日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御消息文 02 南条兵衛七郎殿御書

【南条兵衛七郎殿御書 文永元年一二月一三日 四三歳】
南条兵衛七郎殿御書 文永元年12月13日 43歳御作


【御所労の由承り候はまことにてや候らん。】
御病気と聞きましたが、それは、ほんとうでしょうか。

【世間の定めなき事は病なき人も留〔とど〕まりがたき事に候へば、】
世の中は、無常であり、病気でない人も、死は、まぬがれません。

【まして病あらん人は申すにおよばず。】
まして、病気の人は、申すまでもない事です。

【但心あらん人は後世をこそ思ひさだむべきにて候へ。】
それゆえに、心ある人は、後世の事を考えておくべきなのです。

【又後世を思ひ定めん事は私にはかな〔叶〕ひがたく候。】
しかしまた、後世を考える事は、自分だけの力では、とても無理なのです。

【一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。】
一切衆生の師である釈尊の教えにこそ、その本当の意義があるのです。

【而るに仏の教へ又まちまちなり。】
それなのに、その仏の教えも、また、それぞれであり、違うのです。

【人の心の不定なるゆへか。】
それは、それを聞く人々の心が様々であるからなのです。

【しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず。さき四十余年の間の法門に、】
しかしながら、釈尊の説教は、五十年しかなく、最初の四十余年間の法門で、

【華厳経には「心仏及衆生、是三無差別」と。】
華厳経には「心と仏と及び衆生と、この三は差別なきなり」と説かれ、

【阿含経には「苦・空・無常・無我」と。】
阿含経には「苦、空、無常、無我」と説かれ、

【大集経には「染浄〔ぜんじょう〕融通〔ゆうずう〕」と。】
大集経には「染浄〔ぜんじょう〕融通〔ゆうずう〕」と説かれ、

【大品経には「混同無二」と。】
大品般若経には「混同無二〔こんどうむに〕」と説かれ、

【双観経・観経・阿弥陀経等には「往生極楽」と。】
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経などには「往生極楽」と説かれているのです。

【此等の説教はみな正法・像法・末法の】
これらの説は、すべて、釈迦滅後の正法、像法、末法の

【一切衆生をすく〔救〕はんがためにこそと〔説〕かれはんべり候ひけめ。】
一切衆生を救う為に説かれているのですが、

【而れども仏いかんがおぼしけん、無量義経に】
しかしながら、仏は、何と思われたのか、無量義経において

【「方便力を以て四十余年には未だ真実を顕はさず」とと〔説〕かれて、】
「方便の力を以って四十余年の間は、未だ真実を顕はさず」と説かれて、

【先四十余年の往生極楽等の一切経は、】
最初の四十余年間に説いた「往生極楽」などの一切経は、

【親の先判のごとくく〔悔〕ひかえされて】
御成敗式目にあるように最初の譲り状よりも後ろの譲り状を用いて、

【「無量無辺不可思議阿僧祇劫〔あそうぎこう〕を過ぐるとも】
「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎるほどに修行しても、

