであるように

【時の威ををそ〔恐〕れて申す人なし。】
時の権威を怖れて、それを口に出す人はいなかったのです。

【法華経を打ちかへして三乗真実・一乗方便・】
真実の法華経を投げ捨てて、三乗は、真実であり、一乗は方便、

【五性各別と申せし事は心う〔憂〕かりし事なり。】
五性は各別と主張した玄奘三蔵を信じた事は、まことに残念な事だったのです。

【天竺よりはわたれども】
その主張は、インドから渡って来たものではあるけれども、

【月氏の外道が漢土にわたれるか。】
それはインドの外道の論理が漢土に渡って来たのと同じであったのです。

【法華経は方便、深密経は真実といゐしかば、】
法華経は方便であり、深密経が真実であると言えば、

【釈迦・多宝・十方の諸仏の誠言〔じょうごん〕もかへりて虚〔むな〕しくなり、】
釈迦、多宝、十方の諸仏の言葉は、すべて虚構となり、

【玄奘・慈恩こそ時の生身〔しょうじん〕の仏にてはありしか。】
玄奘三蔵やその弟子の慈恩こそ時の生身の仏なのでしょうか。

【其の後則天皇后〔そくてんこうごう〕の御宇〔ぎょう〕に、】
その後、則天武后〔そくてんぶこう〕の時代に、

【前〔さき〕に天台大師にせめられし華厳経に、】
先に天台大師に攻め落とされた華厳経に、

【又重ねて新訳の華厳経わたりしかば、】
また、新訳の華厳経がインドより渡って来て、

【さきのいきど〔憤〕をりをは〔果〕たさんがために、】
先の恨みを晴らそうと、

【新訳の華厳をもって、天台にせめられし旧〔く〕訳の華厳経を扶〔たす〕けて、】
新訳の華厳経によって、天台宗を責めて旧訳の華厳経を助け、

【華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ。】
新訳の華厳宗と言う宗派を法蔵法師と言う人が立てたのです。

