日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 28 上野殿御返事(杖木書)

【上野殿御返事 弘安二年四月二〇日 五十八歳】
上野殿御返事 弘安2年4月20日 58歳御作


【抑〔そもそも〕日蓮種々の大難の中には、】
思えば日蓮が受けた種々の大難の中で、

【竜〔たつ〕の口〔くち〕の頸〔くび〕の座と】
竜の口の頸〔くび〕の座と

【東条〔とうじょう〕の難にはすぎず。】
東条小松原の難ほどの大難は、ありませんでした。

【其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。】
そのわけは、諸難の中でも、身命を捨てるほどの大難は、ないからです。

【或はの〔罵〕り、せ〔責〕め、或は処をおわれ、】
あるいは、悪口を言われ、あるいは、所を追われ、

【無実を云ひつけられ、】
また、讒言〔ざんげん〕をされても、

【或は面〔おもて〕をう〔打〕たれしなどは物のかずならず。】
あるいは、顔を打たれた事などは、この二つに比べれば、物の数ではないのです。

【されば色心の二法よりをこりてそし〔誹〕られたる者は、】
したがって、色法と心法との二法から謗〔そし〕られた者は、

【日本国の中には日蓮一人なり。】
日本の中では、日蓮ただ一人なのです。

【ただし、ありとも法華経の故にはあらじ。】
たとえ、難にあった人が居たとしても、法華経の故ではないでしょう。

【さてもさてもわすれざる事は、】
それにつけても忘れられないことは、

【せうぼう〔少輔房〕が法華経の第五の巻を取りて】
松葉ヶ谷の草庵で少輔〔しょうう〕房が、法華経の第五の巻を取り出して、

【日蓮がつら〔面〕をうちし事は、】
日蓮の顔を打ったことです。

【三毒よりをこる処のちゃうちゃく〔打擲〕なり。】
これは、貪瞋癡の三毒から、起こった打擲〔ちょうちゃく〕なのです。

【天竺〔てんじく〕に嫉妬〔しっと〕の女人あり。】
昔、インドに嫉妬深い女性がいました。

【男をにくむ故に、家内〔かない〕の物をことごとく打ちやぶり、】
男を憎んで、家の中の物を、ことごとく打ち壊してしまいました。

【其の上にあまりの腹立〔はらだち〕にや、すがた〔姿〕けしき〔気色〕かわり、】
その上、あまりの腹立ちに、顔の表情も変わって、

【眼は日月の光のごとくかがやき、くちは炎をはくがごとし。】
眼は、日月のように、らんらんと輝き、口は、炎を吐くようであり、

【すがたは青鬼・赤鬼のごとくにて、】
その姿は、青鬼や赤鬼のようになってしまったのです。

【年来〔としごろ〕男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、】
そして、日ごろ、男が読誦している法華経の第五の巻を取り出して、

【両の足にてさむざむ〔散散〕にふみける。】
両足で散々に踏みつけたのです。

【其の後命つきて地獄にを〔堕〕つ。両の足ばかり地獄にい〔入〕らず。】
その後、命が尽きて地獄に堕ちましたが、両足だけが地獄に入らなかったのです。

【獄卒鉄杖をもってうてどもいらず。】
獄卒〔ごくそつ〕が鉄杖〔てつじょう〕で打っても入らなかったのです。

【是は法華経をふみし逆縁の功徳による。】
これは、法華経を踏んだ逆縁の功徳によるのです。

【今日蓮をにくむ故に、せうぼうが】
今、日蓮を憎む少輔〔しょうう〕房が、

【第五の巻を取りて予がをもて〔面〕をうつ、】
法華経の第五の巻を取って日蓮の顔を打った事も、

【是も逆縁となるべきか。】
このように逆縁となるでしょうか。

【彼は天竺此は日本、かれは女人これはをとこ〔男〕、】
かれは、インド、これは、日本であり、かれは、女性、これは、男性。

【かれは両のあし〔足〕これは両の手、】
かれは、両足、これは、両手。

【彼は嫉妬の故此は法華経の御故なり。】
かれは、嫉妬のゆえ、これは、法華経の故であるのです。

【されども法華経の第五の巻はをな〔同〕じきなり。】
しかし、法華経の第五の巻は、同じなのです。

【彼の女人のあし地獄に入らざらんに、】
かの女性の足が地獄に入らなかったのですから、

【此の両の手無間〔むけん〕に入るべきや。】
少輔〔しょうう〕房の両手が無間地獄に入る事があるでしょうか。

【たゞし彼は男をにくみて法華経をばにくまず。】
ただし、かの女性は、男を憎んでいましたが、法華経を憎んではいなかったのです。

【此は法華経と日蓮とをにく〔憎〕むなれば】
少輔〔しょうう〕房は、法華経と日蓮とを憎んでのことであるから、

【一身無間に入るべし。】
身体、全体が無間地獄に入るでしょう。

【経に云はく「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。】
法華経には「其の人命終して阿鼻獄に入らん」とあります。