【終〔つい〕に無上菩提を成ずることを得ず」といゐきらせ給ひて、】
ついに無上菩提を成ずることを得ず」と言い切られて、

【法華経の方便品に重ねて】
法華経の方便品に重ねて

【「正直に方便を捨てゝ但〔ただ〕無上道を説く」とと〔説〕かせ給へり。】
「正直に方便の教えを捨てて、ただ無上道を説く」と説かれているのです。

【方便をす〔捨〕てよとと(説)かれてはんべるは、】
方便を捨てよと説かれているのは、

【四十余年の念仏等をすてよととかれて候。】
四十余年の念仏などを捨てよと言うことなのです。

【かうたし〔確〕かにく〔悔〕いかえして、実義をさだ〔定〕むるには】
このように前の教えを、すべて捨てられてから、真実を説く為に

【「世尊は法久しくして後要〔かなら〕ず当〔まさ〕に真実を説くべし」】
「世尊は、法、久しくして後、かならず当に真実を説く」と言われ、

【「久しく斯〔こ〕の要を黙して務〔いそ〕ひで速やかに説かず」等と】
「久しく、この要を黙して、いそいで速やかに説かず」と

【さだめられしかば、多宝仏大地よりわ〔涌〕きい〔出〕でさせ給ひて、】
定められたので、多宝仏は、大地より涌き出られて、

【この事真実なりと証明をくわ〔加〕へ、十方の諸仏八方にあつまりて】
この事は、真実であると証明を加えられ、十方の諸仏は、四方八方から集まって、

【広長舌相〔ぜっそう〕を大梵天宮につけさせ給ひき。】
広長舌相を大梵天宮に付けられて、それを証明されたのです。

【二処三会〔ね〕、】
法華経の二処三会〔にしょさんね〕に集った

【二界八番の衆生】
欲界、色界の竜王衆、阿修羅王衆、人王衆などの雑衆は、

【一人もなくこれをみ〔見〕候ひき。】
一人も漏れなく、これを見たのです。

【比等の文をみ〔見〕候に仏教を信ぜぬ悪人外道はさておき候ひぬ。】
これらの文章を見ると、仏教を信じない悪人や外道は、ともかくとして、

【仏教の中に入り候ひても爾前権教の念仏等を厚く信じて】
仏教を信じながらも、法華経以前の権教である念仏などを厚く信じて、

【十遍・百遍・千遍・一万乃至六万等を一日にはげ〔励〕みて、】
一日に十遍、百遍、千遍、一万遍、また、六万遍と念仏を唱えて、

【十年二十年のあひだ〔間〕にも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人々は】
十年、二十年の間に一遍も南無妙法蓮華経と唱えない人々は、

【先判〔せんぱん〕に付いて】
御成敗式目に反する最初の譲り状を用いて、

【後判〔ごはん〕をもち〔用〕ゐぬ者にては候まじきか。】
後ろの譲り状を用いない者では、ないでしょうか。

【此等は仏説を信じたりげには、我が身も人も思ひたりげに候へども】
それらの人は、仏説を信じていると自分も思い、人も思っているのですが、

【仏説の如くならば不孝の者なり。】
仏説にもとづけば、仏を信じない不孝の者なのです。

【故に法華経の第二に云はく「今此の三界は皆是〔これ〕我が有〔う〕なり。】
ゆえに法華経の第二巻に「今、この三界は、皆、これ我が有〔う〕である。

【其の中の衆生は悉く是吾が子なり。】
その中の衆生は、ことごとく、これ吾〔わ〕が子である。

【而も今此の処は諸の患難〔げんなん〕多し。】
しかも今、この場所は、もろもろの悩み苦しみが多い。

【唯〔ただ〕我一人のみ能〔よ〕く救護〔くご〕を為す。】
ただ、我一人のみ、よく救護をなす。

【復教詔〔きょうしょう〕すと雖も而〔しか〕も信受せず」等云云。】
しかし、種々に教え、諭しても、信受せず」と説かれているのです。

【此の文の心は釈迦如来は我等衆生には】
この文章の心は、釈迦如来は、我ら衆生にとっては、

【親なり、師なり、主なり。】
親であり、師であり、主であると言う事なのです。

【我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましま〔座〕せども】
我ら衆生にとって、阿弥陀仏や薬師仏などは、主では、あっても、

【親と師とにはましまさず。】
親や師ではないのです。

【ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎ〔限〕りたてまつる。】
ひとり三徳を兼ね具えて、御恩深き仏は、釈迦一仏に限るのです。

【親も親にこそよれ釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、】
親は、親でも釈尊ほどの親は、いないのです。師は、師でも、

【主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがた〔有難〕くこそはべれ。】
釈尊ほどの親は、いないのです。主は、主でも釈尊ほどの主は、いないのです。

【この親と師と主との仰せをそむ〔背〕かんもの天神〔てんじん〕地祇〔ちぎ〕に】
この親と師と主であるとの言葉に背く者が、天神、地祇〔ちぎ〕に

【す〔捨〕てられたてまつらざらんや、不孝第一の者なり。】
捨てられないなどと言う事があるでしょうか。なぜなら、第一の不孝の者なのです。

【故に「復教詔すと雖も而も信受せず」等と説かれたり。】
ゆえに「しかし、種々に教え、諭しても、信受せず」などと説かれているのです。

【たとひ爾前の経につかせ給ひて百千万億劫〔こう〕行ぜさせ給ふとも、】
たとえ法華経以前の経文について、百千万億劫の間、修行したとしても、

【法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずば、】
法華経を信じて、一遍の南無妙法蓮華経さえ唱えないならば、

【不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ】
不孝の人であるゆえに、三世十方の菩薩、声聞、縁覚にも捨てられ、

【天神地祇にもあだ〔怨〕まれ給はんか(是一)。】
天神、地祇にも憎まれることでしょう。これが一つです。

【たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も、】
また、たとえ、五逆罪、十悪、無量の悪を作っている人でも、

【根〔こん〕だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多・】
仏法を理解する能力さえあれば、得道することが有り得ます。仏敵の提婆達多や

【鴦崛摩羅〔おうくつまら〕等これなり。】
殺人鬼で後に出家し、阿羅漢となった鴦崛摩羅〔おうくつまら〕などがこれです。

【たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり、】
たとえ仏法を理解する能力がなくても、罪がなければ、得道することもあります。

