日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 42 上野尼御前御返事

【上野尼御前御返事 弘安四年一月一三日 六〇歳】
上野尼御前御返事 弘安4年1月13日 60歳御作


【聖人〔すみざけ〕ひとつゝ〔筒〕、ひさげ〔提子〕十か、】
清酒〔すみざけ〕一筒、酒桶〔さかおけ〕十杯ほど、

【十字〔むしもち〕百、飴〔あめ〕ひとをけ〔桶〕二升か、】
蒸餅〔むしもち〕、百個、飴〔あめ〕、一桶〔ひとおけ〕二升ほど、

【柑子〔こうじ〕ひとこ〔一籠〕、串柿十くしならびにくり〔栗〕】
みかん一籠、串柿十串、栗を

【給び候ひ了んぬ。春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、】
送って頂きました。春の初めの御喜びは、花のように開き、

【月のごとくみ〔満〕たせ給ふべきよしうけ給はり了んぬ。】
月のように満ちておられるとの事を承りました。

【抑〔そもそも〕故五らう〔郎〕どのゝ御事こそをも〔想〕いいでられて候へ。】
さて、故五郎殿の事こそ思い出されてなりません。

【ちりし花もさかんとす、か〔枯〕れしくさ〔草〕もね〔萌〕ぐみぬ。】
散った花も咲こうとしているし、枯れた草も芽を出し始めております。

【故五郎殿もいかでかかへ〔帰〕らせ給はざるべき。】
故五郎殿は、どうして同じように帰って来られないのでしょう。

【あわれ無常の花とくさ〔草〕とのやうならば、】
もし、無常の花と草とのように帰って来るのであれば、

【人丸〔ひとまる〕にはあらずとも花のもともはなれじ。】
柿本人麻呂〔かきのもとのひとまろ〕でなくとも、花のもとを離れないし、

【いば〔嘶〕うるこま〔駒〕にあらずとも、草のもとをばよもさらじ。】
繫〔つな〕いだ馬でなくとも、草のもとを去らないでしょう。

【経文には子をばかたき〔敵〕ととかれて候。それもゆわ〔謂〕れ候か。】
ある経文には、子を敵〔かたき〕と説かれています。それも理由のあることです。

【梟〔ふくろう〕と申すとりは母をく〔喰〕らう。】
梟〔ふくろう〕と言う鳥は、母を食べます。

【破鏡〔はけい〕と申すけだものは父をがい〔害〕す。】
破鏡〔はけい〕と言う獣は、父を殺します。

【あんろく〔安禄〕山と申せし人は】
安禄山〔あんろくざん〕と言う人は、

【師史明〔ししめい〕と申す子にころされぬ。】
子供に殺され、その子供も師史明〔ししめい〕に殺されました。

【義朝〔よしとも〕と申せしつはものは】
源義朝〔よしとも〕と言う武士は、

【為義〔ためよし〕と申すちゝ〔父〕をころす。】
源為義〔ためよし〕と言う父を殺しています。

【子はかたきと申す経文ゆわれて候。】
それゆえ子供は、敵〔かたき〕と言う経文も間違いではないのです。

【又子は財〔たから〕と申す経文あり。】
また、子供は、宝と言う経文もあります。

【妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕は一期〔いちご〕の後】
妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕は、一生を終えた後、

【無間〔むけん〕大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、】
無間大城と言う地獄へ堕ちられるはずでしたが、

【浄蔵と申せし太子にすくわれて、】
浄蔵と言う皇子に救われて、

【大地獄の苦をまぬかれさせ給ふのみならず、】
大地獄の苦悩を免〔まぬが〕れられただけでなく、

【沙羅樹王仏〔しゃらじゅおうぶつ〕と申す仏とならせ給ふ。】
娑羅樹王仏〔しゃらじゅおうぶつ〕と言う仏になられました。

【生提女〔しょうだいにょ〕と申せし女人は、】
青提女〔しょうだいにょ〕と言う女性は、

【慳貪〔けんどん〕のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、】
慳貪〔けんどん〕の罪によって餓鬼道に堕ちていましたが、

