日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 39 報恩抄送文


第38章 報恩抄送文

【報恩抄送文 建治二年七月二六日 五五歳】
報恩抄送文 建治二年(西暦1276年)7月26日 55歳御作

【御状給はり候ひ畢〔おわ〕んぬ。】
御手紙を確かに頂きました。

【親疎〔しんそ〕と無く法門と申すは】
親しい仲であっても、疎遠であっても、法門と言うものは、

【心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ、御心得候へ。】
信心がない者には、軽々しく言わない方が良いと思って下さい。

【御本尊図して進〔まい〕らせ候。此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後、】
御本尊を書いてさしあげました。この法華経は、仏の在世よりも仏の滅後、

【正法よりも像法、像法よりも末法の初めには】
正法よりも像法、像法よりも末法の初めに、

【次第に怨敵〔おんてき〕強くなるべき由をだにも】
次第に怨敵が強くなり、法門を説く事が困難になると

【御心へ〔得〕あるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。】
理解されれば、日本にこの他に法華経の行者は居ない事がわかるでしょう。

【これを皆人存じ候ひぬべし。】
この事を、人々は、知るべきなのです。

【道善御房の御死去の由、去ぬる月粗〔ほぼ〕承り候。】
道善御房の御死去された事は、前の月に、だいたいの事は承知しました。

【自身早々と参上し、】
そこで日蓮自身が早速、清澄寺に参上しようと思い、

【此の御房をもやがてつか〔遣〕はすべきにて候ひしが、】
この弟子の日向をすぐに使いに出したところなのです。

【自身は内心は存ぜずといへども】
しかし日蓮自身は、そうは思っていないのに

【人目には遁世〔とんせい〕のやうに見えて候へば、】
人の目では世間から離れたように見られているので、

【なにとなく此の山を出でず候。此の御房は、又内々人の申し候ひしは、】
この山を離れる事が出来ないでいるのです。この日向は、内々に人々が近いうちに、

【宗論やあらんずらんと申せしゆへに、】
宗論があると噂しているので、

【十方にわ〔分〕かて経論等を尋ねしゆへに、】
四方に手分けして経論などを尋ね集める為に、

【国々の寺々へ人をあまたつか〔遣〕はして候に、】
他国の寺々へ人を派遣しており、この日向が駿河の国に派遣していたところ、

【此の御房はするが〔駿河〕の国へつか〔遣〕はして当時こそ来たりて候へ。】
ちょうど、帰って来たので、すぐに清澄寺に向かわせたのです。

【又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ、】
また、この文は、日蓮の法門の大事の中の大事を書いているので、

【詮なからん人々にき〔聞〕かせなばあ〔悪〕しかりぬべく候。】
関係ない人々に聞かせては、必ず不都合な事が起こるので聞かせてはなりません。

【又設〔たと〕ひさなくとも、】
たとえ、そうでなくても、

【あまたになり候はゞほか〔外〕ざま〔様〕にもきこえ候ひなば、】
多くの人々に言えば、関係ない人にも聞こえて、

【御ため又このため安穏ならず候はんか。】
その為に、大変な事が起こってしまいます。

【御まへ〔前〕と義城房と二人、此の御房をよみて〔読手〕として、】
それで、浄顕坊と義城房と二人だけで、この日向を読み手として、

【嵩がもり〔森〕の頂にて二・三遍、】
嵩が森〔かさがもり〕の頂上で、二度、三度、聞いて、

【又故〔こ〕道善御房の御はか〔墓〕にて一遍よませさせ給ひては、】
また、故道善御房の墓で一遍、読んで、

【此の御房にあづけさせ給ひてつねに御聴聞候へ。】
その後は、この日向に預けておいて、常にこの法門の内容をお尋ねしてください。

【たびたびになり候ならば、心づ〔付〕かせ給ふ事候なむ。】
何度も聞いているうちに、なるほどと心で納得される事があると思います。

【恐々謹言。】
恐れながら申し上げます。

【七月二十六日 日蓮花押】
7月26日 日蓮花押

【清澄御房】
清澄御房へ


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