御書研鑚の集い 御書研鑽資料
南条時光御息文 18 上野殿御返事(蹲鴟御消息)
【上野殿御返事 建治四年二月二五日 五七歳】上野殿御返事 建治4年2月25日 57歳御作
【蹲鴟〔いものかしら〕、くしがき〔串柿〕、焼米、栗、たかん〔筍〕な、】
いものかしら、串柿〔くしがき〕、焼米〔やきごめ〕、栗〔あわ〕、タケノコ、
【すづつ〔酢筒〕給び候ひ了んぬ。月氏に阿育大王と申す王をはしき。】
酢筒〔すづつ〕を頂戴致しました。月氏国に阿育大王と言う王がおられました。
【一閻浮提〔いちえんぶだい〕四分の一をたなご〔掌〕ころににぎり、】
一閻浮提の四分の一を掌中におさめ、
【竜王をしたがへて雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ給ひき。】
竜王を従えて、雨を意のままに降らせ、鬼神を召し使いにしていました。
【始めは悪王なりしかども、後には仏法に帰し、】
初めは、悪王でしたが、後に仏法に帰依して
【六万人の僧を日々に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ。】
六万人の僧侶に日々供養し、八万四千の石塔を立てられました。
【此の大王の過去をたづぬれば、】
この大王の過去を訪ねると、
【仏の在世に徳勝童子・無勝童子とて二人のをさな〔幼〕き人あり。】
過去の仏の在世に徳勝童子と無勝童子と言う二人の子供が、
【土の餅を仏に供養し給ひて、】
土の餅を、その仏に供養して、その功徳によって、
【一百年の内に大王と生まれたり。】
百年の後、阿育大王として生まれたのです。
【仏はいみじしといゑども、法華経にたい〔対〕しまいらせ候へば、】
しかし、仏が尊いとは、言うものの、法華経に比べれば、
【蛍火と日月との勝劣、天と地との高下なり。】
螢火と日月ほどの優劣があり、天と地ほどの高低があるのです。
【仏を供養してかゝる功徳あり。】
仏に供養して、阿育大王のような功徳があるのですから、
【いわうや法華経をや。】
ましてや、法華経を供養するにおいておやです。
【土のもちゐをまいらせてかゝる不思議あり。】
土の餅を供養してさえ、このような功徳があるのです。
【いわうやすゞ〔種種〕のくだ〔果〕物をや。】
ましてや種々の果物を供養されたのです。
【かれはけかち〔飢渇〕ならず、いまはうへ〔飢〕たる国なり。】
仏は、飢えては、いませんでしたが、いまは、国中が飢えています。
【此をもってをも〔思〕ふに、釈迦仏・多宝仏・十羅刹女〔らせつにょ〕】
このことによって考えれば、釈迦仏、多宝仏、十羅刹女が、
【いかでかまぼ〔守〕らせ給はざるべき。】
どうして守護しないことがあるでしょうか。
【抑〔そもそも〕今の時、法華経を信ずる人あり。】
今、現在、法華経を信じている人がいますが、
【或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。】
火のように信じる人もおり、また、水の流れるように信じる人もいます。
【聴聞する時はも〔燃〕へた〔立〕つばかりをも〔思〕へども、】
聴聞する時は、燃え立つように思っても、
【とを〔遠〕ざかりぬればす〔捨〕つる心あり。】
遠ざかれば、法華経を捨ててしまう心を起こしてしまうのです。
【水のごとくと申すはいつもたい〔退〕せず信ずるなり。】
水のように信ずる人とは、常に退〔しりぞ〕く心を持たずに信ずる人を言うのです。
【此はいかなる時もつね〔常〕はたいせずと〔訪〕わせ給へば、】
あなたは、いかなる時も常に退〔しりぞ〕くことなく訪ねて来られているのです。
【水のごとく信ぜさせ給へるか。たうと〔尊〕したうとし。】
水が流れるように信じておられるのでしょう。まことに貴いことです。
【まこと〔実〕やらむ、いゑ〔家〕の内にわづら〔煩〕ひの候なるは、】
あなたの家族の中に病人が居られると言うのは、まことのことでしょうか。
【よも鬼神のそゐ〔所為〕には候はじ。】
もし、それがほんとうであっても、まさか鬼神の所為ではないでしょう。
【十らせち〔羅刹〕女の、信心のぶんざい〔分際〕を御心みぞ候らむ。】
十羅刹女が信心の強弱を験〔ため〕されているのでしょう。
【まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまして、】
まことの鬼神ならば、法華経の行者を悩まして、
【かうべ〔頭〕われんとをも〔思〕ふ鬼神の候べきか。】
自ら頭〔こうべ〕を、割〔わろ〕うとする者がいるでしょうか。
【又、釈迦仏・法華経の御そら〔虚〕事の候べきかと、】
釈迦牟尼仏、法華経に間違いが、あるはずがないと、
【ふかくをぼ〔思〕しめし〔食〕候へ。恐々謹言。】
深く信じてください。恐れながら謹んで申し上げます。
【二月二十五日 日蓮花押】
2月25日 日蓮花押
【御返事】
御返事