日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 03 上野殿後家尼御返事

【上野殿後家尼御返事 文永二年七月一一日 四四歳】
上野殿後家尼御返事 文永2年7月11日 44歳御作


【御供養の物種々給〔た〕び畢〔おわ〕んぬ。】
このたび、御供養の品を数々頂きました。

【抑〔そもそも〕上野殿死去の後はをとづれ〔音信〕冥途より候やらん、】
まさか、上野殿が亡くなった後で、冥途より訪〔おとづ〕れられたのでしょうか。

【き〔聞〕かまほしくをぼへ候。たゞしあるべしともおぼへず。】
それを御尋ねしたいものですが、そのようなことが、現実にあるとも思えません。

【もし夢にあらずんばすがた〔姿〕をみる事よもあらじ。】
夢でもない限り、御姿をふたたび、見ることは、ないでしょうし、

【まぼろ〔幻〕しにあらずんばみ〔見〕ゝえ給ふ事いかゞ候はん。】
また、幻しでもなければ、見えるなどと言うことが、あるでしょうか。

【さだめて霊山〔りょうぜん〕浄土にてさば〔裟婆〕の事をば、】
おそらく、霊山浄土で娑婆世界のことを、

【ちうや〔昼夜〕にき〔聞〕ゝ御覧じ候らむ。】
昼夜、見聞きされていることでしょう。

【妻子等は肉眼なればみ〔見〕させき〔聞〕かせ給ふ事なし。】
しかし、妻子は、人であり、肉眼しかないので見ることも聞くこともできません。

【ついには一所〔いっしょ〕とをぼしめせ。】
それでも、最後には、一緒になり、会うことが出来ると思ってください。

【生々世々の間ちぎ〔契〕りし夫〔おとこ〕は】
生々流転の世間において、夫婦の契りを交わした男は、

【大海のいさご〔沙〕のかずよりもをゝ〔多〕くこそをはしまし候ひけん。】
大海の砂の数よりも多いことでしょうが、

【今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこ〔夫〕よ。】
この度の契りこそは、真実の契りであり、真実の夫〔おとこ〕なのです。

【そのゆへは、をとこのすゝ〔勧〕めによりて法華経の行者とならせ給へば】
そのわけは、夫の勧めによって法華経の行者となられたのですから、

【仏とをが〔拝〕ませ給ふべし。】
仏として尊ぶべきです。

【い〔生〕きてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。】
生きておられた時は、生の仏であり、今は、死の仏、生死ともに仏なのです。

【即身成仏と申す大事の法門これなり。法華経第四に云はく】
即身成仏と言う大事な法門は、このことを説き顕されたのです。法華経の第四の巻、

【「若し能〔よ〕く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云。】
宝塔品に「若し能くたもつ者は、仏身をたもつ者である」とあります。

【夫〔それ〕浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、】
浄土と言っても地獄と言っても、けっして外にあるものではありません。

【たゞ我等がむね〔胸〕の間にあり。これをさと〔悟〕るを仏といふ。】
ただ我等の胸中にあるのです。これを悟る者を仏と言い、

【これにまよ〔迷〕ふを凡夫と云ふ。】
これに迷う者を凡夫と言うのです。

【これをさとるは法華経なり。】
そして、この事を悟ることが出来るのが法華経なのです。

【もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。】
したがって、法華経を受持する者は、地獄即寂光と悟ることができるのです。

【たとひ無量億歳のあひだ〔間〕権教を修行すとも、】
たとえ無量億歳の間、権教を修行しても、

【法華経をはな〔離〕るゝならば、たゞいつも地獄なるべし。】
法華経から離れるならば、いつも地獄なのです。

【此の事日蓮が申すにはあらず、】
この事は、日蓮が言うのではなく、

【釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給ひしなり。】
釈迦牟尼仏、多宝仏、十方分身の諸仏が定められたことなのです。