【此の宗は華厳経をば根本法輪、法華経をば枝末〔しまつ〕法輪と申すなり。】
この宗派は、華厳経を根本法輪と言い、法華経を枝末法輪と主張したのです。

【南北は一華厳・二涅槃・三法華、天台大師は一法華・二涅槃・三華厳、】
南三北七の者は、一華厳、二涅槃、三法華、天台大師は、一法華、二涅槃、三華厳、

【今の華厳宗は一華厳・二法華・三涅槃等云云。】
新しい華厳宗は、一華厳、二法華、三涅槃などと主張しました。

【其の後玄宗〔げんそう〕皇帝の御宇に、】
その後、玄宗皇帝の時代に、

【天竺より善無畏〔ぜんむい〕三蔵大日経・蘇悉地〔そしっじ〕経をわたす。】
天竺より善無畏三蔵が大日経、蘇悉地経を中国に持って来たのです。

【金剛智〔こんごうち〕三蔵は金剛頂経をわたす。】
同じ頃、金剛智三蔵が金剛頂経を持って中国に来ました。

【又金剛智〔こんごうち〕三蔵に弟子あり不空三蔵なり。】
この金剛智三蔵に弟子がいて不空三蔵と言いました。

【此の三人は月氏の人、種姓〔すじょう〕も高貴なる上、】
この三人は、いずれもインドの人で高貴な生まれでもあり、

【人がらも漢土の僧ににず。】
人柄も中国の僧侶と違って立派でした。

【法門もなにとはしらず、後漢より今にいたるまでなかりし印と】
法門においても後漢より今に至るまで中国になかった印と

【真言という事をあひ〔相〕そ〔副〕いてゆゝ〔由由〕しかりしかば、】
真言と言うまったく新しいものを相い添えて、非常に魅力的なものであったので、

【天子かうべ〔頭〕をかたぶけ万民掌〔たなごころ〕をあわす。】
皇帝も尊び民衆も手を合わせて敬ったのです。

【此の人々の義にいわく、華厳・深密・般若・涅槃・】
この人々の言うのには、華厳経、深密経、般若経、涅槃経、

【法華経等の勝劣は顕教の内、釈迦如来の説の分なり。】
法華経などの勝劣は顕教の内であり、釈迦如来の説である。

【今の大日経等は大日法王の勅言なり。】
この金剛頂経を含む大日経は、大日如来の説である。

【彼の経々は民の万言、此の経は天子の一言なり。】
他の経は、民衆の言葉であり、この経は、皇帝の言葉である。

【華厳経・涅槃経等は大日経には梯〔はしご〕を立てゝも及ばず。】
華厳経、涅槃経などは大日経には梯子〔はしご〕を立てても及ばず、

【但法華経計りこそ大日経には相似〔そうじ〕の経なれ。】
法華経だけが大日経に肩を並べるのである。

【されども彼の経は釈迦如来の説、民の正言、此の経は天子の正言なり。】
しかしこの経も釈迦牟尼仏の説であって、民衆の言葉であり、皇帝の言葉ではない。

【言は似たれども人がら雲泥〔うんでい〕なり。】
言葉は、同じであっても説いた人は、まったく違うのである。

【譬へば濁水の月と清水の月のごとし。】
たとえば濁った水に映った月と澄んだ水に映った月のようなもので、

【月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、】
月は、同じではあっても水によって見え方が違うなどと勝手な事を言っており、

【此の由〔よし〕尋ね顕はす人もなし。】
その間違いを質す者は、誰もいなかったのです。

【諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ。】
そうして、すべての宗派が真言宗に傾いて堕ちて伏してしまったのです。

【善無畏・金剛智死去の後、不空三蔵又月氏にかへりて、】
善無畏や金剛智三蔵が死去の後、不空三蔵がふたたびインドに戻って

【菩提心論と申す論をわた〔渡〕し、いよいよ真言宗盛りなりけり。】
菩提心論と言う経論を持って来たので、いよいよ真言宗が盛んになったのです。

【但し妙楽大師と云ふ人あり。】
そこに妙楽大師と言う人が出ました。

【天台大師よりは六代二百余年の後なれども】
天台大師より数えて六代目二百余年の後の事ですが、

【智慧賢き人にて、天台の所釈を見明らめてをはせしかば、】
智慧が優れているで天台大師の理論を見てすべてを理解し、

【天台の釈の心は後に渡れる深密経・法相宗、】
天台大師の真意は、後に渡れる深密経、法相宗や、

【又始めて漢土に立てたる華厳宗、大日経・真言宗にも】
また始めて中国に渡って来た華厳宗、大日経、真言宗よりも、

【法華経は勝れさせ給ひたりけるを、】
法華経が優れていると知って、

【或は智慧の及ばざるか、或は人に畏〔おそ〕るか、】
天台大師の弟子達が智慧がなかったのか、善無畏や金剛智三蔵を怖れたのか、

【或は時の王威をお〔怖〕づるかの故に云はざりけるか。】
または権力を怖れたのか、それを主張せず、

【か〔斯〕うてあるならば天台の正義すでに失せなん。】
このように天台大師の正義が滅びてしまっている事を嘆き、この事は、

【又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとをぼ〔思〕して】
以前に南三北七の邪義よりもひどいと思い

【三十巻の末文を造り給ふ。】
三十巻の書物を著したのです。

【所謂〔いわゆる〕弘決〔ぐけつ〕・】
それがいわゆる、摩訶止観輔行伝弘決〔ふぎょうでんぐけつ〕十巻、

【釈籖〔しゃくせん〕・疏記〔しょき〕これなり。】
法華玄義釈籤〔しゃくせん〕十巻、法華文句記疏記〔そき〕十巻なのです。

【此の三十巻の文は本書の重なれるをけづ〔削〕り、】
この三十巻の文は、元の文章の重複した部分を削〔けず)り、

【よわ〔弱〕きをたすくるのみならず、天台大師の御時なかりしかば、】
意味が明瞭でない部分をはっきりさせただけではなく、天台大師の時代にはなく、

【御責めにものがれてあるやうなる法相宗と、】
天台大師の破折を免〔まぬが〕れていた法相宗や

【華厳宗と、真言宗とを、一時にと〔取〕りひし〔拉〕がれたる書なり。】
華厳宗、真言宗を一時に論破された優れた書物なのです。


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