日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 17 上野殿御返事

【上野殿御返事 建治三年五月一五日 五六歳】
上野殿御返事 建治3年5月15日 56歳御作


【五月十四日にいも〔芋〕のかしら〔頭〕一駄、】
5月14日に里芋を一駄、

【わざ〔態〕とをく〔送〕りた〔給〕びて候。】
わざわざ送って頂きました。

【当時のいも〔芋〕は人のいとま〔暇〕と申し、】
今時の芋は、人間にとって忙しいときの休みと同じで、

【珠のごとし、くすりのごとし。】
貴重であることは、宝珠のようであり、その効用は、薬のようです。

【さてはおほ〔仰〕せつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。】
さて、仰せられた事については、承知致しました。

【尹吉甫〔いんきっぽ〕と申せし人はたゞ一人の子あり、】
尹吉甫〔いんきっぽ〕と言う人に一人だけ、子供がいました。

【伯奇〔はくき〕と申す。をや〔親〕も賢なり、子もかしこし。】
名を伯奇〔はくき〕と言います。親も賢しこく、その子供も同様に賢かったのです。

【いかなる人かこの中をば申したがふべきとおもひしかども、】
どのような人も、この父子の仲を裂く事など出来ないと思っていました。

【継母〔ままはは〕よりよりうた〔訴〕へしに】
その証拠に、継母が、どんなに伯奇〔はくき〕が悪さをすると訴えても、

【用ひざりしほどに、】
尹吉甫〔いんきっぽ〕は、まったく、その言葉を信じなかったのです。

【継母すねん〔数年〕が間やうやう〔様様〕のたばかりをなせし中に、】
しかし、継母が数年の間、様々な謀〔はかりごと〕をする中で、

【蜂〔はち〕と申すむし〔虫〕を我がふところに入れて、】
わざと蜂を自分の懐〔ふところ〕の中に入れて、

【いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、】
それを伯奇〔はくき〕に取らせ、しかも、それを父の尹吉甫〔いんきっぽ〕に見せ、

