日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 9 漢土の天台の弘通


第8章 漢土の天台の弘通

【像法に入って五百年、】
その後、像法時代に入って五百年間、

【仏滅後一千五百年と申せし時、漢土に一人の智人あり。】
仏滅後千五百年の時に中国に一人の智人が現れます。

【始めは智顗〔ちぎ〕、後には智者大師とがう〔号〕す。】
始めは、智顗と名乗り、後には智者大師と呼ばれました。

【法華経の義をありのまゝに弘通せんと思ひ給ひしに、】
法華経の意義をありのままに弘通しようと思って、

【天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども、】
天台以前の百千万の智者達は、一生を使って法華経を理解しようと努めたものの、

【詮じて十流となりぬ。所謂南三北七なり。】
結局は、十の流派に分かれてしまいました。南に三派、北に七派です。

【十流ありしかども一流をも〔以〕て最とせり。所謂南三の中の第三の】
しかし、その十派の中で南の三の中の第三である

【光宅寺の法雲法師これなり。】
光宅〔こうたく〕寺の法雲法師の教えがもっとも勢力があったのです。

【此の人は一代の仏教を五にわかつ。】
この人は、釈迦牟尼仏の一代の仏教を五つに分けて、

【其の五つの中に三経をえら〔撰〕びい〔出〕だす。】
その五つの中に三つの経文を選び出しました。

【所謂華厳経・涅槃経・法華経なり。】
それが華厳経、涅槃経、法華経の三つです。

【一切経の中には華厳経第一、大王のごとし。】
すべての経の中で華厳経が第一で大王のようであり、

【涅槃経第二、摂政〔せっしょう〕関白のごとし。】
涅槃経は第二で大臣のようであり、

【第三法華経は公□〔くぎょう〕等のごとし。】
第三は、法華経であり、貴族のようなものである。

【此より已下〔いげ〕は万民のごとし。】
それより外は、民衆のようなものだとしました。

【此の人は本より智慧かしこき上、慧観〔えかん〕・慧厳〔えごん〕・】
この人は、もともと智慧が優れており、慧観、慧厳、

【僧柔〔そうにゅう〕・慧次〔えじ〕なんど申せし大智者より】
僧柔、慧次と云う大学者に学び、

【習ひ伝へ給はるのみならず、南北の諸師の義をせめやぶり、】
仏法を習い伝えるのみならず、南北の諸師の教義を責め破り、

【山林にまじ〔交〕わりて法華経・涅槃経・華厳経の功をつ〔積〕もりし上、】
各地を巡って法華経、涅槃経、華厳経の功徳を研究し続けたのです。

【梁〔りょう〕の武帝召し出だして、内裏〔だいり〕の内に寺を立て、】
梁の武帝は、彼を招いて自らの宮廷の中に寺を建てて

【光宅寺とな〔名〕づけて此の法師をあが〔崇〕め給ふ。】
光宅寺と名づけて、この法師を崇め尊びました。

【法華経をかう〔講〕ぜしかば】
法華経を講義する姿は、

【天より花ふること在世のごとし。】
天から花が降るように華やかでまるで釈迦牟尼仏の在世のようであったとあります。

【天監〔てんかん〕五年に大旱魃〔かんばつ〕ありしかば、】
天監五年に大干ばつがあった時は、

【此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに、】
この法雲法師に祈雨の願〔ねが〕いが出されて、そこで法師が法華経を講義すると、