【須利槃特〔すりはんどく〕等是なり。】
自分の名前さえ忘れるのに阿羅漢となった須利槃特〔すりはんどく〕がこれです。

【我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもす〔過〕ぎ、】
我ら衆生は、須利槃特以上に仏法を理解できず、

【物のいろかたち〔色形〕をわきま〔弁〕へざる事羊目〔ようもく〕のごとし。】
物質の性質や本質を理解する能力がないことは、まるで羊の目と同様なのです。

【貪〔とん〕瞋〔じん〕癡〔ち〕きわめてあつ〔厚〕く、】
貪〔とん〕、瞋〔じん〕、癡〔ち〕は、極めて厚く、

【十悪は日々にをか〔犯〕し、】
身口意の三業による十悪の罪を日々に犯し、

【五逆をばおかさゞれども】
五逆罪は、犯さしては、いなくても、

【五逆に似たる罪又日々におかす。】
五逆罪に似た罪は、日々に犯しているのです。

【又十悪五逆にすぎたる謗法は人ごとにこれあり。】
また、十悪、五逆罪より大きな謗法の罪を多くの人が犯しており、

【させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども、】
あからさまな、ひどい言葉でもって法華経を誹謗する人は、少ないけれども、

【人ごとに法華経をばもち〔用〕ゐず。】
法華経を信じないと言う罪は、多くの人々が犯しており、

【又もちゐたる様なれども念仏等の様には信心ふか〔深〕からず。】
また、信じているようでも、念仏などのようには、信仰が深くないのです。

【信心ふかき者も法華経のかたき〔敵〕をばせ〔責〕めず。】
また、信心の深い者でも、なかなか法華経の敵〔てき〕を責めようとしないのです。

【いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、】
どのような大善を作り、法華経を千万部読み書写し、

