日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 15 南条殿御返事(大橋太郎書)

【南条殿御返事 建治二年閏三月二四日 五五歳】
南条殿御返事 建治2年3月24日 55歳御作


【かたびら〔帷〕一、しを〔塩〕いちだ〔一駄〕、】
帷〔かたびら〕一領、塩一駄、

【あぶら〔油〕五そう〔升〕給び候ひ了んぬ。】
油五升、確かに頂きました。

【ころも〔衣〕はかん〔寒〕をふせ〔防〕ぎ、又ねつ〔熱〕をふせぐ。】
衣は、寒さを防ぎ、また暑さを防ぎ、

【み〔身〕をかく〔隠〕し、み〔身〕をかざる。】
身を隠し、また、その身を飾るものです。

【法華経の第七やくわうほん〔薬王品〕に云はく】
法華経、第七の巻、薬王品には、

【「如裸者得衣〔にょらしゃとくえ〕」等云云。】
「裸の者が衣を得たるが如し」と説かれています。

【心ははだか〔裸〕なるもの〔者〕ゝころも〔衣〕をへ〔得〕たるがごとし。】
この意味は、法華経を得る事は、裸の者が衣を得たようなものであると云うことで、

【もん〔文〕の心はうれ〔嬉〕しき事をと〔説〕かれて候。】
その文章の心は、法華経を得る、その嬉しさを顕したものなのです。

【ふほう〔付法〕ざう〔蔵〕の人のなかに】
付法蔵〔ふほうぞう〕の人の中に、

【商那和衆〔しょうなわしゅ〕と申す人あり。】
商那和衆〔しょうなわしゅ〕と言う人がいました。

【衣をき〔着〕てむ〔生〕まれさせ給ふ。】
その人は、衣を着て、生まれてこられたのです。

【これは先生〔せんじょう〕に仏法にころも〔衣〕をくやう〔供養〕せし人なり。】
それは、前世において、仏法に衣を供養したからなのです。

【されば法華経に云はく「柔和〔にゅうわ〕忍辱〔にんにく〕衣〔え〕」等云云。】
それゆえ、法華経には、柔和で忍耐の衣と説かれています。

【こんろん〔崑崙〕山には石なし。】
崑崙〔こんろん〕山には、珠ばかりあって、石がありません。

【みのぶ〔身延〕のたけ〔嶽〕にはしを〔塩〕な〔無〕し。】
身延の嶽には、塩がありません。

【石なきところには、たま〔玉〕よりもいし〔石〕すぐ〔勝〕れたり。】
石のないところでは、珠よりも石の方が優れ、

【しを〔塩〕な〔無〕きところには、しを〔塩〕こめ〔米〕にもすぐれて候。】
塩のないところでは、塩は、米よりも優れているのです。

【国王のたから〔宝〕は左右の大臣なり、】
国王の宝は、左右の優秀な大臣です。

【左右の大臣をば塩梅〔えんばい〕と申す。】
その為に、左右の大臣のことを塩梅〔えんばい〕と言います。

【みそ〔味噌〕・しを〔塩〕なければ、よ〔世〕わたりがたし。】
味噌、塩がなければ、生きていくことは、難しく、

【左右の臣なければ国をさ〔治〕まらず。】
左右の大臣がいなければ、国は、治まりません。

【あぶら〔油〕と申すは涅槃経に云はく】
油と言うのは、涅槃経に

【「風のなかにあぶら〔油〕なし。あぶら〔油〕のなかにかぜ〔風〕なし」と。】
「風の中に油はない。油の中に風はない」と説かれており、

【風をぢ〔治〕する第一のくすりなり。】
風病を治す第一の薬なのです。

【かたがたのもの〔物〕をく〔送〕り給びて候。】
このように様々な品々を送っていただき、