【薬草喩品の「其雨普等〔ごうふとう〕・】
薬草喩品の中の「其〔そ〕の雨、普等〔ひと〕しく、

【四方倶下〔しほうくげ〕」と申す二句を講ぜさせ給ひし時、】
四方〔しほう〕に倶下〔くだ〕る」と云う二句を言った時、

【天より甘雨下〔ふ〕りたりしかば】
天より優しく雨が降り出したのを見て

【天子御感のあまりに現に僧正〔そうじょう〕になしまいらせて、】
皇帝は、感激のあまり法雲法師を僧正の位に付けて、

【諸天の帝釈につかえ、万民の国王を】
まるで諸天が帝釈に仕え、民衆が国王を

【をそ〔恐〕るゝがごとく我とつかへ給ひし上、】
怖れるように自分自身が法雲法師に仕えたのです。

【或人〔あるひと〕夢みらく、此の人は過去の灯明仏〔とうみょうぶつ〕の時より】
ある人は、夢を見て法雲法師は、過去世において日月灯明仏の時より

【法華経をかう〔講〕ぜる人なり。】
法華経を講義した人であると確信したとまで言っているのです。

【法華経の疏〔しょ〕四巻あり。此の疏に云はく「此の経】
この法雲法師は、法華経の解釈書を四巻作り、その中で「この経文は、

【未だ碩然〔せきねん〕ならず」と。】
未だ仏教の極理であると、はっきりとは言い難い」と言っています。

【亦云はく「異の方便」等云云。正しく法華経はいまだ】
また、変わった方便の教えであるとも言っています。つまり、法華経は未だに

【仏理をきわめざる経と書かれて候。】
仏法の法理を極めているとは言えない経文であると書いているのです。

【此の人の御義仏意〔ぶっち〕に相ひ叶ひ給ひければこそ、】
この人の解釈が釈迦牟尼仏の意志にかなっているので

【天より花も下り雨もふり候ひけらめ。】
天より花も降り雨も降るのであろう。

【かゝるいみじき事にて候ひしかば、漢土の人々、】
このような事があって中国の人々は、

【さては法華経は華厳経・涅槃経には劣るにてこそあるなれと思ひし上、】
法華経は、やはり華厳経、涅槃経には劣るのであると思い、その上、

【新羅〔しらぎ〕・百済〔くだら〕・高麗〔こま〕・】
それが朝鮮半島の新羅、百済、高麗、そして

【日本まで此の疏ひろまりて、大体一同の義にて候ひしに、】
遠く日本まで、この解釈が広まって大体において同じような内容となったのです。

【法雲法師御死去ありていくばくならざるに、梁の末、陳の始めに、】
法雲法師が死去すると、梁の末、陳の始めに、

【智顗〔ちぎ〕法師と申す小僧〔しょうそう〕出来せり。】
智顗法師と言う位が低い名もなき僧侶が現れました。

【南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども、】
南岳大師と言う人の弟子となりましたが、

【師の義も不審にありけるかのゆへに、】
この師の言っている事にも不審を抱き、

【一切経蔵に入って度々御らん〔覧〕ありしに、】
一切経を蔵に入って度々読んで調べていましたが、

【華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし、】
華厳経、涅槃経、法華経の三経を重要な経文と選び出し、

【此の三経の中に殊に華厳経を講じ給ひき。】
この三経の中で特に華厳経を講義したのです。

【別して礼文〔らいもん〕を造りて日々に功をなし給ひしかば、】
そして、それを礼賛した文章を書いて、日夜、華厳経を読んでばかりいたので、

【世間の人をも〔思〕はく、此の人も華厳経を第一とをぼすかと見えしほどに、】
世間の人々もこの人も、やはり華厳経を第一としていると思ったのです。

【法雲法師が、一切経の中に】
しかし、実際は、法雲法師が、一切経の中で

【華厳第一・涅槃第二・法華第三と立てたるが、】
華厳第一、涅槃第二、法華第三と言っているのが、

【あまりに不審なりける故に、ことに華厳経を御らんありけるなり。】
あまりに不自然なので特に華厳経を読んでいただけなのです。

【かくて一切経の中に、法華第一・涅槃第二・華厳第三と】
そして最終的に一切経の中で法華第一、涅槃第二、華厳第三と

【見定めさせ給ひてなげき給ふやうは、】
見定めて、嘆いて言われるには、

【如来の聖教は漢土にわたれども人を利益することなし。】
仏の聖教は、中国に渡って来たけれども、いままで人々に利益を与えず、

【かへりて一切衆生を悪道に導くこと人師の誤りによれり。】
かえって悪道に導いており、それは人師の法雲法師の誤りによると言われたのです。

【例せば国の長〔おさ〕とある人、東を西とい〔云〕ゐ、】
例えば、国と指導者が、東を西と言い、

【天を地とい〔云〕ゐい〔出〕だしぬれば】
天を地と言い出したならば、

【万民はかくのごとくに心う〔得〕べし。】
民衆は、ことごとく間違った事を信じてしまうでしょう。

【後にいやしき者出来して、】
その後に卑しき身分の者が出て来て、

【汝等が西は東、汝等が天は地なりといわばもちうることなき上、】
西は東であり、天は地であると言えば、それを用いられず、

【我が長の心に叶はんがために】
指導者の心に従わないのは、許し難いと

【今の人をの〔罵〕りう〔打〕ちなんどすべし。】
この人を罵〔ののし〕り、叩いたりもするでしょう。

【いかんがせんとはをぼせしかども、さてもだ〔黙止〕すべきにあらねば、】
どうすれば良いかと思ったものの、黙っていられずに、

【光宅寺の法雲法師は謗法によ〔依〕て】
ついに光宅寺の法雲法師は、謗法の罪に依って

【地獄に堕ちぬとのゝしらせ給ふ。】
地獄に堕ちたと人々に教え知らしめたのです。

【其の時南北の諸師はち〔蜂〕のごとく蜂起し、】
その時に、南北の諸師は、蜂の巣をつついたように大騒ぎになり、

【からす〔烏〕のごとく烏合〔うごう〕せり。】
カラスのように集まって天台大師を攻撃したのです。


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