【われをけさう〔懸想〕すると申しなして】
伯奇〔はくき〕は、私に想いを寄せていると言って、

【うしなはんとせしなり。】
伯奇〔はくき〕への信頼を失わせたのです。

【びんばさら〔頻婆娑羅〕王と申せし王は賢王なる上、】
頻婆沙羅〔びんばさら〕王と言う王は、賢王であるうえ、

【仏の御だんなの中に閻浮第一なり。】
釈尊の信者の中では、世界一の檀徒でありました。

【しかもこの王は摩竭提〔まかだ〕国の主なり。】
しかも、この王は、摩竭提〔まかだ〕国の王であったのです。

【仏は又此の国にして法華経をと〔説〕かんとおぼしゝに、】
仏が、この国で法華経を説こうと思われたときに、

【王と仏と一同なれば、】
頻婆沙羅〔びんばさら〕王の気持ちは、仏と同じ思いであったので、

【一定法華経と〔説〕かれなんとみ〔見〕へて候ひしに、】
必ず、その国で法華経が説かれるであろうと思われたのです。

【提婆達多と申せし人、いかんがして此の事をやぶ〔破〕らんとおもひしに、】
ところが、提婆達多と言う人が何とかして、この事を阻止しようと企てました。

【すべてたよ〔便〕りなかりしかば、とかう〔左右〕はか〔謀〕りしほどに、】
その、すべてが、うまくいかなかったので、あれこれと謀略を繰り返したのです。

【頻婆沙羅王の太子】
そこで、提婆達多は、頻婆沙羅〔びんばさら〕王の皇子である

【阿闍世王を、】
阿闍世〔あじゃせ〕王に近づき、

【としごろ〔年頃〕とかくかた〔語〕らひて、やうや〔漸〕く心をと〔取〕り、】
数年の間、言葉巧みに自分を信用させ、次第に心をつかみ、

【をや〔親〕と子とのなか〔仲〕を申したがへて阿闍世王をすかし、】
親と子との仲を違えさせ、ついに阿闍世〔あじゃせ〕王を騙〔だま〕して、

【父の頻婆沙羅王をころさせ、阿闍世王と心を一つにし、】
父の頻婆沙羅〔びんばさら〕王を殺させたのです。

【提婆と阿闍世王と一味となりしかば、】
こうして、提婆達多と阿闍世〔あじゃせ〕王が仲間になると、

【五天竺の外道悪人雲かすみ〔霞〕のごとくあつまり、】
全インドの外道の悪人が雲霞〔うんか〕のように、そこに集まり、

【国をた〔給〕び、たから〔財〕をほどこ〔施〕し、】
それらに、国の要職を与え、国の財産を施し、

【心をやわ〔和〕らげすかししかば、一国の王すでに仏の大怨敵となる。】
懐柔して機嫌をとったので、その国の王は、仏の大怨敵となったのです。

【欲界第六天の魔王、無量の眷属〔けんぞく〕を具足してうち下り、】
欲界の第六天の魔王が量り知れないほどの眷属を引き連れて、うち下〔くだ〕り、

【摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入り】
摩竭提〔まかだ〕国の提婆達多や阿闍世王や六大臣などの身に入り、

【かはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり。】
変わったので、形は、人間であっても、力は、第六天の魔王の力があったのです。

【大風の草木をなびかすよりも、大風の大海の波をたつるよりも、】
大風が草木をなびかすよりも、大風が大海の波を立てるよりも、

【大地震の大地をうごかすよりも、大火の連宅をや〔焼〕くよりも、】
大地震が大地を動かすよりも、大火が多くの家々を焼くよりも、

【さは〔騒〕がしくを〔怖〕ぢわなゝ〔慄〕きし事なり。】
国は、騒がしく乱れて、人々は、畏れ慄〔おのの〕いたのです。

【さればはるり〔波瑠璃〕王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ、】
その中で、波留璃〔はるり〕王と言う王は、阿闍世王によって仲間に引き入れられ、

【釈迦仏の御身にしたしき人数百人切りころす。】
釈尊の親しい人、数百人を切り殺したのです。

【阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふ〔踏〕みころ〔殺〕させつ。】
阿闍世王は、酔った象を放って、釈尊の弟子を数多く踏み殺させました。

【或は道に伏兵をす〔据〕へ、或は井に糞をいれ、】
あるいは、道に兵士を伏せ置き、あるいは、井戸に糞を入れ、

【或は女人をかたらひてそら〔虚〕事い〔言〕ひつけて仏弟子をころす。】
あるいは、女性を仲間に引き入れて嘘を言い、仏弟子を殺したのです。

【舎利弗・目連が事にあひ、】
舎利弗や目連がひどい目にあい、

【かるだい〔加留陀夷〕が馬のくそ〔糞〕にうづ〔埋〕まれし、】
加留陀夷〔かるだい〕が馬の糞に埋められて殺され、

【仏はせめられて一夏九十日】
釈迦牟尼仏が苦しめられて、ひと夏、九十日間、

【馬〔うま〕のむぎをまいりしこれなり。世間の人のおもはく、】
馬の餌の麦を食べたのは、こういう訳なのです。世間の人が思うには、

【悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひて、】
悪人に対しては、仏の御力も敵わないであろうと思って、

