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報恩抄 25 中国・真言三祖を破す
第24章 中国・真言三祖を破す
【されば善無畏三蔵は中天の国主なり。】
この善無畏三蔵は、最初は、中インドの国主でした。
【位をすてゝ他国にいたり、】
しかし、位を捨てて出家し、他国を巡って、
【殊勝〔しゅしょう〕・招提〔しょうだい〕の二人にあひて法華経をうけ、】
殊勝、招提の二人に会って法華経を学び、
【百千の石の塔を立てしかば、】
そして法華経の為に百千の石の塔を建てて、
【法華経の行者とこそみへしか。しかれども大日経を習ひしよりこのかた、】
世間から法華経の行者と思われたのです。しかしながら、大日経を学んでからは、
【法華経を大日経に劣るとやをもひけん。】
法華経を大日経よりも劣ると思ったのでしょうか。
【始めはいたう其の義もなかりけるが、】
はじめは、そのような事もなかったのですが、
【漢土にわたりて玄宗〔げんそう〕皇帝〔こうてい〕の師となりぬ。】
中国に渡って玄宗皇帝の師となって真言宗を建てたのですが、
【天台宗をそね〔嫉〕み思ふ心つき給ひけるかのゆへに、】
天台宗の教義に嫉妬し、法華経を誹謗した罪によって
【忽〔たちま〕ちに頓死〔とんし〕して、】
急死してしまったのです。
【二人の獄卒〔ごくそつ〕に鉄の縄〔なわ〕七つつ〔付〕けられて】
二人の獄卒に鉄の縄七つを付けられて
【閻魔王宮にいたりぬ。】
閻魔王宮に連れて行かれたのですが、
【命いまだつきずとい〔言〕ゐてかへされしに、】
そこで「おまえの命は未だに尽きてはいない」と言われて帰されたのです。
【法華経謗法とやをも〔思〕ひけん、】
その時に善無畏三蔵は、この事態に、ようやく自分の法華誹謗の罪を覚り、
【真言の観念・印〔いん〕・真言等をばな〔投〕げす〔捨〕てゝ、】
真言の観念、印、真言等を投げ捨てて、
【法華経の今此〔こんし〕三界〔さんがい〕の文を唱へて、】
法華経譬喩品の「今此三界皆是我有」の文章を唱へたので、
【縄も切れかへ〔帰〕され給ひぬ。】
縛っていた鉄の縄も切れ、そこから、この世に帰えされ息を吹き返したのです。
【又雨のいのり〔祈〕ををほ〔仰〕せつけられたりしに、】
また、善無畏三蔵は、皇帝の命令により祈雨を行いましたが、
【忽ちに雨は下〔ふ〕りたりしかども、】
すぐに雨が降ったには降ったのですが、
【大風吹きて国をやぶる。】
同時に大風が吹いて暴雨風となって国を破壊したのでした。
【結句死し給ひてありしには、弟子等集まりて】
結局は、善無畏三蔵が死んだ時に、その弟子達が集まって、
【臨終いみじきやうをほめしかども、】
その善無畏の臨終の姿を褒〔ほ〕めたけれども、
【無間大城に堕ちにき。】
実際には無間大城に堕ちていたのです。
【問うて云はく、何をもってかこれをし〔知〕る。答へて云はく、】
なぜそれがわかるかと言うと、
【彼の伝を見るに云はく】
善無畏三蔵の伝記である宋高僧伝には
【「今〔いま〕畏〔い〕の遺形〔いぎょう〕を観〔み〕るに、】
「いま、善無畏三蔵が死んだ後の遺体を見ると、
【漸〔ようや〕く加〔ますます〕縮小し、】
ますます身体が縮小し、
【黒皮〔こくひ〕隠〔いん〕々として、骨其〔そ〕れ露〔あらわ〕なり」等云云。】
皮膚は黒く変わり隠々として、骨が露〔あらわ〕になった」と書かれています。
【彼の弟子等は死後に地獄の相の顕はれたるをしらずして、】
善無畏の弟子達は、死後に地獄の姿が現れたのを知らずに、
【徳をあ〔称〕ぐなどをも〔思〕へども、】
善無畏の徳を称えているのですが、
【か〔書〕きあら〔表〕わせる筆は畏が失をか〔書〕けり。】
ここに執筆された内容は、善無畏の地獄の相を著しているのです。
【死してありければ身やうや〔漸〕くつゞ〔縮〕まりちひ〔小〕さく、】
死んだ後に、身体は、小さく縮まり、
【皮はくろ〔黒〕し、骨あら〔露〕わなり等云云。】
皮膚は黒く、骨が露〔あらわ〕と書いてあるのです。
【人死して後、色の黒きは】
人が死後にその皮膚の色の黒い事は、
【地獄の業と定むる事は仏陀〔ぶっだ〕の金言ぞかし。】
地獄の業相であると定められたのは、釈迦牟尼仏の経文によるのです。
【善無畏〔ぜんむい〕三蔵の地獄の業はなに事ぞ。】
しかし、その善無畏〔ぜんむい〕三蔵の地獄の原因とは何なのでしょうか。
【幼少にして位をすてぬ。第一の道心なり。】
幼い時に王位を捨てて仏門に出家したのは、素晴らしい求道心です。
【月氏五十余箇国を修行せり。】
またインド国内を50ヶ国を巡って正しい仏法を求め修行を積みました。
【慈悲の余りに漢土にわたれり。】
さらに民衆を救う為に中国へと渡りました。
【天竺〔てんじく〕・震旦〔しんだん〕・日本・一閻浮提の内に真言を伝へ】