【御心ざしのあらわれて候事申すばかりなし。】
そこに顕れている御志は、とても言葉では、言い尽くす事はできません。

【せん〔詮〕ずるところ〔所〕は、】
それも結局は、

【こ〔故〕なんでう〔南条〕どの〔殿〕ゝ法華経の】
故南条殿の法華経への

【御しんよう〔信用〕のふか〔深〕ゝりし事のあらわるゝか。】
御信用が深かったことが、このように顕れたものでしょうか。

【王の心ざしをば臣の〔宣〕べ、をや〔親〕の心ざしをば子の申しのぶるとは】
王の志を仕えている家臣が述べ、親の志を、その子供が述べるのと同じで、

【これなり、】
心の中の思いが外に現れたのでしょう。

【あわれこ〔故〕との〔殿〕ゝうれ〔嬉〕しとをぼすらん。】
故南条殿は、さぞかし嬉しく思っておられることでしょう。

【つくし〔筑紫〕にをゝはし〔大橋〕の太郎と申しける大名ありけり。】
昔、筑紫の国に大橋太郎と言う大名がおりました。

【大将どのの御かんき〔勘気〕をかほりて、】
源頼朝〔みなもとのよりとも〕の不興を買って、

【かまくら〔鎌倉〕ゆい〔由比〕のはま〔浜〕、】
鎌倉の由比ヶ浜の

【つち〔土〕のろう〔牢〕にこめられて十二年。】
土牢に十二年の間、押し込められていました。

【め〔囚〕しはじ〔恥〕しめられしとき、つくし〔筑紫〕をうちいでしに、】
この人が、捕まって筑紫の国を出る時に、

【ごぜん〔御前〕にむ〔向〕かひて申せしは、】
夫人に向かって、言うのには、

【ゆみ〔弓〕や〔矢〕とるみ〔身〕となりて、】
弓矢を取る武士の身で、

【きみの御かんき〔勘気〕をかほらんことはなげ〔嘆〕きならず。】
主君の不興を買って、そのことを嘆くことはないが、

【又ごぜん〔御前〕にをさな〔幼〕くよりな〔馴〕れしが、】
夫人とは、幼い頃より、仲良く暮らして来たのに、

【いまはな〔離〕れん事いうばかりなし。これはさてをきぬ。】
今、離れなければならないことは、言い様もなく辛く、その事は、さておいても、

【なんし〔男子〕にてもにょし〔女子〕にても、】
男の子も女の子も、

【一人なき事なげ〔嘆〕きなり。】
子供が一人も、ないことが、残念である。

【たゞしくわ〔懐〕いにん〔妊〕のよしかたらせ給ふ。】
しかしながら、夫人は、現在、子供を宿している。

【をうなご〔女子〕にてやあらんずらん、をのこゞ〔男子〕にてや候はんずらん。】
女の子であろうか、男の子であろうか、

【ゆくへをみざらん事くちをし、】
その行く末を見届けることが出来ないのは、実に残念なことである。

【又かれが人となりて、ちゝ〔父〕というものもな〔無〕からんなげき、】
その子が成長して、父がいなければ、さぞかし歎くであろう。

【いかゞせんとをも〔思〕へども】
何とかしようと思うけれども、

【力及ばずとてい〔出〕でにき。】
どうすることもできないと言って、筑紫の国を出発したのでした。

【かくて月ひ〔日〕すぐれば、ことゆへなく生まれにき。】
やがて、月日が過ぎて、無事に生まれたのは、

【をのこゞ〔男子〕にてありけり。】
男の子でした。

【七才のとし〔年〕やまでら〔山寺〕にのぼりてありければ、】
七歳の年に、山寺に登ぼったのですが、

【ともどち〔友達〕なりけるちごども〔児共〕、】