【信じたりし人々も音〔こえ〕をの〔呑〕みてもの申さず、】
仏を信じていた人々も声をひそめて、ものも言わず、

【眼をと〔閉〕ぢてものをみる事なし。】
眼を閉じて、ものを見る事もせず、

【たゞ舌をふり手をかきし計りなり。】
ただ、舌を巻き、手を左右に振るばかりであったのです。

【結句〔けっく〕は提婆達多、釈迦如来の養母蓮華比丘尼を打ちころし、】
あげくのはては、提婆達多が、釈迦如来の養母の蓮華比丘尼を打ち殺し、

【仏の御身より血を出だせし上は誰の人かかたうど〔方人〕になるべき。】
仏の御身から血が出るような状態では、誰人が仏の味方になるでしょうか。

【かくやうやうになりての上、】
このような状態になった後に、

【いかゞしたりけん法華経をと〔説〕かせ給ひぬ。此の法華経に云はく】
どうしたことか、法華経を説かれたのです。この法華経には、

【「而も此の経は如来の現在にすら猶〔なお〕怨嫉多し。】
「しかも、この経は、如来の在世においてさえ、怨嫉が多い。

【況んや滅度の後をや」と云云。】
ましてや如来の滅度の後においては、なおさらである」と説かれているのです。

【文の心は、我が現在して候だにも、此の経の御かたきかくのごとし。】
文の意味は、仏が現に存在していても、この法華経の敵は、このように怨嫉する。

【いか〔何〕にいわ〔況〕うや末代に法華経を一字一点もと〔説〕き】
ましてや、末法の時代においては、法華経を一字一点でも説き、

【信ぜん人をやと説かれて候なり。】
信じようとする人には、さらに激しい怨嫉が起こると説かれているのです。

【此をも〔以〕ておもひ候へば、】
これをもって考えると、

【仏〔ほとけ〕法華経をとかせ給ひて今にいたるまでは】
仏が法華経を説かれてより、現在に至るまで、

【二千二百二十余年になり候へども、】
2220余年になりますが、

【いまだ法華経を仏のごとくよみたる人は候はぬか。】
いまだ、法華経を仏と同じように読んだ人は、居ないのではないでしょうか。

【大難をもち〔以〕てこそ、法華経をし〔知〕りたる人とは申すべきに、】
仏のように大難にあってこそ、法華経を知った人と言うべきなのです。

【天台大師・伝教大師こそ】
天台大師や伝教大師こそは、

【法華経の行者とはみへて候ひしかども、】
仏と同じように法華経の行者であると思われたのですが、

【在世のごとくの大難なし。ただ南三北七・】
釈尊在世のような大難にあっておらず、ただ南三北七の諸師から怨まれ、

【南都七大寺の小難なり。】
南都の七大寺の人々から憎まれたと言う程度の小さな難でしかないのです。

【いまだ国主かたき〔敵〕とならず、】
いまだ、国主は、敵となっておらず、

【万民つるぎ〔剣〕をにぎ〔握〕らず、一国悪口をは〔吐〕かず。】
万民が剣を握って迫害したこともなく、国中の人々が悪口を言ってもいないのです。

【滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりも】
釈尊滅後に法華経を信ずる人は、在世の大難よりも、

【すぐ〔勝〕べく候なるに、】
はるかに越えた大難を受けるはずであるのに、

【同じほどの難だにも来たらず、】
同じ程度の難さえも来ていないのです。

【何に況んやすぐれたる大難多難をや。】
ましてや在世に越えた大難や多難を、受けているはずがないのです。

【虎うそぶ〔嘯〕けば大風ふく、竜ぎん〔吟〕ずれば雲を〔起〕こる。】
虎が吼〔ほ〕えれば、大風が吹き、竜が声を出せば、雲が起こります。

【野兎のうそぶき、驢馬〔ろば〕のいば〔嘶〕うるに風ふかず、】
野兎が鳴き、ロバが嘶〔いなな〕いても、風も吹かず、

【雲をこる事なし。愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は】
雲が起こる事もないのです。愚者が法華経を読み、賢者がその義を説く時は、

【国もさわがず、事もをこらず。】
国も騒がず、何事も起こらないのです。

【聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、】
聖人が出現して仏のように法華経を説くときは、一国あげて大騒ぎになり、

【在世にすぎたる大難を〔起〕こるべしとみえて候。】
釈尊在世に越えた大難が起こるであろうと記されているのです。

【今、日蓮は賢人にもあらず、まして聖人はおもひもよらず。】
今、日蓮は、賢人でもなく、まして聖人とは、思いもよりません。

【天下第一の僻人にて候が、但〔ただ〕経文計りにはあひて候やう〔様〕なれば、】
天下第一の 偏屈〔へんくつ〕者ですが、ただ、経文の通りに仏以上の

【大難来たり候へば、父母のいきかへらせ給ひて候よりも、】
このような大難が起こった事は、父母が生き返られるよりも、

【にく〔憎〕きものゝことにあ〔遭〕ふよりもうれしく候なり。】
憎い者がいなくなるよりも、嬉しいことなのです。

【愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ、】
愚者でありながら、仏に聖人と思われる事こそ、

【うれしき事にて候へ。智者たる上、二百五十戒かた〔堅〕くたもちて、】
嬉しい事なのです。智者であり、さらに百五十戒を固く持って、

【万民には諸天の帝釈をうやま〔敬〕ふよりもうやまはれて、】
諸天が帝釈を敬う以上に万民から敬〔うやま〕われても、

【釈迦仏、法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、】
釈迦牟尼仏や法華経から、不気味であり、提婆達多のようだと思われたならば、