インド、中国、日本、また全世界にの人々が真言を唱え、
【鈴をふ〔振〕る、この人の功徳にあらずや。】
鈴を振って修行するのは、すべて、この人の功績ではないでしょうか。
【いかにとして地獄には堕ちけると後生ををも〔思〕はん人々は】
後生を心配する人々は、
【御尋ねあるべし。】
なぜ善無畏が地獄に堕ちたのかと、まず、この事を考えるべきでしょう。
【又金剛智〔こんごうち〕三蔵は南天竺の大王の太子〔たいし〕なり。】
また、金剛智〔こんごうち〕三蔵は、南インドの大王の皇太子であり、
【金剛頂経を漢土にわたす。】
金剛頂経を中国に伝えました。
【其の徳〔とく〕善無畏のごとし。又互ひに師となれり。】
その威徳は、まさに善無畏と同じで、御互いに御互いを師と仰ぎました。
【而るに金剛智三蔵勅宣〔ちょくせん〕によ〔依〕て】
ある時に、金剛智三蔵に皇帝より祈雨の命令が出たときに
【雨の祈りありしかば七日が中に雨下る。】
七日の内に雨が降り出しました。
【天子大いに悦ばせ給ふほどに、忽ちに大風吹き来たる。】
それを皇帝が大いに喜んでいると、たちまち大風が吹き、暴風雨となったのです。
【王臣等けうさ〔興覚〕め給ひて、使ひをつけて追はせ給ひしかども、】
それに皇帝も大臣も興覚〔きょうざ〕めして、金剛智三蔵を追求したのですが、
【とかう〔兎角〕のべて留まりしなり。】
金剛智三蔵はなんとか言い逃れをしてその地位に留まったのです。
【結句は姫宮〔ひめみや〕の御死去ありしに、】
挙句の果てに皇帝の愛した姫が死去した時には、
【いのりをなすべしとて、】
その姫を生き返らせると言って祈祷をし、
【身の代〔しろ〕に殿上〔てんじょう〕の二〔ふたり〕の女子七歳になりしを】
その生贄として殿上の二人の七歳の女の子を、
【薪〔たきぎ〕につみこめて、焼き殺せし事こそ無慚〔むざん〕にはをぼゆれ。】
祈祷の薪に詰め込んで無慚〔むざん〕にも焼き殺し、
【而れども姫宮もいきかえり給はず】
それでも姫を生き返らせる事など出来なかったのです。
【不空〔ふくう〕三蔵は金剛智と月氏より御ともせり。】
不空〔ふくう〕三蔵は、金剛智の弟子としてインドより供をして中国に渡りました。
【此等の事を不審とやをもひけん。】
しかし、この事を不審に思い、
【畏と智と入滅の後、月氏に還りて竜智に値ひ奉り、】
善無畏と金剛智が死んだ後には、インドに還って竜智菩薩に会って、
【真言を習ひなを〔直〕し、天台宗に帰伏〔きぶく〕してありしが、】
真言を学び直し、天台宗が正しい事に気付いたのですが、
【心計りは帰れども、】
心では、そのように法華経を信じてはいても、
【身はかへる事なし。】
建前では今まで通りの真言宗を立て続けたのです。
【雨の御いのりうけ給はりたりしが、三日と申すに雨下る。】
その不空三蔵も皇帝より祈雨を命じられて三日のうちに雨が降ったのです。
【天子悦ばせ給ひて我と御布施ひかせ給ふ。】
皇帝は、その事を非常に喜ばれて多くの布施をしていたのですが、
【須臾〔しゅゆ〕ありしかば、大風落ち下りて内裏〔だいり〕をも吹きやぶり、】
またたく間に暴風雨となって宮殿さえ吹き飛び、
【雲閣〔うんかく〕月□〔げっけい〕の宿所〔しゅくしょ〕】
その皇帝の側近や貴族達の屋敷も、
【一所〔ひとところ〕もあるべしともみへざりしかば、】
残っている場所が一か所もなくなるほど壊れてしまったのを見て、
【天子大いに驚きて宣旨なりて風をとゞめよ。】
皇帝は、非常に驚き、暴風雨をすぐに止めよと命じたのですが、
【且〔しばらく〕くありては又吹き又吹きせしほどに、】
しばらくの間、断続的に暴風は、繰り返し、
【数日が間やむことなし。】
数日の間、止む事はなかったのです。
【結句は使ひをつけて追ふてこそ、】
結局は、使者をやって不空三蔵を祈祷から追っ払って、
【風もやみてありしか。此の三人の悪風は、】
ようやく風も止んだのでした。この三人の祈祷による悪風は、
【漢土日本の一切の真言師の大風なり。】
中国、日本のすべての真言師の祈祷で暴風が起こる証拠なのです。
【さにてあるやらん。】
そうであるからこそ、
【去ぬる文永十一年四月十二日の大風は、阿弥陀堂加賀法印、】
去る文永11年4月12日の暴風は、阿弥陀堂の加賀法印と云う
【東寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり。】
東寺第一の智者の祈雨によって起こった逆風と言えるのです。
【善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空〔ふくう〕の悪法を、】
善無畏、金剛智、不空の悪法の結果は、このように少しも違いがなく伝わっており、
【すこしもたがへず伝へたりけるか。心にくし、心にくし。】
その結果の御粗末な事は、ほんとに心にくいほどなのです。