日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


報恩抄 28 弘法の霊験を破す


第27章 弘法の霊験を破す

【問うて云はく、弘法大師の心経の秘鍵〔ひけん〕に云はく】
それでは、質問しますが、弘法大師の「般若心経の秘鍵」には

【「時に弘仁九年の春天下大疫す。】
「弘仁九年の春に天下に疫病が流行したと書かれています。

【爰〔ここ〕に皇帝自ら黄金を筆端〔ひったん〕に染め】
そこで皇帝が自〔みずか〕ら黄金を筆に染めて

【紺紙〔こんし〕を爪掌〔そうしょう〕に握って】
紺紙を掌〔てのひら〕に握って

【般若心経一巻を書写し奉りたまふ。予講読の撰に範〔のっと〕りて】
般若心経一巻を書写したが、その時に弘法大師は、その般若心経を読む命令を受け、

【経旨の宗を綴〔つづ〕り】
経の趣旨〔しゅし〕をつづり、

【未だ結願〔けちがん〕の詞〔ことば〕を吐かざるに、】
未だ、その祈祷の言葉を述べ終わっていないのにも関わらず、

【蘇生〔そせい〕の族途〔みち〕に彳〔たた〕ずむ。】
疫病の流行が終わり、それから蘇生した者たちが、多く道にたたずんでおり、

【夜変じて日光赫々〔かくかく〕たり。】
その時、夜にもかかわらず日光が輝いていたと言うのです。

【是愚身〔ぐしん〕の戒徳に非ず、】
これに対して弘法大使は、これは愚かな我が身の威徳ではなく、

【金輪〔こんりん〕の御信力の所為なり。】
すべて金輪聖王である天皇の仏法を信じる力によるのであるが、

【但神舎〔じんしゃ〕に詣でん輩は此の秘鍵を誦〔じゅ〕し奉れ。】
ただし、今後は、神社に詣でる者は、この般若心経の秘鍵を読むべきである。

【昔、予、鷲峰〔じゅぶ〕説法の筵〔むしろ〕に陪〔ばい〕して、】
それは、弘法大師が過去に霊鷲山において釈迦牟尼仏の説法の末席に列し、

【親しく其の深文〔じんもん〕を聞きたてまつる。豈〔あに〕其の義に】
甚深の法門を親しく聞いたのである。ゆえに、どうして弘法大師がその経文の意義が

【達せざらんや」等云云。】
わからない事などあろうか」と述べているのです。

【又孔雀〔くじゃく〕経の音義に云はく「弘法大師帰朝の後、】
また「孔雀経の音義」には、「弘法大師が帰朝した後に

【真言宗を立てんと欲し、諸宗を朝廷に群集〔ぐんしゅう〕す。】
真言宗を立宗しようと思って諸宗の代表を朝廷に集めて議論した。

【即身成仏の義を疑ふ。】
その時に諸宗は、みんな真言の即身成仏の教義を疑ったが、

【大師智拳〔ちけん〕の印〔いん〕を結びて南方に向かふに、】
弘法大師が智拳の印を結んで南方に向かうと、

【面門俄〔にわ〕かに開いて金色の毘盧遮那〔びるしゃな〕と成り、】
その弘法大師の面門が、にわかに開いて金色の毘盧遮那仏と成って、

【即便〔すなわち〕本体に還帰〔げんき〕す。】
即座に法身仏の本体に立ち返った。

【入我我入の事、】
このように我が身に仏が入り、仏に我が身が入って、

【即身頓証の疑ひ、此の日釈然たり。然るに真言瑜伽〔ゆが〕の宗、】
即身頓証の疑いが、この日に見事に晴れ、これによって大日如来の真言宗である

【秘密〔ひみつ〕曼荼羅〔まんだら〕の道、彼の時より建立しぬ」と。】
秘密曼荼羅の道場が建立されたのである」と書かれているのです。

【又云はく「此の時に諸宗の学徒大師に帰して、】
またこの「孔雀経の音義」には、「諸宗の学徒は、弘法大師に帰依して、

【始めて真言を得て、請益〔しょうやく〕し習学す。】
始めて真言を得て仏法を理解できたのである。

【三論の道昌〔どうしょう〕、法相の源仁〔げんにん〕、】
三論の道昌、法相の源仁、

【華厳の道雄〔どうおう〕、天台の円澄〔えんちょう〕等、】
華厳の道雄、天台の円澄など、

【皆其の類〔たぐい〕なり」と。】
みんな、この類〔たぐい〕なのである」と書かれているのです。

【弘法大師の伝に云はく「帰朝〔きちょう〕泛舟〔はんしゅう〕の日】