【人目はよきやうなれども後生はおそろしおそろし。】
人目は、良いようであっても、後生は、恐ろしいことになるのです。

【さるにては、殿は法華経の行者にに〔似〕させ給へりとうけ給はれば、】
そうであればこそ、上野殿が法華経の行者の日蓮の弟子であると伝え聞くと、

【もってのほかに人のした〔親〕しきも、うと〔疎〕きも、】
思ってもいないほどの多くの人々が、親しい人も、疎遠な人も、

【日蓮房を信じてはよもまど〔惑〕いなん、】
日蓮房を信じては、さぞかし苦労するであろう。

【上〔かみ〕の御気色〔みけしき〕もあしくなりなんと、】
主君のおぼえも、さぞかし悪いであろうと、

【かたうど〔方人〕なるやうにて御けうくむ〔教訓〕候なれば、】
味方のようなふりをして教訓をすることでしょう。

【賢人までも人のたばかりはをそ〔恐〕ろしき事なれば、】
賢人であっても、親しい人々の心変わりは、恐ろしいことなので、

【一定法華経すて給ひなん。】
そうなると、必ずや法華経を捨てられる事でしょう。

【なかなか色み〔見〕へてありせばよかりなん。】
むしろ、そうならないように、本心を打ち明けない方が無難かも知れません。

【大魔のつきたる者どもは、一人をけうくん〔教訓〕しを〔堕〕としつれば、】
大魔がついた者達は、一人を教訓して退転させ、

【それをひ〔引〕っか〔懸〕けにして多くの人をせ〔攻〕めを〔落〕とすなり。】
それを、きっかけにして、法華経を信じる多くの人を攻め落とすのです。

【日蓮が弟子にせう〔少輔〕房と申し、のと〔能登〕房といゐ、】
日蓮の弟子の少輔房と言い、能登房と言い、

【なご〔名越〕えの尼なんど申せし物どもは、】
名越の尼などと言う者達は、

【よく〔欲〕ふか〔深〕く、心をく〔臆〕びゃう〔病〕に、】
日蓮を信じているようでも、実際には、欲深く、心は、臆病で、

【愚痴にして而も智者となのりしやつばら〔奴原〕なりしかば、】
愚癡でありながら、他人には、智者と名乗っていた連中だったので、

【事のを〔起〕こりし時、】
いざ、事が起こったときには、

【たよ〔便〕りをえ〔得〕ておほ〔多〕くの人をおとせしなり。】
このような機会を得て、多くの人を退転させてしまったのです。

【殿もせめをとされさせ給ふならば、】
上野殿も攻め落とされるならば、

【するが〔駿河〕にせうせう〔少少〕信ずるやうなる者も、】
駿河の国で、法華経を多少、信じているような者も、

【又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。】
また、信じようと思っている人々も、皆、法華経を捨てる事になるでしょう。

【さればこの甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候へども、】
それゆえ、この甲斐の国にも、多少、信じようとする人々は、いるのですが、

【おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。】
はっきりしないうちは、入信させないでいるのです。

【なかなかしき人の信ずるやうにてなめり〔乱言〕て候へば、】
中途半端な人が信心しているような格好をして、好い加減なことを言えば、

【人の信心をもやぶりて候なり。】
他の人の信心をも破ってしまうのです。

【たゞをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、】
そのような者は、放って置きなさい。梵天や帝釈の計らいで、