【目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候ひぬ。】
目連と言う子供に助けられて、餓鬼道を出ることができました。

【されば子を財と申す経文たがう事なし。】
それゆえ、子供を宝と言う経文も、間違いではありません。

【故五郎殿はとし十六歳、心ね〔根〕、】
故五郎殿は、年十六歳で心根も、

【みめ〔容〕かたち〔貌〕人にすぐれて候ひし上、】
容姿も人よりも優れていたうえ、

【男ののう〔能〕そなわりて万人にほめられ候ひしのみならず、】
武士としての才能も備わって、多くの人々に褒〔ほ〕められていただけでなく、

【をやの心に随ふこと水のうつわものにしたがい、】
親の心に従う姿勢は、水が器物〔うつわもの〕の形に従い、

【かげの身にしたがうがごとし。いへ〔家〕にてははしら〔柱〕とたのみ、】
影が身に従うかのようでした。家にあっては、柱と頼み、

【道にてはつへ〔杖〕とをも〔思〕いき。】
道を行くにあたっては、杖のように思い、

【はこのたから〔宝〕もこの子のため、つかう所従もこれがため、】
箱に収めた財産も、この子のため、使っている従者も、この子のため、

【我し〔死〕なばに〔荷〕なわれてのぼ〔野辺〕へゆきなん、】
自分が死んだならば、担われて野辺へ行こう、

【のちのあとをも〔思〕いを〔置〕く事なしとふかくをぼしめしたりしに、】
死んだ後も、後を思い残すことはないと深く思われていたでしょうに、

【いやなくさき〔先〕にた〔立〕ちぬれば、】
不孝にも先立ってしまったのは、

【いかん〔如何〕にやいかん〔如何〕にやゆめ〔夢〕かまぼろ〔幻〕しか、】
どうしたことか、これは、夢か幻か。

【さ〔醒〕めなんさ〔醒〕めなんとをも〔思〕へども、】
夢であるなら、いつかは、目覚めるであろうと思われても、

【さめずしてとし〔年〕も又かへ〔返〕りぬ。】
それも目覚めずに、年も改まってしまいました。

【いつとま〔待〕つべしともをぼ〔覚〕へず。】
いつまで、待てば良いかもわからず、

【ゆきあうべきところだにも申しを〔置〕きたらば、】
会う場所だけでも、言い置いていたならば、

【はねなくとも天へものぼりなん。】
翼は、無くても天にも昇り、

【ふねなくとももろこし〔唐土〕へもわたりなん。】
船は、無くても、中国へでも渡ろう。

【大地のそこにありときかば、】
大地の底にいると開けば、

【いか〔争〕でか地をもほ〔掘〕らざるべきとをぼ〔思〕しめ〔食〕すらむ。】
どうして地を掘らずにいられようかと思われていることでしょう。

【やすやすとあわせ給ふべき事候。】
しかし、簡単に御会いできる方法があります。

【釈迦仏を御使ひとして、りゃうぜん〔霊山〕浄土へまいりあわせ給へ、】
釈迦牟尼仏を御使いにして、霊山浄土へ参り、会われるが良いでしょう。

【若有聞法者〔にゃくうもんぽうしゃ〕】
法華経方便品に「もし、法を聞く者あらば、

【無一不成仏〔むいちふじょうぶつ〕と申して、】
ひとりとして成仏せずと言うことは無い」と説かれており、

【大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、】
大地は、刺して外れることがあっても、日月は、地に堕ちる事があっても、

【しを〔潮〕はみ〔満〕ちひ〔干〕ぬ世〔よ〕はありとも、】
潮の干満がなくなる時代は、あっても、

【花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、】
花は、夏に咲くことがなくとも、南無妙法蓮華経と唱える女性が、

【をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。】
愛しく思う子供に会えないと言うことは、絶対にないと説かれているのです。

【いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。恐々謹言。】
急ぎ唱題に御勤めください。恐れながら謹んで申し上げます。

【正月十三日   日蓮花押】
正月13日   日蓮花押

【上野尼御前御返事】
上野尼御前御返事


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