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報恩抄 31 日蓮大聖人の報恩
第30章 日蓮大聖人の報恩
【此の事日本国の中に但日蓮一人計りしれり。】
この事を日本で知っているのは、日蓮だけなのです。
【いゐいだすならば殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕の】
これを、もし、人々に言い出したならば、中国の殷の紂王が
【比干〔ひかん〕が胸をさ〔割〕きしがごとく、】
諫言〔かんげん〕をした家臣の比干の胸を割〔さ〕いたように、
【夏〔か〕の桀王〔けつおう〕の竜蓬〔りゅうほう〕が頸を切りしがごとく、】
また中国の夏の桀王が諫言〔かんげん〕をした家臣の竜蓬の首を斬ったように、
【檀弥羅王〔だんみらおう〕の師子尊者が頸を刎〔は〕ねしがごとく、】
インドの檀弥羅王が師子尊者の首を刎〔は〕ねたように、
【竺〔じく〕の道生〔どうしょう〕が流されしがごとく、】
竺の道生が蘇山〔そざん〕に流されたように、
【法道三蔵のかなやき〔火印〕をや〔焼〕かれしがごとくならんずらんとは、】
法道三蔵が顔に焼け印を押されたように迫害される事は、
【かねて知りしかども、】
かねてから知っていたけれども、
【法華経には「我身命を愛せず、但〔ただ〕無上道を惜しむ」ととかれ、】
法華経には「我れ、身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」と説かれており、
【涅槃経には「寧〔むし〕ろ身命を喪〔うしな〕ふとも】
涅槃経には「むしろ身命を失うとも
【教を匿〔かく〕さゞれ」といさめ給えり。】
正法を隠さざれ」と諌められています。
【今度命ををしむならばいつの世にか仏になるべき、】
今生で命を惜しんでいたならば、いつの世に仏になる事が出来るのでしょうか。
【又何〔いか〕なる世にか父母師匠をもすく〔救〕ひ奉るべきと、】
いつの世になったら、父母や恩師を救う事が出来るのでしょうか。
【ひとへ〔偏〕にをも〔思〕ひ切りて申し始めしかば、】
そう考えて思い切って、この事を言い始めると、
【案にたがはず或は所をお〔追〕ひ、或はの〔詈〕り、或はう〔討〕たれ、】
案に違わず、住んでいる所を追われ、罵〔ののし〕られ、叩かれて、
【或は疵〔きず〕をかうふ〔被〕るほどに、去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に】
傷を負い、去る弘長元年五月十二日に
【御勘気〔ごかんき〕をかうふりて、伊豆国伊東にながされぬ。】
幕府の怒りを買い理不尽な命令によって伊豆の伊東に流されたのです。
【又同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆ〔赦〕りぬ。】
しかしそれは、弘長三年二月二十二日に許されました。
【其の後弥〔いよいよ〕菩提心強盛〔ごうじょう〕にして申せば、】
その後、いよいよ、確信を深めてこの事を言ったので、
【いよいよ大難かさなる事、大風に大波の起こるがごとし。】
いよいよ大難が重なり、それは、大風で大波が起こるのと同じであったのです。
【昔の不軽〔ふきょう〕菩薩の杖木のせめも】
まるで、それは過去世で不軽菩薩が杖木で叩かれた事を、
【我が身につみしられたり。】
今、我が身で知ったのでした。
【覚徳比丘〔かくとくびく〕が歓喜仏〔かんぎぶつ〕の】
覚徳比丘が歓喜増益如来の
【末の大難も此には及ばじとをぼゆ。】
末法時代に大難を受けたけれども、この日蓮の大難には及ばないのです。
【日本六十六箇国〔かこく〕、島二つの中に、】
それは、日本六十六カ国の島の中に日蓮が、
【一日片時も何れの所にすむべきやうもなし。】
一日、また片時も、どのような場所であっても心が休まる場所がないからなのです。
【古〔いにしえ〕は二百五十戒を持ちて】
過去に二百五十戒を持〔たも〕った
【忍辱〔にんにく〕なる事、羅云〔らうん〕のごとくなる】
羅□羅〔らごら〕のような
【持戒の聖人も、富楼那〔ふるな〕のごとくなる智者も、】
持戒の聖人でも、また富楼那のような智者であっても、
【日蓮に値〔あ〕ひぬれば悪口をは〔吐〕く。】
日蓮に会って、この事を聞くとなると、みんな悪口を言い出すのです。
【正直にして魏微〔ぎちょう〕・忠仁公〔ちゅうじんこう〕のごとくなる賢者等も】
正直な中国の太宗皇帝の忠臣、魏微や日本の藤原良房のような賢者たちも
【日蓮を見ては理をまげて非とをこ〔行〕なう。】
日蓮を見ると道理を曲げて、みんな非道な事を行うようになるのです。
【いわうや世間の常の人々は犬のさる〔猿〕をみたるがごとく、】
いわんや世間の普通の人々は、犬が猿を見た時のように、
【猟師が鹿をこめたるににたり。】
猟師が鹿に会った時のように、日蓮を敵視するのです。
【日本国の中に一人として故こそあるらめという人なし。】
日本に一人として日蓮の言う事を正しいと思う人はいないのです。
【道理なり。人ごとに念仏を申す、人に向かふごとに】