【一念三千の観道を得たる人なりとも、】
一念三千の観心の道を得た人であっても、

【法華経のかたき〔敵〕をだにもせめざれば得道ありがたし。】
法華経の敵〔てき〕を責めなければ、得道は、出来ないのです。

【たとへば朝につか〔仕〕ふる人の十年二十年の奉公あれども、】
たとえば、朝廷に仕える人が十年、二十年と奉公しても、

【君の敵をし〔知〕りながら奏〔そう〕しもせず、】
主君の敵を知りながら、それを知らせもせず、

【私にもあだ〔怨〕まずば、】
まるで他人のように恨みもしなければ、

【奉公皆う〔失〕せて還〔かえ〕ってとが〔咎〕に行なはれんが如し。】
永年の奉公は、すべて消え失せて、返って罪に問われるようなものなのです。

【当世の人々は謗法の者とし〔知〕ろしめすべし(是二)。】
現在の人々は、謗法の者と知るべきです。これが二つ目です。

【仏入滅の次の日より千年をば正法と申す、】
また、仏の入滅の次の日から千年を正法と言い、

【持戒の人多く又得道の人これあり。】
その間は、持戒の人が多く、得道した人も多くいました。

【正法千年の後は像法千年なり、】
正法の千年の後は、像法の千年であり、

【破戒者は多く得道すくなし。】
破戒の者が多く、得道した人も少なかったのです。

【像法千年の後は末法万年、持戒もなし破戒もなし、】
像法千年の後は、末法万年ですが、持戒もなく、破戒もなく、

【無戒者のみ国に充満せん。】
無戒の者のみ国に充満しているのです。

【而も濁世〔じょくせ〕と申してみだ〔乱〕れたる世なり。】
しかも濁世と言って乱れた世の中なのです。

【清世〔しょうせ〕と申してす〔澄〕める世には】
清世〔しょうせ〕と言う澄んだ世界では、

【直縄〔じきじょう〕のま〔曲〕がれる木をけづ〔削〕らするがやうに】
まるで墨につけた繩で直線を引いて、曲がった木を真っすぐに削り取るように、

【非をす〔捨〕て是を用ふるなり。】
非道理を捨てて道理を用いたのです。

【正像より五濁〔ごじょく〕やうやうい〔出〕できたりて】
しかし、正法、像法時代から、五濁が少しづつ出て来て、

【末法になり候へば五濁さか〔盛〕りにすぎて、】
末法になると五濁が非常に盛んになって、

【大風の大波をを〔起〕こしてきし〔岸〕をう〔打〕つのみならず】
大風が大波を起こして、岸を打つだけでなく、

【又波と波とをうつなり。】
また、波と波とが重なりあって、互いに打ち合うのです。

【見濁〔けんじょく〕と申すは正像やうやうす〔過〕ぎぬれば、】
五濁の中の見濁〔けんじょく〕によって、正法、像法と時代が過ぎると、

【わづかの邪法の一つをつた〔伝〕へて無量の正法をやぶ〔破〕り、】
わずかな邪義が、たった一つだけ伝わっても、真実の正法を破り、

【世間の罪にて悪道にお〔堕〕つるものよりも】
世間の罪によって悪道に堕ちる者よりも、

【仏法を以て悪道に堕つるもの多しとみ〔見〕へはんべり。】
仏法によって悪道に堕ちる者が多いのです。

【しかるに当世は正像二千年すぎて末法に入りて二百余年なり。】
しかるに現在は、正法、像法時代の二千年が過ぎて、末法に入って二百余年であり、

【見濁さかりにして悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻なり。】
見濁が盛んで、悪よりも、仏法の邪義によって多く悪道に堕ちる時期なのです。

【悪は愚癡〔ぐち〕の人も悪とし〔知〕ればしたが】
悪い事は、愚かな人であっても、それが自分にとって悪い事と理解できれば、

【〔従〕わぬへんもあり、】
それに従う事はありません。

【火を水を用ひてけ〔消〕すがごとし。】
これは、火を水によって消すようなものです。

【善は但善と思ふほどに】
善い事は、ただ、善い事であると思うものですから、

【小善に付いて大悪のをこる事をしらず、】
小さな善によって、正法を破り、大悪が起こることを理解できないのです。

【所以に伝教・慈覚等の聖跡〔しょうせき〕あり。すた〔廃〕れ】
ゆえに、伝教大師、慈覚大師などの聖跡が廃〔すた〕れ、

【あば〔荒〕るれども念仏堂にあらずとい〔云〕ゐてすてを〔捨置〕きて、】
荒れ果てていても、それが念仏堂ではないからと言って捨て置いて、

【そのかたわ〔傍〕らにあたら〔新〕しく念仏堂をつくり、】
その傍らに新しく念仏堂を作り、

【かの寄進の田畠をとりて念仏堂によ〔寄〕す。】
もとの聖跡に寄進されていた田畠を奪い取って、念仏堂に寄進するのです。

【此等は像法決疑経の文のごとくならば功徳すくなしと見へはんべり。】
これらは、像法決疑経の文章によれば、その念仏堂を作った功徳は、非常に少なく、

【此等をもち〔以〕てし〔知〕るべし。】
むしろ、聖跡を捨て置いたように、善い事であっても大善を破るような事をすれば、

【善なれども大善をやぶ〔破〕る小善は悪道に堕つるなるべし。】
小さな善では、大善を破り、悪道に堕ちることを知るべきなのです。

【今の世は末法のはじ〔初〕めなり、】
今の世は、末法の初めであり、

【小乗経の機・権大乗経の機みなう〔失〕せはてゝ】
小乗経で救われる力量の者、権大乗経で救われる力量の者は、すべて消えて、

【たゞ実大乗経の機のみあり。】
ただ、実大乗経で救われる力量の者のみなのです。

【小船には大石をの〔載〕せず。悪人愚者は大石のごとし。】
小船に大石を載せる事は出来ず、悪人、愚者は、その大石のようなものであり、

【小乗経並びに権大乗経念仏等は小船なり。】
小乗経ならびに権大乗経、念仏などは、小船なのです。

【大悪瘡〔あくそう〕の湯治〔とうじ〕等は病大なれば小治およ〔及〕ばず。】
大悪瘡の湯治は、病が大きいゆえ、短い療養では治りません。

【末代濁世の我等には念仏等はたとへば冬田を作れるが如し。】
末代濁世の我等には、念仏などは、たとえば冬に田を作るようなものなのです。

【時があ〔合〕はざるなり(是三)。】
まさに時期が合わないのです。これが三つ目です。

【国をし〔知〕るべし、国に随って人の心不定〔ふじょう〕なり。】
次に国を知らなければなりません。国によって人の心も異なるものです。

【たとへ〔例〕ば江南〔こうなん〕の橘〔たちばな〕の】
たとえば、揚子江の南岸の橘〔たちばな〕を

【淮北〔わいほく〕にうつ〔移〕されてからたち〔枳殻〕となる。】
淮河〔わいが〕の北岸に移せば、枳〔からたち〕となるのです。

【心なき草木すらところ〔所〕による、】
心なき草木ですら、このように所によって変わるのです。

【まして心あらんもの】
まして心のある者が、

【何ぞ所によらざらん。】
どうして所によって変わらないと言う事があるでしょうか。

【されば玄奘三蔵〔げんじょうさんぞう〕の西域〔さいいき〕と申す文に】
玄奘〔げんじょう〕三蔵の大唐西域記〔だいとうさいいきき〕には、

【天竺〔てんじく〕の国々を多く記〔しる〕したるに、】
インドの国々のことを多く記〔しる〕していますが、

【国の習ひとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。】
国の慣習として、不孝な国もあり、孝行の厚い国もあり、