【されば権教を修行する人は、火にや〔焼〕くるもの又火の中へい〔入〕り、】
それゆえに権教を修行する人は、火に焼かれる者が、さらに火の中に入り、

【水にしづ〔沈〕むものなを〔尚〕ふち〔淵〕のそこ〔底〕へ入るがごとし。】
水に沈む者が、ますます海の底に沈むようなものなのです。

【法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。】
法華経を受持しない人は、火や水の中に、自ら入って行くようなものなのです。

【法華経誹謗〔ひぼう〕の悪知識たる法然・弘法等をたの〔恃〕み、】
法華経誹謗の悪知識である法然や弘法を頼み、

【阿弥陀経・大日経等を信じ給ふは、】
阿弥陀経や大日経などを信じている者は、

【なを火より火の中、水より水のそこ〔底〕へ入るがごとし。】
なお、火の中より猛火の中に、水の上より水の底に入るようなものなのです。

【いかでか苦患〔くげん〕をまぬかるべきや。】
どうして苦悩を免〔まぬが〕れることが出来るでしょうか。

【等活〔とうかつ〕・黒縄〔こくじょう〕・無間〔むけん〕地獄の火坑、】
等活〔とうかつ〕地獄、黒繩〔こくじょう〕地獄、無間〔むけん〕地獄の火口、

【紅蓮〔ぐれん〕・大紅蓮〔だいぐれん〕の氷の底に】
紅蓮、大紅蓮地獄の氷の底に

【入りしづ〔沈〕み給はん事疑ひなかるべし。法華経の第二に云はく】
落ちて沈んでしまうことは、疑いようがありません。法華経第二の巻の譬喩品に

【「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く】
「其の人は、命終して、阿鼻地獄に堕ち、

【展転〔てんでん〕して無数劫〔むしゅこう〕に至らん」云云。】
展転して無数劫に至る」とあります。

【故聖霊〔しょうりょう〕は此の苦をまぬか〔免〕れ給ふ。】
故聖霊は、この苦悩を免〔まぬが〕れておられます。

【すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。】
それは、すでに法華経の行者である日蓮の信者であるからなのです。

【経に云はく「設ひ大火に入るとも火も焼くこと能〔あた〕はじ、】
法華経巻八の普門品に「たとえ大火に入っても、火も焼くことは、できず、

【若し大水に漂〔ただよ〕はされんに其の名号〔みな〕を称せば】
もし、大水に漂わされても、その御名を称えれば

【即ち浅き処を得ん」と。又云はく】
浅き処にたどりつく」とあり、また法華経第七の薬王品にも

【「火も焼くこと能はず水も漂はすこと能はず」云云。】
「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」とあるのです。

