日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 24 嘉祥の懺悔謗罪


第23章 嘉祥の懺悔謗罪

【此の例をもって知るべし。華厳経・観経・大日経等をよむ人も】
この涅槃経の例をもって知りなさい。華厳経、観経、大日経をいくら読んでも、

【法華経を劣るとよむは、彼々の経々の心にはそむ〔背〕くべし。】
その経文より法華経が劣ると読めば、その経文の心に背く事になるのです。

【此をもって知るべし、】
これをもって知るべきであるのです。

【法華経をよむ人の此の経をば信ずるやう〔様〕なれども、】
いくら法華経を読んで信じているようであっても、

【諸経にても得道な〔成〕るとをも〔思〕うは、】
他の経によって成仏できると思う者は、

【此の経をよまぬ人なり。】
この法華経を読んでいないのと同じなのです。

【例せば、嘉祥〔かじょう〕大師は、法華玄と申す文十巻を造りて】
嘉祥大師が法華玄論と云う解説書、十巻を著作して

【法華経をほめしかども、妙楽か〔彼〕れをせめて云はく】
法華経を讃嘆したけれども、妙楽大師が嘉祥大師を責めて

【「毀〔そしり〕其の中に在り、】
「讃嘆している様であっても、謗〔そし〕りがその中にあり、

【何んぞ弘讃〔ぐさん〕と成さん」等云云。】
なんで讃嘆と言えようか」と言われています。

【法華経をやぶる人なり。】
この嘉祥大師こそ法華経の本義を破壊する人なのです。

【されば嘉祥は落ちて、】
そうであればこそ、後に嘉祥は、悪道に堕ちて後悔し、

【天台につか〔仕〕ひて法華経をよまず、】
天台に仕えて法華経を講義せず、

【我〔われ〕経をよむならば】
私が法華経を講義すれば、間違って法華経が理解され、

【悪道まぬかれがたしとて、】
再び悪道に堕ちてしまうと言って、

【七年まで身を橋とし給ひき。】
七年まで天台大師に身を橋とするようにして仕えたのです。

【慈恩大師は玄賛〔げんさん〕と申して】
法相宗の開祖である慈恩大師は、法華玄賛と言う

【法華経をほむる文十巻あり。】
法華経を讃嘆する解説書を十巻、著作しました。

【伝教大師せめて云はく「法華経を讃〔ほ〕むると雖〔いえど〕も】
伝教大師は、これを責めて「法華経を讃めるといえども還って

【還って法華の心を死〔ころ〕す」等云云。】
法華の心を殺す」と言われたのです。

【此等をもってをも〔思〕うに、法華経をよみ讃歎する人々の中に】
これをもって思うに法華経を読み讃歎する人々の中にこそ

【無間地獄は多く有るなり。】
無間地獄に堕ちる者は、多くいるのです。

【嘉祥・慈恩すでに一乗誹謗の人ぞかし。】
嘉祥、慈恩でさえ法華経の一仏乗を誹謗する人であるのに、

【弘法・慈覚・智証あに法華経蔑如〔べつじょ〕の人にあらずや。】
弘法、慈覚、智証が法華経を蔑視する人でない事があるでしょうか。

【嘉祥〔かじょう〕大師のごとく講を廃し衆を散じて】
嘉祥大師のように講を解散して自らを信じる者を散じ、

【身を橋となせしも、】
身を橋として天台大師に仕えたとしても、

【猶〔なお〕や已前の法華経誹謗の罪やき〔消〕へざるらん。】
なお、法華経誹謗の罪が消えなかったのです。

【不軽〔ふきょう〕軽毀〔きょうき〕の者は不軽菩薩に信伏随従せしかども、】
常不軽菩薩を軽んじ迫害した者は、後で常不軽菩薩を信じ、従ったけれども、

【重罪いまだのこ〔残〕りて、千劫〔せんごう〕阿鼻に堕〔お〕ちぬ。】
重罪が残って千劫の間、無間地獄に堕ちたのです。

【されば弘法・慈覚・智証等は設ひひるが〔翻〕へす心ありとも、】
そうであれば、弘法、慈覚、智証は、たとえ後悔する心があったとしても、

【尚法華経をよむならば重罪き〔消〕へがたし。】