【瞋恚〔しんに〕のさかんなる国もあり、愚癡の多き国もあり。】
瞋恚〔しんに〕の心の盛んな国もあり、愚か者が多い国もあり、

【一向に小乗を用ふべき国あり、一向大乗を用ふる国あり。】
もっぱら小乗経を用いる国もあり、もっぱら大乗経を用いる国もあり、

【大小兼学すべき国もあり等と見へ侍〔はべ〕り。】
大乗経と小乗経を兼学する国もあるようです。

【又一向に殺生の国、一向に偸盗〔ちゅうとう〕の国、】
また、殺生が多い国や盗みが多い国、

【又穀の多き国、粟〔あわ〕等の多き国不定なり。】
また、穀物の多い国、粟〔あわ〕などの多い国など様々なのです。

【抑〔そもそも〕日本国はいかなる教を習ひて】
そもそも日本は、どういう教えを習って、

【生死を離るべき国ぞと勘〔かんが〕へたるに、】
生死を離れるべき国であるかを考えると、

【法華経に云はく「如来の滅後に於て閻浮提〔えんぶだい〕の内に】
法華経に「如来の滅後において、閻浮提〔えんぶだい〕のうちに

【広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云。】
広く流布せしめ、断絶させてはならない」と説かれているのです。

【此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁〔うえん〕の経なり。】
この文章の心は、法華経は、世界の人々の為の経文であると言う意味なのです。

【弥勒〔みろく〕菩薩の云はく「東方に小国有り唯大機のみ有り」等云云。】
弥勒菩薩は「東方に小国があり、大乗経の機根の者だけがいる」と述べています。

【此の論の文の如きは閻浮提の内にも】
この論文によると、世界の中でも

【東の国に大乗経の機有るか。】
東の小国に大乗経でのみ救われる力量の者がいると言う事なのです。

【肇公〔じょうこう〕の記に云はく】
僧肇〔そうじょう〕法師の法華翻経後記〔ほんぎょうこうき〕には、

【「茲〔こ〕の典は東北の諸国に有縁なり」等云云。】
「この法華経は、東北の小国に縁がある」と書かれており、

【法華経は東北の国に縁ありとか〔書〕ゝれたり。】
法華経は、東北の国に縁があるのです。

【安然和尚〔あんねんわじょう〕云はく】
安然和尚〔あんねんわじょう〕は

【「我が日本国皆大乗を信ず」等云云。】
「我が日本国は、皆、大乗経を信じている」と述べており、

【慧心の一乗要決に云はく】
慧心僧都〔えしんそうず〕の一乗要決には、

【「日本一州円機純一」等云云。】
「日本は、純粋に法華円教の機根である」と記されています。

【釈迦如来・弥勒菩薩・須梨耶蘇摩〔しゅりやそま〕三蔵・】
釈迦如来、弥勒菩薩、須梨耶蘇摩〔しゅりやそま〕三蔵、

【羅什三蔵・僧肇法師〔そうじょうほっし〕・安然和尚・】
羅什三蔵、僧肇〔そうじょう〕法師、安然和尚〔あんねんわじょう〕、

【慧心の先徳等の心ならば】
慧心僧都〔えしんそうず〕など先徳の考えによれば、

【日本国は純〔もっぱ〕らに法華経の機なり。】
日本は、純粋に法華経の機根の国なのです。

【一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし。】
一句、一偈であっても行じたならば、必ず得道するのです。

【有縁の法なる故なり。】
それは、有縁の法であるからなのです。

【たとへばくろが〔鉄〕ねを磁石〔じしゃく〕のす〔吸〕うが如し。】
たとえば、それは、鉄を磁石が吸いつけるようなものであり、

【方諸〔ほうしょ〕の水をまね〔招〕くにに〔似〕たり。】
水晶の玉に水滴が着くのに似ています。

【念仏等の余善は無縁の国なり。】
念仏などの他の善とは、無縁の国なのです。

【磁石のかね〔鉄〕をす〔吸〕わず方諸の水をまね〔招〕かざるが如し。】
磁石が金属を吸いつけず、水晶の玉が水を招かないようなものなのです。

【故に安然の釈に云はく】
ゆえに安然〔あんねん〕和尚〔わじょう〕の解釈書には、

【「如〔も〕し実乗に非ずんば恐らくは自他を欺〔あざむ〕かん」等云云。】
「もし法華の実乗でなければ、おそらくは、自他を欺〔あざむ〕く」とあります。

【此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさづ〔授〕くるもの、】
この解釈の心は、日本の人に法華経でない法を授ける者は、