友達となった子供達は、

【をや〔親〕な〔無〕しとわら〔笑〕ひけり。】
その子に対して、親なし子と笑ったので、

【いへ〔家〕にかへりてはゝ〔母〕にちゝ〔父〕をたづねけり。】
それで、その子は、家に帰って、母親に父のことを尋ねたのです。

【はゝ〔母〕の〔宣〕ぶるかたな〔無〕くして、】
母は、子細を話すことが出来ずに、

【な〔泣〕くより外のことなし。】
泣くより外に仕方がなかったのですが、

【此のちご〔児〕申す、天なくしては雨ふらず、】
その子は、天がなければ、雨は降らない。

【地なくしてはくさ〔草〕をいず。】
地がなければ、草は生えない。

【たとい母ありとも、ちゝ〔父〕なくばひと〔人〕ゝなるべからず。】
たとえ母親がいても、父親がいなければ、子供は、生まれないと言って、

【いかに父のありどころ〔所〕をばかく〔隠〕し給ふぞとせ〔責〕めしかば、】
どうして父上の居る所を隠されるのですかと、

【母せめられて云はく、わちご〔和児〕をさな〔幼〕ければ申さぬなり。】
母親を問い詰めたので、あなたが幼かったので言わなかったのです。

【ありやう〔有様〕はかうなり。此のちご〔児〕な〔泣〕くなく申すやう、】
事情は、こうですと話して聞かせたのです。その子供は、泣く泣く、

【さてちゝ〔父〕のかたみ〔遺物〕はな〔無〕きかと申せしかば、】
それでは、父の形見は、ないのでしょうかと尋ねました。

【これありとて、をゝはし〔大橋〕のせんぞ〔先祖〕の日記、】
母親は、これがありますと言って、大橋の先祖の日記と、

【なら〔並〕びにはら〔腹〕の内なる子にゆづれる自筆の状なり。】
御腹の中にいた子供に書き送った父親の自筆の書状を取り出したのです。

【いよいよをや〔親〕こひ〔恋〕しくて、な〔泣〕くより外の事なし。】
それを聞いて、子供は、ますます父親が恋しくなって、泣いて、

【さていかゞせんといゐしかば、】
それでは、いったい、これから、どうしたら良いのでしょうかと尋ねました。

【これより郎従〔ろうじゅう〕あまたとも〔伴〕せしかども、】
母親は、家来の者も数多く居たけれども、

【御かんき〔勘気〕をかほりければみなち〔散〕りう〔失〕せぬ。】
主人が不興を買ったので、皆、散り失せてしまいました。

【そののち〔後〕はい〔生〕きてや、又し〔死〕にてや、】
その後は、父上が生きておられるのか、また、死んでおられるのか、

【をと〔音〕づる〔信〕ゝ人なしとかた〔語〕りければ、】
様子を知らせてくれる人もいませんと語ったので、

【ふ〔伏〕しころ〔転〕びな〔泣〕きて、】
子供は、身体を伏して、嘆き悲しみ、

【いさ〔諫〕むるをももち〔用〕ゐざりけり。】
母親が、声をかけ慰めても、言うことを聞かなったのです。

【はゝ〔母〕いわく、をのれ〔己〕をやまでら〔山寺〕にのぼ〔登〕する事は、】
それに母親は、あなたを山寺に登らせたのは、

【をや〔親〕のけうやう〔孝養〕のためなり。】
父上への孝養の為なのです。

【仏に花をもまいらせよ、経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかば、】
仏前に花を捧げ、経を一巻なりとも読んで孝養をしなさいと諭したので、