【あらたの〔頼〕もしやたのもしや。】
実に頼もしいことです。

【詮ずるところ、地獄を外にもとめ、獄卒〔ごくそつ〕の鉄杖、】
結局は、地獄と言っても、獄卒の鉄杖、

【阿防羅刹〔あぼうらせつ〕のかしゃく〔呵責〕のこゑ〔声〕別にこれなし。】
阿防羅刹〔あぼうらせつ〕の呵責の声も、別に外にあるのではないのです。

【此の法門ゆゝしき大事なれども、】
この法門は、実に大事なことなのですが、

【尼にたい〔対〕しまいらせておし〔教〕へまいらせん。】
尼御前に対して、特別に教えてさしあげます。

【例せば竜女にたいして文殊〔もんじゅ〕菩薩は】
竜女に対して文殊菩薩が、

【即身成仏の秘法をとき給ひしがごとし。】
即身成仏の秘法を説かれたようなものなのです。

【これをきかせ給ひて後はいよいよ信心をいたさせ給へ。】
この法門を聞かれた後は、いよいよ信心に励んでください。

【法華経の法門をきくにつけて、】
法華経の法門を聞くにつけて、

【なをなを信心をはげ〔励〕むをまこと〔真〕の道心者とは申すなり。】
ますます信心を励む者を、まことの求道者と言うのです。

【天台云はく「従藍而青〔じゅうらんにしょう〕」云云。】
天台大師は「青は、藍〔あい〕より出でて藍より青し」と言われております。

【此の釈の心はあい〔藍〕は葉のときよりも、】
この解釈の意味は、藍〔あい〕は、葉の時よりも、染めれば染めるほど、

【なをそ〔染〕むればいよいよあを〔青〕し。法華経はあいのごとし。】
いよいよ青くなるのであり、この法華経も、藍と同じで、

【修行のふかきはいよいよあをきがごとし。】
修行が深くなれば、さらに藍が青くなるように、法華経を求めるものなのです。

【地獄と云ふ二字をば、つちをほるとよめり。】
地獄と言う二文字を、土を掘ると読むのです。

【人の死する時つちをほらぬもの候べきか。】
人が死んだときに、土を掘らない者がいるでしょうか。

【これを地獄と云ふ。死人をやく火は無間の火炎なり。】
これを地獄と言うのです。死人を焼く火は、無間地獄の火炎〔かえん〕です。

【妻子眷属〔けんぞく〕の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり。】
妻子、眷属が死人の前後を付いて歩く姿は、獄卒、阿防羅刹〔あぼうらせつ〕です。

【妻子等のかなしみな〔泣〕くは獄卒のこゑ〔声〕なり。】
妻子などが悲しみ泣くのは、獄卒の声なのです。

【二尺五寸の杖は鉄杖なり。馬は馬頭〔めず〕、牛は牛頭〔ごず〕なり。】
二尺五寸の杖は、その鉄杖であり、馬は、馬頭と言う鬼、牛は、牛頭と言う鬼です。

【穴は無間大城〔むけんだいじょう〕、】
穴は、無間大城〔むけんだいじょう〕であり、

【八万四千のかま〔釜〕は八万四千の塵労門〔じんろうもん〕、】
八万四千の地獄の釜は、八万四千の煩悩であり、

【家をきりいづるは死出〔しで〕の山、】
家を出るのは、死出の山であり、

【孝子の河のほとり〔辺〕にたゝずむは三途の愛河なり。】
親孝行な子が河のほとりにたたずむのは、三途の河なのです。

【別に求むる事はかなしはかなし。】
これ以外に別に求めることは、実に、はかないことなのです。

【此の法華経をたもちたてまつる人は此をうちかへし、】
この法華経を受持する人は、これを打ち返して、

【地獄は寂光土〔じゃっこうど〕、】
地獄は、寂光土であり、

【火焔〔かえん〕は報身〔ほうしん〕如来の智火、】
火焔は、報身如来の智火とし、

【死人は法身〔ほっしん〕如来、火坑は大慈悲為室の応身〔おうじん〕如来、】
死人は、法身如来、火口は、それを大慈悲となす応身如来、

【又つえは妙法実相のつえ、】
また杖は、妙法実相の杖、

【三途の愛河は生死即涅槃〔しょうじそくねはん〕の大海、】
三途の河は、生死即涅槃の大海、

【死出の山は煩悩即菩提の重山なり。かく御心得させ給へ。】
死出の山は、煩悩即菩提の重山となるのであると心得てください。

【即身成仏とも開仏知見とも、】
このように悟り、また開くのを即身成仏とも、

【これをさと〔悟〕りこれをひら〔開〕くを申すなり。】
開仏知見とも言うのです。

【提婆達多〔だいばだった〕は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、】
提婆達多は、阿鼻獄を寂光、極楽と開き、