【我が身をもあざむ〔欺〕き人をもあざむく者と見えたり。】
我が身をもあざむき、人をもあざむく者であると言う意味なのです。

【されば法は必ず国をかゞ〔鑑〕みて弘むべし。】
そうであれば、法は、必ず国を考えて弘めるべきなのです。

【彼の国によ〔良〕かりし法なれば】
ある国に適した法であっても、

【必ず此の国によかるべしとは思うべからず是四。】
どの国にも適すると思ってはならないのです。これが第四番目です。

【又仏法流布の国においても先後を勘〔かんが〕ふべし。】
また、仏法の流布している国においても、その前後を考えなければなりません。

【仏法を弘むる習ひ、必ずさきに弘まりける法の様を知るべきなり。】
仏法を弘める習いとして、必ず、先に弘まっている法を知るべきなのです。

【例せば病人に薬をあた〔与〕ふるには】
たとえば、病人に薬を与えるには、

【さきに服したりける薬を知るべし。】
先に服用した薬のことを知らなければならないのです。

【薬と薬とがゆき合ひてあらそ〔争〕ひをなし、】
そうでないと薬と薬とが作用しあって、

【人をそん〔損〕ずる事あり。仏法と仏法とがゆき合ひてあらそひをなして、】
人の命を損なうことがあり、それと同様に仏法と仏法とで争いとなり、

【人を損ずる事のあるなり。さきに外道〔げどう〕の法弘まれる国ならば】
人の命を損なうことになるからです。先に外道の法が弘まっている国であるならば、

【仏法をもちてこれをやぶ〔破〕るべし。】
仏法をもって、これを破らなければなりません。

【仏の印度にいでて外道をやぶり、】
仏がインドに出られて、外道を破り、

【まとうか〔摩騰迦〕・ぢくほうらん〔竺法蘭〕の】
摩謄迦〔まとうか〕、竺法蘭〔じくほうらん〕が、

【震旦〔しんだん〕に来て道士をせ〔責〕め、】
中国に来て、外道である道教の士を責め、

【上宮太子〔じょうぐうたいし〕和国に生まれて】
聖徳太子が日本に生まれて、

【守屋〔もりや〕をき〔斬〕りしが如し。】
外道を信じる物部守屋〔もののべのもりや〕を滅ぼしたようなものなのです。

【仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもちてやぶるべし。】
仏教においても、小乗経の弘まっている国を大乗経で破折しなければなりません。

【無著菩薩〔むじゃくぼさつ〕の世親〔せしん〕の小乗をやぶりしが如し。】
かつてインドで無著〔むじゃく〕菩薩が世親の小乗経を破折したようなものです。

【権大乗の弘まれる国をば実大乗をもちてこれをやぶ〔破〕るべし。】
権大乗経の弘まっている国は、実大乗経で、これを破折しなければなりません。

【天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し。】
中国の天台智者大師が、南三北七の十師を破折したようなものです。

【而るに日本国は天台・真言の二宗ひろまりて今に四百余歳、】
しかるに日本は、天台宗、真言宗の二宗が弘まってから、今まで四百余年、

【比丘・比丘尼・うばそく〔優婆塞〕・うばひ〔優婆夷〕の四衆皆】
僧、尼僧、男性信者、女性信者の四者は、すべて

【法華経の機と定まりぬ。善人悪人・有智無智、】
法華経で救われる力量の者と定まったのです。善人、悪人、有智の者、無智の者も

【皆五十展転〔てんでん〕の功徳をそな〔具〕ふ。】
すべて、法華経に説かれる五十展転の功徳を備えているのです。

【たとへば崑崙山〔こんろんざん〕に石なく、】
たとえば崑崙山〔こんろんざん〕に石がなく、

【蓬莱山〔ほうらいさん〕に毒のなきが如し。】
蓬莱山〔ほうらいさん〕に毒がないようなものなのです。

【而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、】
しかるに、この五十余年に法然と言う大謗法の者が現れて、

【一切衆生をすか〔賺〕して、珠〔たま〕に似たる石をのべて】
衆生すべてを騙〔だま〕して、珠に似ている石をもって、

【珠を投げさせ石をとらせたるなり。】
珠を投げ捨てさせ、石を取らせたのです。

【止観の五に云はく「瓦礫〔がりゃく〕を貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。】
摩訶止観の巻五に「瓦礫を貴んで明珠とする」とあるのは、このことなのです。

