日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 27 善導・悪夢の例を挙ぐ


第26章 善導・悪夢の例を挙ぐ

【例せば漢土の善導が、】
たとえば中国の善導は、

【始めは密州〔みっしゅう〕の明勝〔みょうしょう〕といゐし者に】
始めは密州の明勝と云う者に

【値ひて法華経をよみたりしが、後には道綽〔どうしゃく〕に値ひて】
会って法華経を学んだが、後には、道綽に会って、

【法華経をすて観経に依りて疏〔しょ〕をつくり、】
その法華経を捨て去り、観経が正しいとして観経疏と云う解説書を著作して、

【法華経をば千中無一、念仏をば十即十生・百即百生と定めて、】
その中で法華経を千中無一、念仏をば十即十生、百即百生と書き現し、

【此の義を成ぜんがために、阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす。】
この意義を弘める為に阿弥陀仏の前で願を立てたのです。

【仏意〔ぶっち〕に叶ふやいなや、】
この主張が釈迦牟尼仏の意志にかなっているかどうかと思っていると、

【毎夜夢の中に常に一の僧有り、来たって指授すと云云。】
すると毎夜、夢の中にいつも一人の僧が現れて、指をさすのです。

【乃至一〔もっぱら〕経法の如くせよ。】
それには「一字一句、釈迦牟尼仏の説く経文の通りにしなさい」

【乃至〔ないし〕観念法門経等云云。】
また「観念法門経」などと書いてあったのです。

【法華経には「若し法を聞く者有れば】
釈迦牟尼仏の教えである法華経には「もし、この法華経を聞く者が有れば

【一〔ひとり〕として成仏せざるなし」と。】
一人として成仏しない者はない」と有ります。

【善導は「千の中に一も無し」等云云。】
しかし、善導は「法華経では、千人の中で一人の成仏も出来ない」と書いており、

【法華経と善導とは水火なり。】
これでは、釈迦の説いた法華経と善導の主張は相容れないのです。

【善導は観経をば十即十生・百即百生と。】
また、善導は、観経を十即十生、百即百生と褒め称えていますが、

【無量義経に云はく観経は「未だ真実を顕はさず」等云云。】
無量義経には、観経は「未だ真実を顕はさず」と書かれています。

【無量義経と】
この法華経を真実と明かした無量義経と法華経を誹謗したあげく、

【楊柳房〔ようりゅうぼう〕とは天地なり。】
柳の木で自殺をはかり二週間、苦しみ死んだ善導の考えとは天地雲泥だったのです。

【此を阿弥陀仏の僧と成りて、】
この夢に出て来た僧を阿弥陀仏の使いと思い、

【来たって真なりと証せば、あに真事ならんや。】
観経を真実の証明だと思ったのは、いったい、どう云う事なのでしょうか。

【抑〔そもそも〕阿弥陀は法華経の座に来たりて、】
そもそも、この阿弥陀仏は、法華経の会座に来て、

【舌をば出だし給はざりけるか。】
この法華経こそ、真実であると証明した三世諸仏の一人ではないでしょうか。

【観音・勢至は】
阿弥陀仏の脇士である観音菩薩や勢至菩薩は、

【法華経の座にはなかりけるか。】
法華経が説かれている場所に居なかったのでしょうか。

【此をも〔以〕てをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。】
これだけ考えても慈覚大師の夢の解釈は、おかしいのです。


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