【いそ〔急〕ぎ寺にのぼりていえ〔家〕えかへ〔帰〕る心なし。】
子供は、心新たに、急ぎ寺に登り、その後は、家に帰る心を起こさなかったのです。

【昼夜に法華経をよ〔読〕みしかば、よみわたりけるのみならず、】
それで、昼も夜も法華経を読んだので、読み通せるようになっただけでなく、

【そら〔諳〕にをぼ〔覚〕へてありけり。】
そらに覚えるほどになりました。

【さて十二のとし〔年〕、出家もせずしてかみ〔髪〕をつゝみ、】
やがて、十二の年に出家をしないで、髪をつつみ、

【とかくしてつくし〔筑紫〕をに〔逃〕げい〔出〕でて、】
どうにかして、筑紫の国を逃げ出して、

【かまくら〔鎌倉〕と申すところへたづねいりぬ。】
鎌倉と言うところへ着いたのです。

【八幡の御前にまいりてふ〔伏〕しをが〔拝〕み申しけるは、】
鶴岡八幡宮の御前に参詣して、伏して拝んで言うのには、

【八幡大菩薩は日本第十六の王、本地〔ほんち〕は霊山〔りょうぜん〕浄土、】
八幡大菩薩は、日本第十六の王、本地は、霊山浄土において、

【法華経をとかせ給ひし教主釈尊なり。】
法華経をお説きになった教主釈尊である。

【衆生のねがいをみ〔満〕て給はんがために神とあらわれさせ給ふ。】
衆生の願いを叶えられる為に神となって現れたと聞く。

【今わ〔我〕がねが〔願〕いみ〔満〕てさせ給へ。】
いま、私の願いを叶えてください。

【をや〔親〕は生きて候か、し〔死〕にて候かと申して、】
私の父親は、生きているのでしょうか。死んでいるのでしょうかと言って、

【いぬ〔戌〕の時より法華経をはじめて、】
午後7時より、法華経を読み始めて、

【とら〔寅〕の時までによ〔読〕みければ、】
午前4時まで読み続けたので、

【なに〔何〕となくをさな〔幼〕きこへ〔声〕】
何ともいえぬ、その幼い声は

【ほうでん〔宝殿〕にひゞき〔響〕わたり、こゝろすご〔凄〕かりければ、】
宝殿に響き渡り、心に染みいるようであったので、

【まい〔参〕りてありける人々も、かへ〔帰〕らん事をわす〔忘〕れにき。】
参詣に来ていた人々も、帰ることを忘れてしまうほどでした。

【皆人いち〔市〕のやうにあつ〔集〕まりてみ〔見〕ければ、】
人々が市のように集まって、見れば、

【をさな〔幼〕き人にて法師ともをぼえず、をうな〔女〕にてもなかりけり。】
まだ幼い人で、法師とも思われず、女性でもなかったのです。

【をりしもきゃう〔京〕のにゐ〔二位〕どの御さんけい〔参詣〕ありけり。】
その時、ちょうど京の二位殿が御参詣になっていたのです。

【人め〔目〕をしのばせ給ひてまいり給ひたりけれども、】
人目を忍んで参詣されていたのであるけれども、

【御経のたうと〔尊〕き事つねにもすぐ〔勝〕れたりければ、】
経を読む声の尊いことは、いままでになく優れていたので、

【は〔果〕つるまで御聴聞ありけり。】
読み終わるまで聞き続けられて、

【さてかへ〔帰〕らせ給ひてをはしけるが、】
そして御帰りになったが、

【あまりなごり〔名残〕のを〔惜〕しさに人をつけてをきて、】
あまりに名残りおしいので、人をその場に置いて、

【大将殿へかゝる事ありと申させ給ひければ、】
源頼朝〔よりとも〕に、このような事がありましたと聞かせたので、

【め〔召〕して持仏堂にして御経よませまいらせ給ひけり。】
源頼朝は、その子供を呼ばれて、持仏堂で経を読ませたのです。

【さて次の日、又御聴聞ありければ、西のみかど〔御門〕人さわ〔騒〕ぎけり。】
次の日、また、経を聴聞していると、西の門で人々が騒いだのです。

【いかなる事ぞとき〔聞〕ゝしかば、】
どうしたのかと尋ねると、

【今日はめしうど〔囚人〕のくび〔頸〕き〔切〕らるゝとのゝしりけり。】
今日、囚人が頸を斬られるのだと大声で答えたのでした。

【あわれ、わ〔我〕がをや〔親〕はいままで有るべしとはをも〔思〕わねども、】
その時、その子供は、私の親が今まで生きているとは、思えないけれども、

【さすが人のくび〔頸〕をきらるゝと申せば、】
やはり人が頸を斬られると聞けば、

【我が身のなげきとをも〔思〕ひてなみだ〔涙〕ぐみたりけり。】
まるで自分の父親の身の上に起こったように思われると嘆き、涙ぐんだのです。

【大将殿あやしとごらん〔御覧〕じて、わちご〔和児〕はいかなるものぞ、】
頼朝は、それを不思議に思って、どのような事情があるのかを子供に尋ねたのです。

【ありのまゝに申せとありしかば、上くだん〔件〕の事一々に申しけり。】
ありのままに申せと言われたので子供は、今までの事を包み隠さずに答えたのです。

【を〔御〕さぶら〔侍〕ひにありける大名小名、みす〔御簾〕の内、】
それを聞いて側にいた大名、小名も、御簾〔みす〕の中の女房達も、