【竜女が即身成仏もこれより外は候はず。】
竜女の即身成仏も、このことに他ならないのです。

【逆即是順の法華経なればなり。これ妙の一字の功徳なり。】
それは、逆即是順の法華経だからであり、これが妙の一字の功徳なのです。

【竜樹菩薩〔りゅうじゅぼさつ〕の云はく】
竜樹菩薩は

【「譬〔たと〕へば大薬師の能く毒を変じて薬と為〔な〕すが如し」云云。】
「譬えば大薬師が、よく毒を変じて薬と為すようなものである」と述べ、

【妙楽大師〔みょうらくだいし〕云はく】
妙楽大師は

【「豈〔あに〕伽耶〔がや〕を離れて別に常寂を求めん、】
「伽耶〔がや〕城を離れて別に常寂光を求めてはいけない。

【寂光の外〔ほか〕別に娑婆有るに非ず」云云。】
寂光土の外に別に娑婆世界があるのではない」とも、

【又云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、】
また「実相は、必ず諸法であり、諸法は必ず十如である。

【十如は必ず十界、十界は必ず身土〔しんど〕なり」云云。】
十如は、必ず十界であり、十界は、必ず身土である」とも述べています。

【法華経に云はく「諸法実相乃至本末究竟等」云云。】
法華経方便品には「諸法実相乃至本末究竟等」とあり、

【寿量品に云はく「我実に成仏してより已来〔このかた〕無量無辺なり」等云云。】
また寿量品には「我れ実に成仏してより已来、無量無辺である」とあります。

【此の経文に我と申すは十界なり。】
この経文に我とあるのは、十界のことです。

【十界本有〔ほんぬ〕の仏なれば浄土に住するなり。】
十界は、本有の仏であるから浄土に住むのです。

【方便品に云はく「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云。】
法華経方便品には「是の法は、法位に住して世間の相、常住である」とあります。

【世間のならひとして三世常恒〔じょうごう〕の相なれば】
世間の習いとして、三世常恒〔じょうごう〕の相であるから

【なげ〔嘆〕くべきにあらず、をどろ〔驚〕くべきにあらず。】
これを嘆くべきではないし、驚くべきでもありません。

【相の一字は八相〔はっそう〕なり、八相も生死の二字をいでず。】
相の一字は、釈迦一代の八つの相であり、その八相も生死の二字を出ないのです。

【か〔斯〕くさと〔悟〕るを法華経の行者の即身成仏と申すなり。】
このように悟ることを、法華経の行者の即身成仏と言うのです。

【故聖霊〔しょうりょう〕は此の経の行者なれば即身成仏疑ひなし。】
故聖霊は、法華経の行者であったので、即身成仏は疑いありません。

【さのみなげき給ふべからず。】
ですから、それほど嘆かれることはないのです。

【又なげき給ふべきが凡夫のことわりなり。】
しかし、また、それでも嘆かれるのが凡夫の当然の道理でしょう。

【ただし聖人の上にもこれあるなり。】
しかし聖人にも、これはあるのです。

【釈迦仏御入滅のとき、諸大弟子等のさとりのなげき、】
釈迦牟尼仏が御入滅されたときの多くの大弟子達の嘆きは、

【凡夫のふ〔振〕るま〔舞〕ひを示し給ふか。】
この凡夫の振る舞いを示されたものでしょうか。

【いかにもいかにも追善供養を心のをよ〔及〕ぶほどはげみ給ふべし。】
何度でも、追善供養を心がおよぶ限り、励まれることがよいでしょう。

【古徳のことばにも、心地を九識にもち、】
仏教説話の沙石集〔させきしゅう〕の中で「心持ちは、九識の清浄心におき、

【修行をば六識にせよとをし〔教〕へ給ふ。】
修行は、眼耳鼻舌身意の六識とせよ」と教えられていますが、

【ことわりにもや候らん。】
これも、いかにも道理なのです。

【此の文には日蓮が秘蔵の法門か〔書〕きて候ぞ。】
この手紙には、日蓮の秘蔵の法門を記しておきました。

【秘しさせ給へ、秘しさせ給へ。あなかしこ、あなかしこ。】
心して内密にしてください。恐れながら申し上げます。

【七月十一日   日蓮花押】
7月11日   日蓮花押

【上野殿後家尼御前御返事】
上野殿後家尼御前御返事


ページのトップへ戻る