日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 29 弘法の誑惑を破す


第28章 弘法の誑惑を破す

【いかにいわうや上にあげられて】
それだけではなく、これまでに言われている

【候徳どもは不審ある事なり。】
弘法大師の威徳については、多くの疑いがあるのです。

【「弘仁〔こうにん〕九年の春天下大疫」等云云。】
「弘仁九年の春に天下に疫病が流行った」と云うが、

【春は九十日、何〔いず〕れの月何れの日ぞ、是一。】
春は、三ヶ月、九十日もあり、いずれの日であったのでしょうか。

【又弘仁九年には大疫ありけるか、是二。】
ほんとうに弘仁九年の春に天下に疫病が流行ったのでしょうか。

【又「夜変じて日光赫々〔かくかく〕たり」云云。此の事第一の大事なり。】
また「般若心経秘鍵」の夜に太陽が輝いたと云うこと自体が一番疑わしいのです。

【弘仁九年は嵯峨〔さが〕天皇の御宇〔ぎょう〕なり。】
弘仁九年は、嵯峨天皇の時代であり、

【左史右史の記に載〔の〕せたりや、是三。】
どのような歴史書にも、それが載っていないのは、どう云う事なのでしょうか。

【設ひ載せたりとも信じがたき事なり。】
たとえ、載っていたとしても、まったく信じられない事ではないでしょうか。

【成劫二十劫・住劫九劫・已上二十九劫が間にいまだ無き天変〔てんぺん〕なり。】
なぜなら、この世界が始まって以来、二十九劫の間に未だ無かった天変なのです。

【夜中に日輪の出現せる事如何。】
夜中に太陽が出現するとは、いったいどう云う事なのでしょうか。

【又如来一代の聖教にもみへず。未来に夜中に日輪出づべしとは】
このような事は、釈迦牟尼仏の一代の聖教にもなく、未来に夜中に太陽が出るとは、

【三皇五帝の三墳〔さんぷん〕五典にも載せず。】
中国の三皇五帝が著した書物にも載っていないのです。

【仏経のごときんば減劫にこそ二つの日三つの日】
釈迦牟尼仏の経文には、減劫のときに二つ、三つ、

【乃至七つの日は出づべしとは見ゆれども、かれは昼のことぞかし。】
または七つの太陽が出ると書かれていますが、いずれも昼の事であるのです。

【夜〔よる〕日〔ひ〕出現せば】
地球において夜中に太陽が出たと言う事であれば、

【東西北の三方は如何。】
いったい、他の惑星では、その時には、どうなっているのでしょうか。

【設ひ内外の典に記せずとも現に弘仁九年の春、】
たとえ内典、外典の書物に載っていなくても、実際に弘仁九年の春の

【何れの月、何れの日、何れの夜の、何れの時に日出づるという。】
何れの月、何れの日、何れの夜、何れの時に太陽が出たと、

【公家〔くげ〕・諸家・叡山等の日記あるならば】
公家やその他の家、比叡山などの日記に書かれていれば、

【すこし信ずるへんもや。】
少しは信じる事も出来るではないですか。それすらないのです。

【次下〔つぎしも〕に】
般若心経秘鍵の次の文章にある

【「昔、予、鷲峰〔じゅぶ〕説法の筵〔むしろ〕に陪〔ばい〕して、】
「過去に弘法大師が霊鷲山において説法の座に連なって

【親しく其の深文を聞く」等云云。】
親しくその甚深の経文を聞いた」と云う事が書いてあります。

【此の筆を人に信ぜさせしめんがためにかまへ出だす大妄語か。】
この執筆は、人にこれを信じさせる為に考え出した大嘘ではないのでしょうか。

【されば霊山にして法華経は戯論、大日経は真実と仏の説き給ひけるを、】
そうであれば霊鷲山で法華経は戯論、大日経は真実と釈迦牟尼仏が説いたのを、

【阿難〔あなん〕・文殊〔もんじゅ〕が誤りて妙法華経をば真実とかけるか、】
阿難や文殊が誤って法華経を真実と思ったとでも言うのでしょうか。

【いかん。いうにかいなき婬女〔いんにょ〕・】
如何でしょうか。愚かな女や

【破戒の法師等が歌をよみて雨〔ふ〕らす雨を、】
破戒の僧侶が歌を詠んで降らす事が出来た雨を、

【三七日まで下〔ふ〕らさゞりし人は、】
三週間も必死に祈って降らせられなかった弘法大師に、

【かゝる徳あるべしや、是四。孔雀〔くじゃく〕経の音義に云はく】
どのような威徳があると言うのでしょうか。また「孔雀経の音義」には

【「大師智拳〔ちけん〕の印を結んで南方に向かふに、】
「弘法大師が智拳の印を結んで南方に向かうと、

【面門俄〔にわ〕かに開いて金色の毘盧遮那〔びるしゃな〕と成る」等云云。】
面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成った」と書いてありますが、