【手ばかり無間に入るまじとは見へず、不便〔ふびん〕なり不便なり。】
この経によれば、手だけ無間地獄に入らないとは思えず、まことに不憫なことです。

【ついには日蓮にあひて仏果をうべきか。】
しかし、少輔〔しょうう〕房も結局は、日蓮にあって仏果を得るでしょう。

【不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。】
ちょうど不軽菩薩を迫害した増上慢の四衆のようなものなのです。

【夫〔それ〕第五の巻は一経第一の肝心なり。】
さて、この法華経第五の巻は、一経第一の肝心です。

【竜女が即身成仏あき〔明〕らかなり。】
ここには、竜女の即身成仏が明らかに説かれているのです。

【提婆はこころの成仏をあらはし、竜女は身の成仏をあらはす。】
提婆達多は、心の成仏を顕し、竜女は、身の成仏を顕しているのです。

【一代に分〔ぶん〕絶〔た〕へたる法門なり。】
このような深遠な法門は、釈迦一代の経文において他には、見られないものです。

【さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して】
だからこそ、伝教大師は、法華秀句の中で法華経が一切経に超過して

【勝れたる事を十あつめ給ひたる中に、】
優れていることを十箇条に挙げられましたが、その中で、

【即身成仏化導勝とは此の事なり。】
即身成仏化導勝と言われているのが、このことなのです。

【此の法門は天台宗の最要にして】
この法門は、天台宗における最も重要なもので、

【即身成仏義と申して文句の義科なり。】
即身成仏義と言って、法華文句第八の巻の義科の一つなのです。

【真言・天台の両宗の相論なり。】
これについては、真言、天台の二宗の間で論争がありましたが、

【竜女が成仏も法華経の功力なり。】
竜女の成仏も法華経の功力であって、

【文殊師利〔もんじゅしり〕菩薩は「唯常宣説妙法華経」とこそかたらせ給へ。】
文殊師利菩薩が竜女を教化するのに「唯常に妙法華経を宣説す」と語られています。

【唯常の二字は八字の中の肝要なり。】
「唯常」の二字は、この八字の中の肝要なのです。

【菩提心論〔ぼだいしんろん〕の「唯真言法中」の唯の字と、】
菩提心論の「唯、真言法の中のみ」の「唯」と、

【今の唯の字といづれを本とすべきや。】
法華経の「唯」とのいずれを、根本とすべきでしょうか。

【彼の唯の字はをそ〔恐〕らくはあやまりなり。】
菩提心論の「唯」の字は、恐らくあやまりであり、

【無量義経に云はく「四十余年未だ真実を顕はさず」と。】
無量義経には「四十余年には、未だ真実を顕さず」とあり、

【法華経に云はく「世尊の法久しくして後】
法華経方便品には「世尊は法久しくして後、

【要〔かなら〕ず当に真実を説きたまふべし」と。】
要〔かなら〕ず当に真実を説きたもうべし」と説かれ、

【多宝仏は「皆是真実なり」とて、】
見宝塔品で、多宝仏は「皆是れ真実なり」と述べられており、

【法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり。】
即身成仏は、法華経に限ることが定められているのです。

【爾前経にいかやうに成仏ありともと〔説〕け、】
爾前経に、どのように成仏があると説かれていようと、

【権宗の人々無量にい〔言〕ひくる〔狂〕ふとも、】
また権宗の人々が、どのように言い狂ったとしても、

【たゞほうろく〔焙烙〕千につち〔槌〕一つなるべし。】
要するに千の素焼きの土器も一つの槌〔つち〕には、及ばないのと同じなのです。

【「法華折伏破権門理」とはこれなり。】
「法華は、折伏にして権門の理を破す」とは、このことなのです。

【尤〔もっと〕もいみじく秘奥なる法門なり。又天台の学者、】
これは、最も大事な秘奥〔ひおう〕である法門なのです。また天台宗において、

【慈覚よりこのかた玄・文・止の三大部の文を】
慈覚以後の学者が、玄義、文句、止観の三大部の文章について、

【とかくれうけん〔料簡〕し義理をかま〔構〕うとも、】
あれこれと解釈したり、勝手な意味づけをしてみたところで、

【去年のこよみ〔暦〕昨日の食〔じき〕のごとし。】
それは、ちょうど去年の暦や昨日の食べ物のようなもので、

【けう〔今日〕の用にならず。】
今日の役には、立たないのです。

【末法の始めの五百年に、法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は、】
末法の始めの五百年に、法華経の題目を離れて成仏があると言う人は、

