御書研鑚の集い 御書研鑽資料
南条時光御息文 40 南条殿御返事(上野殿御書)
【南条殿御返事 弘安三年一二月一五日 五九歳】南条殿御返事 弘安3年12月15日 59歳御作
【麞牙〔しらげごめ〕二石・並びに〇渭鵄一〔いもいち〕だ〔駄〕】
白米二石と里芋一駄を、
【故五郎殿百ケ日等云云。】
故五郎殿の百箇日法要の御供養として受け取りました。
【法華経の第七に云はく】
法華経、第七巻の薬王菩薩本事品に
【「川流江河の諸水の中に、海為〔こ〕れ第一なるが如く、】
「川の流れ、江河の水など、すべての中で、海は、その第一である。
【此の法華経も亦復〔またまた〕是〔か〕くの如し」等云云。】
この法華経も、また同様である」と説かれています。
【此の経文は法華経をば大海に譬へられて候。】
この経文は、法華経を大海に譬えられており、
【大海と申すはふかき事八万四千由旬〔ゆじゅん〕、】
大海と言うのは、深さは、八万四千由旬あり、
【広きこと又かくのごとし。】
広さも、また、同様なのです。
【此の大海の中にはなになにのすみ候と申し候へば、】
この大海の中には、何が住んでいるかと言えば、
【阿修羅王〔あしゅらおう〕〇〇〇〇】
阿修羅王〔あしゅらおう〕、〇〇〇〇
【字百千万の字あつまて法華経とならせ給ひて候へば、大海に譬へられて候。】
百千万の文字が集まって、法華経となる事を、大海に譬えられているのです。
【又大海の一渧〔いってい〕は】
また、大海の一滴は、
【江河の渧〔しずく〕と小〔すこ〕しくは同じといへども、】
河川の雫〔しずく〕が集まったものですが、
【其の義はるかにかわれり。】
その意義は、大きく変わるのです。
【江河の一渧は但一水なり、一雨なり。】
河川の一滴は、ただの水ですが、それは、雨水なのです。
【大海の一渧は四天下の水あつまて一渧をつくれり。】
大海の一滴は、世界の水が集まって、その一滴を作っているのです。
【一河の一渧は一の金のごとし、】
河川の一滴は、ひとつの金であり、
【大海の一渧は如意宝珠〔にょいほうじゅ〕のごとし。】
大海の一滴は、如意宝珠と同じなのです。
【一河の一渧は一のあぢわい、】
河川の一滴は、一の味しか、しませんが、
【大海の一渧は五味のあぢわい、江河の一渧は一つの薬なり。】
大海の一滴には、五味の味があるのです。また、河川の一滴は、一つの薬であり、
【大海の一渧は万種の一丸のごとし。】
大海の一滴は、すべての薬を一丸にしたようなものなのです。
【南無阿弥陀仏は一河の一渧、】
南無阿弥陀仏と称えるのは、河の水の一滴であり、
【南無妙法蓮華経は大海の一渧。】
南無妙法蓮華経と唱えるのは、大海の一滴なのです。
【阿弥陀経は小河の一てい〔渧〕、法華経の一字は大海の一てい。】
阿弥陀経は、小河の一滴であり、法華経の一文字は、大海の一滴なのです。
【故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、】
故七郎五郎殿の十六年の間の罪障は、江河の一滴のようなものであり、
【須臾〔しゅゆ〕の間の南無妙法蓮華経は大海の一てい等云云。】
少しの間、南無妙法蓮華経と唱えられたのは、大海の一滴のようなものなのです。
【夫以〔それおもんみ〕れば花はつぼみさいて菓〔このみ〕なる。】
考えてみれば、花は、蕾〔つぼみ〕が咲いて菓〔このみ〕となり、
【をや〔親〕は死にて子にになわる。】
親は、先に死んで子に背負われます。
【これ次第なり。譬へば】
これが順序であり、七郎五郎殿は、それが逆になり、大変悲しく思えます。譬へば