【此又何れの王、何れの年時ぞ。漢土には建元を初めとし、】
これは、いずれの時代のどの年の事なのでしょうか。中国には、建元を初めとし、

【日本には大宝を初めとして緇素〔しそ〕の日記、】
日本では、大宝を初めとして、在家の日記には、

【大事には必ず年号のあるが、】
大事な事を著わす時は、必ず年号が書いてありますが、

【これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや。】
これほどの大事な事なのに、いずれの王の時代なのか年号も日時もないのです。

【又次に云はく「三論の道昌〔どうしょう〕・法相の源仁〔げんにん〕・】
また次の文章には「三論の道昌、法相の源仁、

【華厳の道雄〔どうおう〕・天台の円澄」等云云。】
華厳の道雄、天台の円澄」などと書かれていますが、

【抑〔そもそも〕円澄は寂光大師、天台第二の座主なり。】
そもそも、円澄は、寂光大師と云い、天台宗、比叡山の第二代の座主なのです。

【其の時何ぞ第一の座主〔ざす〕義真、】
その時、どうして第一代の座主である義真や、

【根本の伝教大師をば召さゞりけるや。】
根本大師である伝教と討論をしなかったのでしょうか。

【円澄は天台第二の座主、】
その円澄は、天台第二代の座主で、

【伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり。】
伝教大師の弟子ではあるけれども、後に弘法大師の弟子となった者ではないですか。

【弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、】
その弟子と討論するより、また三論、法相、華厳よりは、

【天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか。】
天台宗の伝教や義真の二人と討論すべきであったはずです。

【而も此の日記に云はく「真言瑜伽〔ゆが〕の宗、】
しかも、この日記には「大日経の真言宗、

【秘密〔ひみつ〕曼荼羅道〔まんだらのみち〕彼の時より建立しぬ」等云云。】
秘密曼荼羅の道場がこの時より建立された」とありますが、

【此の筆は伝教・義真の御存生〔ぞんしょう〕かとみゆ。】
この執筆では、伝教大師や義真がまだ生きている時の事と思われますが、

【弘法は平城〔へいぜい〕天皇大同二年より弘仁十三年までは】
弘法大師は、平城天皇の大同二年より弘仁十三年までは、

【盛んに真言をひろめし人なり。其の時は此の二人現にをはします。】
盛んに真言を弘めていた人ではないですか。その時にもこの二人は存命なのです。

【又義真は天長十年までをはせしかば、】
また、義真は、天長十年まで存命であれば、

【其の時まで弘法の真言はひろまらざりけるか。】
その時まで弘法大師は、真言を弘めなかったと云うのでしょうか。

【かたがた不審あり。】
非常におかしい事です。

【孔雀経の疏〔しょ〕は弘法の弟子真済〔しんぜい〕が自記なり、】
この孔雀経の解説書は、弘法大師の弟子、真済が書いた者であり、

【信じがたし。】
非常に怪しく信じ難いのです。

【又邪見の者が公家・諸家・円澄の記をひ〔引〕かるべきか。】
邪見の者が公家やその他の家、円澄の書いたものを正しく引用できるでしょうか。

【又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。】
もう一度、道昌、源仁、道雄の書いたものを調べてみるべきです。

【「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。】
「面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成る」と書いてありますが、

【面門とは口なり、口の開けたりけるか。】
面門とは、口であり、口が開いたと言うのか、

【眉間〔みけん〕開くとか〔書〕ゝんとしけるが誤りて面門とかけるか。】
眉間が開くと書くのを誤って面門とかいたのでしょうか。

【ぼう〔謀〕書をつくるゆへにかゝるあやまりあるか。】
嘘を言っているので間違って書いてしまったのでしょうか。

【「大師智拳の印を結んで南方に向かふに、】
同じく孔雀経音義には、「弘法大師が智拳の印を結んで南方に向かうと

【面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云。】
面門がにわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成った」と書かれています。