法華経を読むならば、その重罪は消え難いのです。

【いわ〔況〕うやひるがへる心なし。又法華経を失ひ、】
それなのに後悔する心さえなく、ましてや、いまだに法華経を誹謗し、

【真言教を昼夜に行ひ、朝暮に伝法せしをや。】
真言の邪教を昼夜に行い、朝暮にそれを人々に弘めているのです。

【世親〔せしん〕菩薩・馬鳴〔めみょう〕菩薩は】
世親菩薩や馬鳴菩薩は、

【小をも〔以〕て大を破せる罪をば、舌を切らんとこそせしか。】
小乗経で大乗経を貶〔おとし〕めた罪を後悔して舌を切って詫びようとしました。

【世親菩薩は仏説なれども、阿含経をば】
世親菩薩は、仏説では、あるけれども、小乗経である阿含経を、

【たわぶ〔戯〕れにも舌の上にを〔置〕かじとちか〔誓〕ひ、】
たとえ戯〔たわむ〕れであったとしても、かたく言葉にしないと誓ったのです。

【馬鳴菩薩は懺悔〔ざんげ〕のために起信論をつくりて、】
馬鳴菩薩は、懺悔の為に大乗経を讃嘆する大乗起信論を作って、

【小乗をやぶり給ひき。】
小乗経を破折したのです。

【嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて百余人の智者の前にして、】
嘉祥大師は、天台大師に破折されて、かつて弟子であった百余人の智者の前にして、

【五体を地になげ、遍身〔へんしん〕にあせ〔汗〕をながし、】
自分の身体を地に伏せて全身を使って天台大師を礼賛し、

【紅〔くれない〕のなんだ〔涙〕をながして、】
赤い涙を流して、誓って言うのには、

【今よりは弟子を見じ、法華経をかう〔講〕ぜじ、】
これよりは、弟子を取らず、法華経を講義せず、

【弟子の面〔おもて〕をまぼ〔守〕り法華経をよみたてまつれば、】
もし、弟子に面子を立てようとして法華経を講義すれば、

【我が力の】
自分自身は、法華経を理解していないのに、

【此の経を知るにに〔似〕たりとて、】
この経文を知っていると誤解されてしまうと言って、

【天台よりも高僧老僧にてをは〔在〕せしが、】
天台大師よりも高僧、老僧のような威厳を持っていたが、

【わざ〔態〕と人のみるとき、を〔負〕ひまいらせて河をこ〔越〕へ、】
わざと人が見ている時に、天台大師を背負って橋を渡り河を超え、

【かうざ〔高座〕にちかづきてせなか〔背中〕にのせ〔乗〕まいらせ給ひて】
さらに高座の近くでは、自分の背中を踏み台として、

【高座にのぼ〔上〕せたてまつり、】
天台大師を高座に登らせたのです。

【結句〔けっく〕御臨終の後には、隋の皇帝にまい〔参〕らせ給ひて、】
最後には、天台大師が臨終の後には、隋の皇帝の前で

【小児が母にをくれたるがごとくに、足をす〔摺〕りてな〔泣〕き給ひしなり。】
子供が母親に死に別れたように、天台大師の足を擦りながら泣いたのです。

【嘉祥大師の法華玄〔ほっけげん〕を見るに、】
この嘉祥大師の法華玄を見ると、

【いたう法華経を謗じたる疏〔しょ〕にはあらず。】
ひどく法華経を誹謗した解説ではなかったのです。

【但法華経と諸大乗経とは、門は浅深あれども】
ただ、法華経とその他の大乗経とは、法門の浅深はあっても、

【心は一つとかきてこそ候へ。】
心は一つと書いただけなのです。

【此が謗法の根本にて候か。】
しかし、これが根本的な間違いであり謗法なのです。

【華厳の澄観〔ちょうかん〕も、真言の善無畏〔ぜんむい〕も、】
華厳宗の澄観も、真言宗の善無畏も、

【大日経と法華経とは理は一つとこそかゝれて候へ。】
大日経と法華経とは、理論は、一つと説いたのです。

【嘉祥とが〔科〕あらば、】
そうであれば、嘉祥大師に法華誹謗の罪があるとすれば、

【善無畏三蔵も脱れがたし。】
善無畏三蔵もその罪から脱れ難いのです。


ページのトップへ戻る