日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 26 九郎太郎殿御返事

【九郎太郎殿御返事 弘安元年一一月一日 五七歳】
九郎太郎殿御返事 弘安元年11月1日 57歳御作


【これにつけても、こ〔故〕うえのどの〔上野殿〕の事こそ】
この御供養につけても、故上野殿のことが

【をも〔思〕ひい〔出〕でられ候へ。】
思い出されてなりません。

【いも〔芋〕一駄・くり・やきごめ・はじかみ〔生姜〕給び候ひぬ。】
芋一駄、栗、焼米、生姜〔しょうが〕を頂戴致しました。

【さてはふかき山にはいも〔芋〕つくる人もなし。くり〔栗〕もならず、】
こうした深い山の中には、里芋を作る人は、いません。また栗も、なりません。

【はじかみ〔生姜〕もを〔生〕ひず。ましてやきごめ〔焼米〕みへ候はず。】
生姜〔しょうが〕も育たず、ましてや、焼米は、見ることさえ出来ません。

【たといくり〔栗〕なりたりとも、さる〔猿〕のこ〔残〕すべからず。】
たとえ栗がなったとしても、猿が残らず食べてしまいます。

【いえのいもはつくる人なし。】
また、家の芋を、作る人がいません。

【たといつくりたりとも人にく〔憎〕みてた〔給〕び候はず。】
たとえ作ったとしても、人は、日蓮を憎んでおり、分けてくれようとはしません。

【いかにしてか、かゝるたか〔高〕き山へはきたり候べき。】
どうして、このような高い山の中に来なければ、ならなかったのでしょうか。

【それ山をみ〔見〕候へばたかきよりしだいにしも〔下〕えくだれり。】
山を見れば、高い頂〔いただき〕から次第に麓〔ふもと〕へ降りていき、

【うみ〔海〕をみ〔見〕候へばあそきよりしだひ〔次第〕にふかし。】
海を見れば、浅い所から、次第に深くなります。

【代をみ候へば三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一と】
世の中を見れば、人の寿命も三十年、二十年、五年、四年、三年、二年、一年と

【次第にをと〔衰〕ろへたり。】
残り少なくなり、次第に衰えていきます。

【人の心もかくのごとし。これはよ〔世〕のすへ〔末〕になり候へば、】
人の心もまた同じなのです。世が末になれば、

【山にはまがれるき〔木〕のみとゞまり、】
山には、曲がった木だけが残り、

【の〔野〕にはひき〔低〕ゝくさ〔草〕のみを〔生〕ひたり。】
野には、低い草だけが生え、

【よ〔世〕にはかしこき人はすくなく、はかなきものはをほ〔多〕し。】
世の中には、賢い人が少なくなり、愚かな者は、多くなるのです。

【牛馬のちゝ〔父〕をしらず、兎羊〔とよう〕の母をわきまえざるがごとし。】
牛や馬が父を知らず、兎や羊が母を見分けることが出来ないのと同じなのです。

【仏御入滅ありては二千二百二十余年なり。】
仏が御入滅になってから、2220余年になります。

【代すへ〔末〕になりて智人次第にかくれて、】
世は、末になって、智人は、次第に亡くなり、

【山のくだれるごとく、くさのひき〔低〕ゝににたり。】
それは、山を降りていくようなものであり、草が低くなるのに似ています。

【念仏を申し、かい〔戒〕をたも〔持〕ちなんどする人はをゝ〔多〕けれども、】
念仏を称え、戒をたもつ人は、多くいるけれども、

【法華経をたの〔恃〕む人はすくなし。】
法華経を信ずる人は、少ないのです。

【星は多けれども大海をてらさず。】
星が、いくら多くても、大海全体を照らすことは、出来ないのです。

【草は多けれども大内の柱とはならず。】
草は、多くても、建物の柱とは、なりません。

【念仏は多けれども仏と成る道にはあらず。】
このように、念仏を多く称えても、仏になる道には、ならないのです。

【戒は持てども浄土へまひ〔参〕る種とは成らず。】
いくら戒をたもっても、浄土への種とは、ならないのです。

【但〔ただ〕南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ。】
ただ、南無妙法蓮華経の七字だけが、仏になる種なのです。

【此を申せば人はそね〔妬〕みて用ひざりしを、】
このことを言えば、人は、妬〔ねた〕んで用〔もち〕いられなかったのを、

【故上野殿信じ給ひしによりて仏に成らせ給ひぬ。】
故上野殿は、信じられた事によって、仏に成られたのです。

【各々は其の末にて此の御志をとげ給ふか。】
あなたがたは、その子孫であって、きっと、この御志を遂〔と〕げられるでしょう。

【竜馬につきぬるだには千里をとぶ。】
竜のように駆ける駿馬に取り付いたダニは、一緒に千里を飛び、

【松にかゝれるつた〔蔦〕は千尋をよ〔攀〕づと申すは是か。】
松に巻き付いたツタは、高い所まで登ると言われるのは、このことでしょうか。

【各々主の御心なり。つちのもちゐ〔餅〕を仏に供養せし人は王となりき。】
あなた方は、故上野殿と同じ心であり、土の餅を供養した人は、王になりました。

【法華経は仏にまさらせ給ふ法なれば、供養せさせ給ひて、】
法華経は、仏より優れた法ですから、この法華経に供養された人が、

【いかでか今生にも利生にあづかり、後生にも仏にならせ給はざるべき。】
どうして、今生において利益を受けず、後生に仏になれない事が、あるでしょうか。

【その上み〔身〕ひん〔貧〕にしてげにん〔下人〕なし。】
その上、上野殿は、貧しい身であるから下人もおらず、

【山河わづら〔煩〕ひあり。】
山河を越えるのに御苦労も多く、

【たとひ心ざしありともあらはしがたきに、】
たとえ志があっても、それを行なうことは、難しいのです。

【いまいろ〔色〕をあらわさせ給ふにしりぬ、】
それでも、現実に志を現されたのを見ても、

【をぼろげならぬ事なり。さだめて法華経の十羅刹】
その信心が、尋常でない事がよくわかります。必ずや、法華経の十羅刹女が

【まぼ〔守〕らせ給ひぬらんとたの〔頼〕もしくこそ候へ。】
守られるであろうと頼もしく思っております。

【事つくしがたし。】
申し上げたい事は、多くありますが、言い尽くし難いので、これで止めておきます。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【十一月一日   日蓮花押】
11月1日   日蓮花押

【九郎太郎殿御返事】
九郎太郎殿御返事


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