【一切衆生石をにぎ〔握〕りて珠とおもふ。】
一切衆生は、石を握って珠と思っているのです。

【念仏を申して法華をす〔捨〕てたる是なり。】
念仏を称えて法華経を捨てるのが、それです。

【此の事をば申せば返ってはら〔腹〕をた〔立〕ち、】
この事を言うと世間の人は、返って腹を立て、

【法華経の行者をの〔罵〕りて、】
法華経の行者を罵〔ののし〕り、

【ことに無間〔むけん〕の業〔ごう〕をますなり是五。】
ことさらに無間地獄に堕ちる原因を作り、増しているのです。これが五番目です。

【但との〔殿〕は、このぎ〔義〕を聞〔き〕こし食〔め〕して、】
あなたは、この義を聞いて、

【念仏をすて法華経にならせ給ひてはべりしが、】
念仏を捨て、法華経をたもって来られましたが、

【定めてかへりて念仏者にぞならせ給ひてはべるらん。】
今は、きっと念仏者に戻っておられるでしょう。

【法華経をすてゝ念仏者とならせ給はんは、】
法華経を捨てて念仏者になられたならば、

【峰〔みね〕の石の谷へころ〔転〕び、空の雨の地にお〔落〕つるとおぼせ。】
山の峰の石が谷底へ転げ落ち、空の雨が地に落ちるようなものと思ってください。

【大阿鼻地獄疑ひなし。】
瞬く間に大阿鼻地獄に堕ちることは、このように、まったく疑いようがないのです。

【大通結縁の者の三千塵点劫〔じんでんごう〕をへ〔経〕、久遠】
大通智勝仏の時に縁した者が三千塵点劫と言う長い間、また、久遠の過去において

【下種の者の五百塵点劫を経〔へ〕し事、】
下種された者が五百塵点劫と言う長大な時間、無間地獄で過ごしたのは、

【大悪知識にあひて法華経をすてゝ念仏等の権教にうつ〔移〕りし故なり。】
大悪知識にあって法華経を捨て、念仏などの権教に心が移り変わったからなのです。

【一家の人々念仏者にてましましげに候ひしかば、】
あなたの家の人々は、みんな、念仏者であったようですから、

【さだめて念仏をぞすゝ〔勧〕めむと給ひ候らん。】
きっと念仏を勧めていることでしょう。

【我が信じたる事なればそれも道理にては候へども、】
自分達が信じたことであるから、それも道理ではありますが、

【悪魔の法然が一類にたぼら〔誑〕かされたる人々なりとおぼして、】
悪魔の法然の一類に誑〔たぶら〕かされている人々であると思って、

【大信心を起こし御用ひあるべからず。】
大信力を起こし、決して、その言葉を用〔もち〕いてはなりません。

【大悪魔は貴き僧となり、】
大悪魔は、貴き僧侶の姿となり、

【父母兄弟等につきて人の後世をばさうる〔障〕なり。】
父母、兄弟などに取り付いて、人の後世を妨げるのです。

【いかに申すとも、法華経をす〔捨〕てよとたばか〔謀〕りげに候はんをば】
どのように言われようと法華経を捨てよとの言葉を、

【御用ひあるべからず候。まづ御きゃうざく〔景迹〕あるべし。】
用いてはなりません。まずは、考えてみてください。

【念仏実に往生すべき証文つよ〔強〕くば、此の十二年が間、】
念仏で、ほんとうに往生すると言う証文が確かであるならば、この十二年の間、

【念仏者無間地獄と申すをば、いかなるところ〔所〕へ申しいだしても】
念仏者は、無間地獄に堕ちると言うことを、たとえ、どのような場所であっても、

【つ〔詰〕めずして候べきか。】
詰問しないでいられましょうか。

【よくよくゆは〔弱〕き事なり。】
よくよく自信がないのでしょう。

【法然・善導等がか〔書〕きを〔置〕きて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時より】
法然、善導が書き置いた程度の法門は、日蓮は、十七、八歳の時から