弘法大師の伝記には「弘法大師が帰朝する為に船に乗った出発の日、

【発願〔ほつがん〕して云はく、】
このように願いをかけた。

【我が所学の教法若〔も〕し感応〔かんのう〕の地有らば、】
私が習った教法を弘める事に最も適した場所があるならば、

【此の三鈷〔さんこ〕其の処に到るべしと。】
この仏具の三鈷がそこに届いて落ちているだろうと言って、

【仍〔よ〕って日本の方に向かって】
そこから日本の方に向かって

【三鈷を抛〔な〕げ上ぐるに遥〔はる〕かに飛んで雲に入る。】
仏具の三鈷を投げると遥か遠くに飛んで行き雲に入ったと言うのです。

【十月に帰朝す」云云。又云はく「高野山〔こうやさん〕の下に】
その後、10月に日本に着いたのです。そして高野山に

【入定〔にゅうじょう〕の所を占〔し〕む。】
弘法大師が行くと、

【乃至彼の海上の三鈷今新たに此に在り」等云云。】
その場所に海上から投げた仏具の三鈷がそこにあった」と云うのです。

【此の大師の徳無量なり。】
このように弘法大師の威徳は、無量であり、

【其の両三を示す。かくのごとくの大徳あり。】
その中の三つだけを示しても、このように大きな威徳であるのです。

【いかんが此の人を信ぜずして、】
どうしてこのような偉大な人を信じずに

【かへ〔還〕て阿鼻〔あび〕地獄に堕つるといはんや。】
還って無間地獄に堕ちるなどと言うのですか。

【答へて云はく、予も仰いで信じ奉る事かくのごとし。】
それに答えるとすると、確かに日蓮も信じたいと思うのですが、

【但し古〔いにしえ〕の人々も不可思議の徳ありしかども、】
昔から、このような不思議な威徳を現す者もいたのですが、

【仏法の邪正は其れにはよらず。】
仏法の正邪は、それではわからないのです。

【外道が或は恒河〔ごうが〕を耳に十二年留め、】
外道のバラモンが恒河の水をすべて耳に十二年間も留め、

【或は大海をす〔吸〕ひほし、或は日月を手ににぎり、】
大海を一日にして吸い干し、日月を手に握って、

【或は釈子を牛羊〔ごよう〕となしなんどせしかども、】
釈迦牟尼仏の弟子を牛や羊のようにしたけれども、

【いよいよ大慢をを〔起〕こして生死〔しょうじ〕の業とこそなりしか。】
いよいよ慢心を起こして生死を繰り返す原因となったのです。

【此をば天台云はく「名利を邀〔もと〕め】
この事を天台大師は「名聞名利を求めるもので

【見愛〔けんない〕を増す」とこそ釈せられて候へ。】
見思惑を深めたに過ぎない」と説明しているのです。

【光宅〔こうたく〕が忽〔たちま〕ちに雨を下らし】
光宅寺の法雲が瞬く間に法華経薬草喩品の句で雨を降らし、

【須臾〔しゅゆ〕に花を感ぜしをも、】
天から花が舞い降りたのも、

【妙楽は「感応此くの若〔ごと〕くなれども】
妙楽大師は「このような不思議な現実があったとしても、

【猶理に称〔かな〕はず」とこそか〔書〕ゝれて候へ。】
仏法の道理から外れている」と書かれて否定されているのです。

【されば天台大師の法華経をよみて須臾に甘雨を下らせ、】
そうであれば天台大師も法華経を読んで、すぐに優しい雨を降らせ、

【伝教大師の三日が内に甘露〔かんろ〕の雨をふらしてをは〔御座〕せしも、】
伝教大師も三日が内に丁度良い雨を降らせているのですが、

【其れをもって仏意に叶ふとはをほ〔仰〕せられず。】
それをもって仏法の道理にかなったとは言われていないのです。

【弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論〔けろん〕の法と定め、】
弘法大師がどのような威徳があったとしても、法華経を戯論の法門と言い、

【釈迦仏を無明〔むみょう〕の辺域とかゝせ給へる御ふで〔筆〕は、】
釈迦牟尼仏を無明の辺域と執筆された事を、

【智慧かしこからん人は用ふべからず。】
智慧がある人は、絶対に用〔もち〕いてはいけないのです。


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