【仏説なりとも用ゆべからず。】
それが仏説であったとしても、用いてはならないのです。

【何に況んや人師の義をや。爰〔ここ〕に日蓮思ふやう、】
まして人師の義など、なおさらのことなのです。そこで日蓮が考えるのに、

【提婆〔だいば〕品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり。】
提婆達多品をみると、提婆達多は、釈尊の昔の師なのです。

【昔の師は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。】
昔の師は、今の弟子であり、今の弟子は、昔の師なのです。

【古今能所不二〔ここんのうしょふに〕にして】
これは、昔と今、師と弟子とは、一体不二であると言う

【法華の深意をあらはす。】
法華経の深意を顕しているのです。

【されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来、師となり、】
それゆえ、悪逆の提婆達多には、慈悲の釈迦如来が師となり、

【愚癡の竜女には智慧の文殊、師となり、】
愚癡の竜女には、智慧の文殊が師となっているのです。

【文殊・釈迦如来にも日蓮をと〔劣〕り奉るべからざるか。】
文殊、釈迦如来にも日蓮が劣ることはないでしょう。

【日本国の男は提婆がごとく、女は竜女にあひに〔似〕たり。】
日本国の男は、提婆達多のようであり、女は、竜女に似ているのです。

【逆順ともに成仏を期〔ご〕すべきなり。】
日蓮に従う者も、背く者も、順逆ともに成仏を期すことが出来ると言うのが、

【是〔これ〕提婆品の意なり。】
提婆達多品の意義なのです。

【次に勧持〔かんじ〕品に八十万億那由他の菩薩の】
次に、勧持品において、八十万億那由佗の菩薩が

【異口同音の二十行の偈〔げ〕は日蓮一人よめり。】
異口同音に誓った二十行の偈は、日蓮一人が身で読んだのです。

【誰か出でて日本国・唐土・天竺三国にして、】
日本国、中国、インドの三国に、

【仏の滅後によみたる人やある。】
釈尊入滅後、二十行の偈を身で読んだ人が、いるでしょうか。

【又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。】
また、私が読んだと名乗り出られた人はいません。また、あるとも思われません。

【「及加刀杖〔ぎゅうかとうじょう〕」の】
二十行の偈のうち「及加刀杖〔ぎゅうかとうじょう〕」とある

【刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。】
「刀杖」の二字のうち、杖をもって打たれた人は、いるでしょう。

【刀の字にあひたる人をき〔聞〕かず。】
しかし、刀をもって斬られた人のことは、聞きません。

【不軽菩薩は「杖木瓦石」と見へたれば杖の字にあひぬ、】
不軽菩薩は、「杖木瓦石」と経文にあるから、杖の難にはあっていますが、

【刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は】
刀の難にあったとは、聞いていません。天台大師、妙楽大師、伝教大師などは、

【「刀杖不加」と見へたれば是又か〔欠〕けたり。】
安楽行品に「刀杖不加」とあるのですから、これも、また欠けています。

【日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。】
日蓮は、刀杖の二字ともに身で読んだのです。

【剰〔あまつさ〕へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜の口となり。】
ことに刀の難は、前に述べたように、東条の松原と竜の口の法難のことです。

【一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。】
刀の難には、一度もあった人もいなかったのに、日蓮は、二度もあったのです。

【杖の難には、すでにせうばうにつら〔面〕をうたれしかども、】
杖の難は、少輔〔しょうう〕房に顔を打たれたことですが、

【第五の巻をもてうつ。】
それも法華経第五の巻で打たれたのです。

【うつ杖も第五の巻、うたるべしと云ふ経文も五の巻、】
打つ杖も第五の巻、打たれると説かれた経文も第五の巻であり、

【不思議なる未来記の経文なり。】
不思議な未来予言の経文なのです。

【さればせうばう〔少輔房〕に、日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、】
したがって、日蓮が数十人の中で、少輔〔しょうう〕房に打たれた時の心境は、

【法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なれば】
これも法華経の為とは、思ったのですが、まだ、凡夫の身であるので

【うたて〔無情〕かりける間、つえをもうば〔奪〕ひ、】
打たれている間は、少輔〔しょうう〕房から、その杖を奪い、

【ちからあるならば、ふ〔踏〕みを〔折〕りす〔捨〕つべきことぞかし。】
力があるならば、踏み折って、捨ててやりたいほどだったのです。

【然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。】
しかし、その杖は、法華経の第五の巻であったのです。