【し〔知〕りて候ひき。このごろの人の申すもこれにすぎず。】
知っていましたが、近ごろの人の言うことも、これらを越えてはいません。

【結句〔けっく〕は法門はかなわずして、よ〔寄〕せて】
結局、法門では敵〔かな〕わないから、多勢を頼んで

【たゝか〔戦〕いにし候なり。念仏者は数千万、かたうど〔方人〕多く候なり。】
戦おうとしているのであり、念仏者は、数千万であり、味方は多いのです。

【日蓮は唯一人、かたうど一人これなし。】
日蓮は、ただ一人であり、味方は一人もいないのです。

【いまゝでもい〔生〕きて候はふかしぎ〔不可思議〕なり。今年も十一月十一日、】
今まで生きているのも不思議なくらいです。今年も11月11日に

【安房国〔あわのくに〕東条の松原と申す大路〔おおじ〕にして、】
安房の国の東条の松原と言う大きな道で、

【申酉〔さるとり〕の時、数百人の念仏等にま〔待〕ちかけられ候ひて、】
夕方、数百人の念仏者などに待ち伏せされて、

【日蓮は唯一人、十人ばかり、ものゝ要にあ〔合〕ふもの】
日蓮は、ただ一人であり、供も十人ばかりで、しかも役に立つ者は、

【わづ〔僅〕かに三四人なり。】
ほんの三、四人であったのです。

【い〔射〕るや〔矢〕はふ〔降〕るあめ〔雨〕のごとし、】
射られた矢は、降る雨のようであり、

【う〔討〕つたち〔大刀〕はいなづ〔雷〕まのごとし。】
討ち込まれた太刀は、稲妻のようであったのです。

【弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のて〔手〕にて候。】
弟子一人は、即座に討ち取られ、二人は、深手を負いました。

【自身もき〔斬〕られ、打たれ、結句にて候ひし程に、】
日蓮自身も斬られ、打たれ、もはやこれまでかと言うところで、

【いかゞ候ひけん、う〔討〕ちも〔漏〕らされて】
どうしたことでしょうか、討ち漏らされて

【いま〔今〕ゝでい〔生〕きてはべり。】
今日まで生きているのです。

【いよいよ法華経こそ信心まさりて候へ。】
そうであればこそ、いよいよ法華経の信心を増すばかりなのです。

【第四の巻に云はく】
なぜならば、法華経の第四の巻には、

【「而も此の経は如来の現在すら猶〔なお〕怨嫉〔おんしつ〕多し】
「しかも、この経は、仏の在世でさえ、なお怨嫉が多い。

【況〔いわ〕んや滅度の後をや」と。第五の巻に云はく】
ましてや、仏の滅度の後においてはなおさらである」とあり、第五の巻には

【「一切世間怨〔あだ〕多くして信じ難し」等云云。】
「一切世間に怨〔あだ〕が多くて信じがたい」と説かれているのです。

【日本国に法華経よ〔読〕み学する人これ多し。人のめ〔妻〕をねら〔狙〕ひ、】
日本に法華経を読み学ぶ人は多く、また、人の妻を狙い、

【ぬす〔盗〕み等にて打ちはらるゝ人は多けれども、】
盗みなどをして罰せられる人は、多いけれども、

【法華経の故にあやま〔過〕たるゝ人は一人もなし。】
法華経の為に傷を受ける人は、誰一人いないのです。

【されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあ〔合〕わせ給はず。】
だから日本の持経者は、いまだ、この経文の通りではないのです。

【唯日蓮一人こそよ〔読〕みはべれ。】
ただ日蓮一人だけが、法華経を読んだのです。

【「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」是なり。】
「我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」とは、この事なのです。

【されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。】
ゆえに日蓮は、日本第一の法華経の行者であり、

【もしさき〔先〕にた〔立〕ゝせ給はゞ、】
もし、日蓮より先立たれるような事があったあらば、

【梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。】
梵天、帝釈天、四大天王、閻魔大王に

【日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなの〔名乗〕らせ給へ。】
日本第一の法華経の行者である日蓮の弟子であると名乗ってください。

【よもはうしん〔芳心〕なき事は候はじ。】
そうすれば、まさか、粗略な扱いは、しないでしょう。

【但一度は念仏、一度は法華経とな〔唱〕へつ、二心ましまし、】
ただし、一度は念仏、一度は、法華経を唱えると言うような、二心があり、

【人の聞にはゞか〔憚〕りなんどだにも候はゞ、】
仮に人の評価を恐れるようなことが、あったならば、

【よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ。】
日蓮の弟子と名乗られても無駄でしょう。

【後にうら〔恨〕みさせ給ふな。】
そうなってから、日蓮を恨まないでください。

【但し又法華経は今生のいの〔祈〕りとも成り候なれば、】
ただし法華経は、今生の祈りにも、なるものですから、

【もしやとしてい〔生〕きさせ給ひ候はゞ、】
もしも生き延びられることがあれば、

【あはれとくとく見参〔げんざん〕して、】
一刻も早く御会いして、

【みづか〔自〕ら申しひらかばや。語はふみ〔文〕につ〔尽〕くさず、】
日蓮、自ら御話ししたいと思います。この文章では、意を尽くせません。

【ふみは心をつくしがたく候へばとゞめ候ひぬ。】
手紙では、心を尽くし難いので、これで止めておきます。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【十二月十三日   日蓮花押】
12月13日   日蓮花押

【なんでう〔南条〕の七郎殿】
南条七郎殿


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