しかし、これも道理であるのです。なぜならば念仏を信じている人に会うたびに、
【念仏は無間〔むけん〕に堕〔お〕つるというゆへに。】
念仏は無間地獄に堕ちると言うからであり、
【人ごとに真言を尊〔とうと〕む、】
真言を尊〔とうと〕ぶ人に会うたびに、
【真言は国をほろぼす悪法という。】
真言は国を亡ぼす悪法であると言うからなのです。
【国主は禅宗を尊む、】
国主が禅宗を尊〔とうと〕んでいるのに、
【日蓮は天魔の所為というゆへに、】
日蓮が天魔の所業であると断言しているからなのです。
【我と招けるわざわひなれば人のの〔詈〕るをもとが〔咎〕めず。】
このように自分自身で招いた事なので人の罵〔ののし〕る事も、
【とがむとても一人ならず。】
とがめず、とがめたとしても相手は、大勢なのでとがめようもないのです。
【打つをもいたまず、本より存ぜしがゆへに。】
叩かれても覚悟の上の事なので後悔などしないのです。
【かういよいよ身もを〔惜〕しまずせ〔責〕めしかば、】
このように身命も惜〔お〕しまずに人々の謗法を責〔せ〕めたので、
【禅僧数百人、念仏者数千人、真言師百千人、或は奉行〔ぶぎょう〕につき、】
禅僧が数百人、念仏者が数千人、真言師が百千人が為政者に取り入り、
【或はきり〔権家〕人につき、或はきり〔権閨〕女房につき、】
あるいは、その家の者に取り入り女房に取り入り、
【或は後家尼〔ごけあま〕御前等えつひて】
あるいは、後家尼御前などに取り入って、
【無尽のざんげん〔讒言〕をなせし程に、最後には天下第一の大事、】
数々の讒言〔ざんげん〕をして最後には、天下の一大事である、
【日本国を失はんと呪そ〔咀〕する法師なり。】
日蓮は、日本を滅ぼそうと呪詛〔じゅそ〕する法師であり、
【故最明寺〔こさいみょうじ〕殿・極楽寺殿を】
故北条時頼殿、故北条時重殿を
【無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。】
無間地獄に堕ちたと言ってまわっている法師であると言い、
【御尋ねあるまでもなし、但須臾〔しゅゆ〕に頸〔くび〕をめせ。】
その言い訳を聞くまでもなく即座に首を討つべきであると主張したのです。
【弟子等をば又或は頸を切り、或は遠国につかはし、】
そして、その通りに弟子の頸を切れ、遠国に流罪せよ、
【或は籠〔ろう〕に入れよと】
籠〔ろう〕に入れよと
【尼ごぜん〔御前〕たち〔達〕いか〔怒〕らせ給ひしかば、】
尼御前たちが怒〔いか〕り狂ったので、
【そのまゝ行なはれけり。】
実際にその通りになったのです。
【去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は】
その事によって日蓮自身も去る文永八年九月十二日の夜、
【相模国〔さがみのくに〕たつの口にて切らるべかりしが、】
相模国の竜の口で首を切られる事になったのですが、
【いかにしてやありけん、】
どうしたわけか、
【其の夜はのびて依智〔えち〕というところへつきぬ。】
その夜は、命が助かって相模国の依智と言う所に連れていかれたのです。
【又十三日の夜はゆ〔赦〕りたりととゞめ〔轟〕きしが、】
そして十三日の夜には、罪が許されたと混乱して騒いでいたのに、
【又いかにやありけん、さど〔佐渡〕の国までゆく。】
また、どうしたわけか佐渡への流罪となったのです。
【今日切る、あす切る、といゐしほどに四箇年というに、】
そうやって今日切る、明日切る、と言って四年間も月日が経ち、
【結句〔けっく〕は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆ〔赦〕りて、】
結局は、去る文永十一年二月十四日に赦免されて、
【同じき三月二十六日に鎌倉へ入り、同じき四月の八日、】
同じく三月二十六日に鎌倉に戻り、同じ四月八日に
【平左衛門尉〔へいのさえもんのじょう〕に見参〔げんざん〕して】
平左衛門尉に対面して、
【やうやうの事申したりし中に、】
いろいろな事を話した中で、
【今年は蒙古は一定〔いちじょう〕よ〔寄〕すべしと申しぬ。】
今年、蒙古は必ず攻めて来るであろうと申し上げたのです。
【同じき五月の十二日にかまくら〔鎌倉〕をいでて此の山に入れり。】
そして五月十二日に鎌倉を出発して身延の山に入ったのでした。
【これはひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほう〔報〕ぜんがために】
これは、ひとえに父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国の恩に、報いる為に
【身をやぶり命をすつ〔捨〕れども破れざればさてこそ候へ。】
身を破り命を捨てたればこその事なのです。
【又賢人の習ひ、三度〔みたび〕国をいさ〔諫〕むるに用ゐずば】
また賢人の過去の習いとして、三度、国を諫〔いさ〕めて用〔もち〕いられなければ
【山林にまじわれということは定まれるれい〔例〕なり。】
山林に隠遁〔いんとん〕せよと言われている例に従ったのです。