【いまをも〔思〕ひい〔出〕でたる事あり。】
それにつけて、いま思い出したことがあります。

【子を思ふ故にや、をやつき〔親槻〕の木の弓をもて、】
昔、ある親が子供のことを思って、

【学文せざりし子にをし〔教〕へたり。】
学問に励まない子供を槻〔つき〕の木の弓で打って叱りました。

【然る間此の子うたて〔無情〕かりしは父、にくかりしはつきの木の弓。】
この時、その子は、父を恨み、槻〔つき〕の木の弓を憎んだのですが、

【されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、】
やがて修学も進み、自分自身も悟りを得て、人を利益するような身となったのです。

【立ち還って見れば、つきの木をもて我をうちし故なり。】
振り返えれば、これは、親が槻〔つき〕で自分を打ってくれたからなのです。

【此の子そとば〔卒塔婆〕に此の木をつくり、】
この子供は、亡き父の為に槻〔つき〕の木で率搭婆〔そとば〕を作り、

【父の供養のためにた〔建〕て、てむ〔手向〕けりと見へたり。】
供養のために建てたと言うのです。

【日蓮も又かくの如くあるべきか。】
日蓮も、また、このようにするべきでしょうか。

【日蓮仏果をえ〔得〕むに争〔いか〕でか】
日蓮が仏果を得ることが出来た時には、

【せうばう〔少輔房〕が恩をす〔捨〕つべきや。】
どうして少輔〔しょうう〕房の恩を棄てることが出来るでしょうか。

【何に況んや法華経の御恩の杖をや。】
まして、法華経第五の巻の御恩の杖を忘れられるでしょうか。

【かくの如く思ひつづけ候へば感涙を〔押〕さへがたし。】
このように思い続けていると、感涙を押さえる事が出来ないのです。

【又涌出品は日蓮がためにはすこ〔少〕しよしみある品なり。】
また、従地涌出品は、日蓮にとって少し縁のある品です。

【其の故は上行菩薩等の末法に出現して、】
それは、上行菩薩などが末法に出現して、

【南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。】
南無妙法蓮華経の五字を弘めるであろうと言う事が説かれているからです。

【しかるに先づ日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩より】
それなのに、日蓮一人が現れたのです。それに続く六万恒河沙の地涌の菩薩から、

【さだめて忠賞をかほ〔蒙〕るべしと思へばたのもしき事なり。】
それを間違いなく御誉め頂けると思えば、実に力強いことです。

【とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。】
ともかくも法華経に身をまかせ信じてください。

【殿一人にかぎるべからず。】
また上野殿一人だけが信ずるだけでなく、

【信心をすすめ給ひて、過去の父母等をすく〔救〕わせ給へ。】
信心をすすめて、過去の父母などを救ってください。

【日蓮生まれし時よりいまに】
日蓮は、生まれた時から、今にいたるまで、

【一日片時もこころやすき事はなし。】
一日、片時も心の安まる事は、ありませんでした。

【此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。】
ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであったのです。

【相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、】
自他の生死は、わかりませんが、あなたの御臨終の際には、

【生死の中間に、日蓮かならずむか〔迎〕いにまいり候べし。】
生死の中間に、日蓮が必ず迎えに参るでしょう。

【三世の諸仏の成道は、】
三世の諸仏の成道は、

【ねうし〔子丑〕のを〔終〕はりとら〔寅〕のきざみ〔刻〕の成道なり。】
午前3時から午前5時の時刻の成道です。

【仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり。】
仏法の住処は、王城の鬼門の方に、インド、中国、日本の三国ともに立つのです。

【此等は相承の法門なるべし。委しくは又々申すべく候。】
これらは、相承の法門です。詳しくは、またの時に申し上げましょう。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【卯月二十日   日蓮花押】
4月20日   日蓮花押

【上野殿御返事】
上野殿御返事

【かつ〔飢〕へて食をねがひ、渇〔かっ〕して水をしたうがごとく、】
飢えた時に食べ物を求め、喉〔のど〕が渇いた時に水を欲しがるように、

【恋ひて人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、】
恋しい人を見たいように、病気になって薬を頼りにするように、

【みめかたち〔形容〕よき人、べに〔紅〕しろいものをつくるがごとく、】
美しい人が口紅〔くちべに〕や白粉〔おしろい〕をつけるのと同じように、

【法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし云云。】
法華経では、信心をしてください。そうでなければ、きっと後悔されるでしょう。


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