日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 43 上野殿御返事

【上野殿御返事 弘安四年三月一八日 六〇歳】
上野殿御返事 弘安4年3月18日 60歳御作


【蹲鴟〔いも〕一俵給び了んぬ。又かうぬし〔神主〕のもと〔許〕に候】
里芋一俵を頂きました。また、熱原の法難で逃げて来た神主のもとにも

【御乳塩〔ちしお〕一疋〔ぴき〕、並びに口付〔くちつき〕一人候。】
白馬一匹と馬の口取り一人がおります。

【さては故五郎殿の事は、そのなげきふ〔古〕りずとおもへども、】
さて、故五郎殿のことは、いまだ、その嘆きは、薄れないとは、思いますが、

【御げざん〔見参〕ははるかなるやうにこそおぼえ候へ。】
御会いしたのは、遠い昔のことのように感じられます。

【なをもなをも法華経をあだむ事はた〔絶〕えつとも見へ候はねば、】
なおも、人々が法華経を恨む事が絶えたとも思えないので、

【これよりのちもいかなる事か候はんずらめども、】
これから後も何があるか、わかりませんが、

【いまゝでこらへさせ給へる事まことしからず候。】
いままで、信仰を続けられた事は、まさか現実とも思えないほどです。

【仏説いての給はく、火に入りてやけぬ者はありとも、】
仏が説いて言われるには、火に入って焼けない者が居ても、

【大水に入りてぬれぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、】
大水に入って濡れない者が居ても、大山が空を飛ぶ事があっても、

【大海は天へあがるとも、末代悪世に入れば】
大海が天に上がる事があっても、末代悪世に入れば、

【須臾〔しゅゆ〕の間も法華経は信じがたき事にて候ぞ。】
少しの間であっても、法華経は、信じ難いと述べられています。

【徽宗〔きそう〕皇帝は漢土の主〔あるじ〕、蒙古国にからめとられさせ給ひぬ。】
徽宗〔きそう〕皇帝は、中国の君主でしたが、蒙古国に捕らえられてしまいました。

【隠岐〔おき〕の法王は日本国のあるじ、】
隠岐の法皇は、日本国の君主でしたが、

【右京の権〔ごん〕の大夫殿にせめられさせ給ひて、】
右京の権〔ごん〕の大夫となった北条義時〔よしとき〕に攻められて、

【島にては〔果〕てさせ給ひぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば、】
島で亡くなられました。法華経の故でさえあったならば、

【即身に仏にもならせ給ひなん。わづかの事には身をやぶり命をすつれども、】
即身に仏に成られた事でしょう。些細なことには、身を破り、命を捨てるけれども、

【法華経の御ゆへにあやしのとが〔科〕にあ〔当〕たらんとおも〔思〕ふ人は】
法華経の故に不当な罪に遇〔あ〕おうと思う人は、

【候はぬぞ。身にて心みさせ給ひ候ひぬらん。】
いないのです。あなたは、これを身で試みられたのです。

【たう〔尊〕としたうとし。恐々謹言。】
まことに尊いことです。恐れながら謹んで申し上げます。

【三月十八日   日蓮花押】
3月18日   日蓮花押

【上野殿御返事】
上野殿御返事


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