【日本国一時に信ずる事あるべし。】
日本国の人々が一度に信ずることがあるでしょう。

【爾〔そ〕の時我も本より信じたり我も本より信じたりと申す人こそ、】
その時には、私も、もともと信じていたと言う人が、

【をゝ〔多〕くをは〔在〕せずらんめとおぼえ候。】
多く出て来ると思われます。

【御信用あつくをはするならば人のためにはあらず、】
日蓮を強く信用されているならば、それは、人の為ではなく、

【我が故〔こ〕父〔ちち〕の御ため、】
上野殿の亡き父の為なのです。

【人は我がをや〔親〕の後世にはかはるべからず。】
他人は、自分の親の後世について、代わって弔〔とむら〕うことは出来ません。

【子なれば我こそ故をや〔親〕の後世をばとぶら〔弔〕ふべけれ。】
子であればこそ、自分が亡き親の後世、を弔〔とむら〕うことが出来るのです。

【郷一郷知るならば、半郷は父のため、】
郷を一郷、治めるならば、半郷は、父の為に、

【半郷は妻子眷属をやしなふべし。】
そして半郷は、妻子や家来を養う為であるべきです。

【我が命は事出できたらば上〔かみ〕にまいらせ候べしと、】
私の命は、事が起こったならば、主君に差し上げようと、

【ひとへにおもひきりて、何事につけても言〔ことば〕をやわらげて、】
偏えに思い切って、何事に対しても言葉を和らげて、

【法華経の信をうす〔薄〕くなさんずるやうをたばか〔謀〕る人出来せば、】
法華経の信心を薄くしようと企〔たくら〕む人が出て来たならば、

【我が信心をこゝろ〔試〕むるかとおぼして、】
自分の信心を試〔ため〕していると思って、

【各々これを御けうくん〔教訓〕あるはうれしき事なり。】
あなた方が私を教訓してくれるのは、ほんとうに嬉しいことですが、

【たゞし、御身をけうくんせさせ給へ。】
しかし、まずは、このような事をされる前に、御自身を教訓されるが良いでしょう。

【上の御信用なき事はこれにもし〔知〕りて候を、】
主君が信用していないことは、私自身が知っているのに、

【上をも〔以〕ておど〔脅〕させ給ふこそをかしく候へ。】
あえて主君を持ち出して脅されることこそ、実におかしなことです。

【参りてけうくん申さんとおもひ候ひつるに、】
実は、あなたの所へ行って、その事を教訓しようと思っていたのに、

【うわて〔上手〕うたれまいらせて候。】
あなたに先手を打たれてしまいました。

【閻魔王に、我が身といとを〔愛〕しとおぼす御め〔妻〕と子とを】
閻魔大王に、自分と自分が可愛く思っている妻子とが

【ひっぱられん時は、時光に手をやすらせ給ひ候はんずらんと、】
地獄に引っぱられる時は、この時光に手を合わせられる事であろうと、

【にくげ〔憎気〕にうちい〔云〕ひておはすべし。】
憎らしげに言い放たれるとよいでしょう。

【にいだ〔新田〕殿の事、まことにてや候らん。】
新田殿のことは、本当のことでしょう。

【をきつ〔興津〕の事、きこへて候。】
興津〔おきつ〕殿のことは、聞いております。

【殿もびんぎ〔便宜〕候はゞ其の義にて候べし。】
上野殿も機会があれば、その道理を貫いてください。

【かま〔構〕へておほきならん人申しいだしたらば、】
こころして、身分が上の人が、このように教訓めいた事を言って来たときには、

【あはれ法華経のよきかたき〔敵〕よ、】
あはれ法華経にとって、ちょうど良い敵〔かたき〕が現れたものよ、

【優曇華〔うどんげ〕か、】
これは、三千年に一度の優曇華が咲くのに遇い、

【盲亀〔もうき〕の浮木〔ふもく〕かとおぼしめして、】
一眼の亀が浮木に遇うような、貴重な機会であると考えて、

【したゝかに御返事あるべし。】
余裕を持って返答してください。

【千丁万丁しる人も、わづかの事にたちま〔忽〕ちに命をすて、】
千町、万町の広大な土地を治める人であっても、些細なことで、すぐに命を捨てて、

【所領をめ〔召〕さるゝ人もあり。】
その所領を取り上げられてしまう人もいます。

【今度法華経のために命をすつる事ならば、】
このたび法華経の故に命を捨てると言う事であるならば、

【なにかはを〔惜〕しかるべき。】
何が惜しいことがあるでしょうか。

【薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給ひ、】
薬王菩薩は、身体を千二百歳の間、焼き尽くして仏になられ、

【檀王は千歳が間身をゆか〔床〕となして】
須頭檀王〔すずだんのう〕は、千年の間、身を床として、

【今の釈迦仏といわれさせ給ふぞかし。】
今の釈迦牟尼仏となられたのです。

【さればとて、ひが事をすべきにはあらず。】
そうであれば、心得え違いをすべきではありません。

【今はす〔捨〕てなばかへりて人わら〔笑〕われになるべし。】
今、信心を捨てたならば、返って人に笑われることになるでしょう。

【かたうど〔方人〕なるやうにてつくりをと〔落〕して、】
味方のようなふりをして、上野殿を退転させ、

【我もわら〔笑〕い人にもわら〔笑〕わせんとするが】
自分も嘲笑し、人にも笑わせようとする、

【き〔奇〕くわ〔怪〕ひなるに、よくよくけうくわん〔教訓〕せさせて、】
けしからぬ者達に、よくよく話を聞き、いかにも教訓をさせておいて、

【人の多くきかんところにて人をけうくん〔教訓〕せんよりも、】
多くの人が聞いているところで、人を教訓するよりも、

【我が身をけうくんあるべしとて、かつはたゝせ給へ。】
自分の身を教訓するべきであると告げて、勢いよく座を立たれるが良いのです。

【一日二日が内にこれへきこへ候べし。】
一両日の内に、こちらに報告してください。

【事おほければ申さず、又々申すべし。】
事が繁多〔はんた〕なので、これ以上は、またの機会に申し上げましょう。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【五月十五日   日蓮花押】
5月15日   日蓮花押

【上野殿御返事】
上野殿御返事


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