【涅槃経の五に云はく「迦葉、仏に白〔もう〕して言〔もう〕さく、】
涅槃経の第五巻には「迦葉が釈迦牟尼仏にこのように告げられた。

【世尊我今是の四種の人に依らず。】
私達は、この人々を根拠とはせず。

【何を以ての故に、瞿師羅〔くしら〕経の中の如き、】
なぜならば瞿師羅経の中で

【仏〔ほとけ〕瞿師羅が為に説きたまはく、】
仏は、中部インドの瞿師羅長者にこのように説かれたからなのである。

【若〔も〕し天・魔・梵、破壊〔はえ〕せんと欲するが為に変じて仏の像となり、】
もし、天魔が仏法を破壊しようとする時は、必ず仏に化けて、

【三十二相八十種好〔しゅこう〕を具足し荘厳〔しょうごん〕し、】
三十二相八十種好と云う素晴らしい姿を現じて人々から敬われ、

【円光一尋〔じん〕面部円満なること猶月の盛明〔じょうみょう〕なるがごとく、】
その顔が穏やかで光り輝く事は、まるで満月のようであり、

【眉間の毫相〔ごうそう〕白きこと珂雪〔かせつ〕に踰〔こ〕え、】
眉間の光が白い事は、まるで雪のようであって、

【乃至左の脇より】
その左右の脇からは、

【水を出だし右の脇より火を出だす」等云云。】
爽〔さわ)やかな体臭が溢れているのである」と説かれているのです。

【又六の巻に云はく「仏迦葉〔かしょう〕に告げたまはく、】
また、涅槃経の六巻には「釈迦牟尼仏は、迦葉にこのように告げられた。

【我般涅槃〔はつねはん〕して乃至後是の魔波旬〔まはじゅん〕】
釈迦牟尼仏が涅槃に入ったその後に、この天魔、梵語で云うところの波旬が、

【漸〔ようや〕く当〔まさ〕に我が之の正法を沮壊〔そえ〕すべし。】
ようやく時期が到来したと思って正法を破壊しようと、

【乃至化して阿羅漢の身及び仏の色身と作り、】
仏法者の身に入り、自分自身を仏の身形〔みなり〕を整えて、

【魔王此の有漏〔うろ〕の形を以て無漏〔むろ〕の身と作り】
煩悩まみれであるのに、煩悩などまったくないように見せかけて、

【我が正法を壊らん」等云云。】
正法を破壊するのである」と説かれています。

【弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して】
弘法大師は、法華経を華厳経、大日経に対して

【戯論〔けろん〕等云云。】
戯〔たわむ〕れの理論であると言ったのです。

【而も仏身を現ず。】
しかも自らを仏身を現わしていると言っているのです。

【此涅槃経には魔、有漏の形をもって仏となって、】
この涅槃経には、天魔が煩悩があるのに無いと言って仏に化けて

【我が正法をやぶらんと記し給ふ。涅槃経の正法は法華経なり。】
正法を破壊すると書かれているのです。この正法とは、法華経なのです。

【故に経の次下の文に云はく】
そうであるからこそ、涅槃経の次の文章には

【「久しく已に成仏す」と。】
「すでに成仏している」と説かれているのです。

【又云はく「法華の中の如し」等云云。】
また「法華経の中と同じである」と説かれているのです。

【釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して法華経は真実、】
このように釈迦、多宝、十方の諸仏は、一切経に対して法華経は真実であり、

【大日経等の一切経は不真実等云云。】
大日経など一切経は、真実ではないと説かれているのです。

【弘法大師は仏身を現じて、華厳経・大日経に対して】
弘法大師は、仏身を現わして、華厳経、大日経に対して

【法華経は戯論等云云。】
法華経は、戯〔たわむ〕れの理論であると言っています。

【仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。】
釈迦牟尼仏の説かれた通りであるならば、弘法は、天魔ではないでしょうか。

【又三鈷〔さんこ〕の事殊〔こと〕に不審なり。】
仏具を中国から投げて日本に届いたなど、まったく馬鹿げているのです。

【漢土の人の日本に来たりて】
まったく無関係の中国の人が日本に来て、

【ほ〔堀〕りいだすとも信じがたし。】
それを掘り出したとしても、とても信じる事が出来ないことなのです。

【已前に人をやつか〔遣〕わしてうづ〔埋〕みけん。】
弘法大師が先に人をやって日本に埋めたとしか思えないのです。

【いわうや弘法は日本の人、】
いわんや、弘法大師は、日本で尊敬されている人であり、

【かゝる誑乱〔おうらん〕其の数多し。】
どんな、嘘でもまかり通り、事実、そのような嘘も数多くあるのです。

【此等をもって仏意に叶ふ人の】
ですから、これらの事でもって、釈迦牟尼仏の意思に継ぐ者とは、

【証拠とはしりがたし。】
まったく言えず、その証拠とはならないのです。


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