御書研鑚の集い 御書研鑽資料
南条時光御息文 37 上野殿御返事(上野殿後家尼御前御書)
【上野殿御返事 弘安三年九月六日 五九歳】上野殿御返事 弘安3年9月6日 59歳御作
【南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生まれて死するなら〔習〕いとは、】
南条七郎五郎殿の御死去の事で、人は、皆、生まれては、死ぬのが習いとは、
【智者も愚者も上下一同に知りて候へば、】
智者も愚者も、上の人も下の人も、一様に承知している事ですから、
【始めてなげ〔嘆〕くべしをどろ〔驚〕くべしとわをぼ〔覚〕へぬよし、】
今さら嘆いたり、驚いたりする事ではないと、
【我も存じ人にもをし〔教〕へ候へども、】
自分も思い、人にも教えてきましたが、
【時にあ〔当〕たりてゆめ〔夢〕かまぼろ〔幻〕しか、】
いよいよ、その時にあたってみれば、夢か幻か、
【いまだわきま〔弁〕へがた〔難〕く候。】
未だに判断がつきかねるほどです。
【まして母のいかんがなげかれ候らむ。父母にも兄弟にもをくれはてゝ、】
ましてや、母は、どんなに嘆かれている事でしょうか。父母にも兄弟にも先立たれ、
【いとを〔愛〕しきをとこ〔夫〕にす〔過〕ぎわか〔別〕れたりしかども、】
最愛の夫にも死に別れましたが、
【子どもあまた〔数多〕をはしませば、】
子供が多く居られたので、
【心なぐさ〔慰〕みてこそをはし候らむ。】
それによって、どんなに心が慰〔なぐさ〕められて、おられたでしょうに、
【いとを〔愛〕しきてこゞ〔手児子〕、しかもをのこ〔男〕ゞ〔子〕、】
可愛い末の子で、しかも男の子であり、
【みめ〔容〕かたち〔貌〕も人にすぐれ、】
容貌も人に優れ、
【心もかいがいしくみ〔見〕へしかば、】
心も、しっかりしており、
【よその人々もすゞしくこそみ候ひしに、】
他所〔よそ〕の人々も、清々しい若者と見ていたのに、
【あやなくつぼ〔蕾〕める花の風にしぼみ、】
儚〔はかな〕く亡くなってしまった事は、花の蕾〔つぼみ〕が風にしぼみ、
【満月のにわ〔俄〕かに失〔う〕せたるがごとくこそをぼ〔思〕すらめ。】
満月が突然、見えなくなってしまったようなものです。
【まことゝもをぼへ候はねば、か〔書〕きつく〔付〕るそらもをぼへ候はず。】
ほんとうの事とも思えないので、励ましの言葉も書きようが、ありません。
【又々申すべし。恐々謹言。】
またまた、申し上げます。恐れながら謹んで申し上げます。
【九月六日 日蓮花押】
9月6日 日蓮花押
【上野殿御返事】
上野殿御返事
【追申。此の六月十五日に見奉り候ひしに、】
追申。この6月15日に御会いした時には、
【あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、】
素晴らしく勇気のある者、男の中の男と拝見していたにも関わらず、
【又見候はざらん事こそかな〔悲〕しくは候へ。】
再び、御会いする事が出来ないとは、何とも悲しいことです。
【さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば】
しかし、南条七郎五郎殿は、釈迦牟尼仏、法華経を深く信仰されていたので、
【臨終目出たく候ひけり。】
臨終の姿も立派だったのです。
【心は父君と一所に霊山浄土に参りて、】
ですから、心は、きっと父君と一緒に霊山浄土に参り、
【手をとり頭を合はせてこそ悦ばれ候らめ。】
ともに手を取り合い、頭を合わせて、喜ばれていることでしょう。
【あはれなり、あはれなり。】
実に素晴らしいことです。