【みなそで〔袖〕をしぼ〔絞〕りけり。】
みな感動して涙を流し、袖〔そで〕をしぼったのです。

【大将殿かぢわら〔梶原〕をめしてをほ〔仰〕せありけるは、】
頼朝は、梶原景時を呼び寄せて、

【大はし〔橋〕の太郎というめしうど〔囚人〕まいらせよとありしかば、】
大橋太郎と言う囚人を連れてまいれと仰せになると、

【只今くび〔頸〕きらんとて、ゆい〔由比〕のはま〔浜〕へつかわし候ひぬ。】
梶原は、ただ今、頸を斬るために、由比ヶ浜に連れて行ったところですと答え、

【いまはき〔切〕りてや候らんと申せしかば、】
今は、もう、斬ってしまっているかも知れませんと告げたので、

【このちご〔児〕御まへ〔前〕なりけれども、】
この子供は、御前であったけれども、

【ふ〔伏〕しころびな〔泣〕きあげり。】
あまりのことに泣き声をあげたのです。

【をゝ〔仰〕せのありけるは、かぢわら〔梶原〕われ〔我〕とはし〔走〕りて、】
頼朝は、梶原、自ら走って、

【いまだ切らずばぐ〔具〕してまい〔参〕れとありしかば、】
まだ斬っていなかったら、連れて参れと申しつけたので、

【いそ〔急〕ぎいそぎ、ゆい〔由比〕のはま〔浜〕へは〔馳〕せゆく。】
梶原は、急いで由比ヶ浜へ、駈けつけたのです。

【いまだいた〔致〕らぬによ〔呼〕ばわりければ、】
いまだ行きつかぬうちに大声で叫んで制止したのは、

【すでに頸切らんとて、刀をぬきたりけるとき〔時〕なりけり。】
まさに頸を斬ろうとして、刀を抜いた時でした。

【さてかぢわら〔梶原〕をゝはし〔大橋〕の太郎を、】
それで、梶原は、大橋太郎を

【なわ〔繩〕つけながらぐ〔具〕しまいりて、】
縄のついたまま連れてきて、

【をゝ〔大〕には〔庭〕にひ〔引〕きす〔据〕へたりければ、】
大庭にひきすえて、

【大将殿このちご〔児〕にと〔取〕らせよとありしかば、】
頼朝からの、その者を、この子供に渡せとの、命令があったので、

【ちご〔児〕はしりを〔下〕りて、なわ〔繩〕をときけり。】
子供は、走りよって、縄を解いたのです。

【大はし〔橋〕の太郎はわが子ともし〔知〕らず、】
大橋太郎は、我が子とも知らず、

【いかなる事ゆへにたす〔助〕かるともしらざりけり。さて大将殿又めして、】
どういうわけで助かったのかも知らなかったのですが、頼朝は、

【このちご〔児〕にやうやうの御ふせ〔布施〕た〔給〕びて、】
また、この子供を呼び寄せて、種々の布施を与え、

【をゝはし〔大橋〕の太郎をた〔給〕ぶのみならず、】
大橋太郎を下げ渡されただけではなく、

【本領をも安堵〔あんど〕ありけり。大将殿をほせありけるは、】
本領も元のように下されたのです。頼朝が言うのには、

【法華経の御事は、昔よりさる事とわき〔聞〕ゝつたへたれども、】
法華経の功徳は、昔から様々に伝え聞いていたけれども、

【丸〔まろ〕は身にあたりて二つのゆへあり。】
自分も身に当たることが二つある。

【一つには故親父の御くび〔頸〕を、】
一つは、亡き親父の頸を

【大上〔太政〕入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、】
平清盛に斬られて、無念とも何とも言い様がなかったので、

【いかなる神仏にか申すべきとをも〔思〕いしに、】
いかなる神仏に祈念すべきかと思っていたところ、

【走湯〔いず〕山の妙法尼より法華経をよ〔読〕みつたへ、】
走湯山の妙法尼より法華経を読み習って、

【千部と申せし時、たかを〔高雄〕のもんがく〔文覚〕房、】
千部を読誦した時、高雄の文覚房が、

【をや〔親〕のくび〔頸〕をもて来てみ〔見〕せたりし上、】
父の頸を持って来て見せたうえ、

【かたき〔敵〕を打つのみならず、日本国の武士の大将を給ひてあり。】
仇を打つことが出来ただけでなく、日本国の武士の大将となることができた。

【これひとへ〔偏〕に法華経の御利生なり。】
これは、ひとえに法華経の力である。

【二つにはこのちご〔児〕がをや〔親〕をたすけぬる事不思議なり。】
二つには、この子供が父親を助けた不思議である。

【大橋の太郎というやつ〔奴〕は、頼朝きくわい〔奇怪〕なりとをもう。】
大橋太郎と言う者は、頼朝にとって、非常に危険な怪しい奴と思って、

【たとい勅宣なりともかへ〔返〕し申して、】
たとえ許すようにと天皇の勅宣が下されようとも、それを御返しして、

【くび〔頸〕をき〔切〕りてん。あまりのにく〔憎〕さにこそ、】
首を斬ったであろう。あまりの憎さに、

【十二年まで土のろう〔牢〕には入れてありつるに、かゝる不思議あり。】
十二年間、土牢に入れておいたが、このような不思議なことが起こった。

【されば法華経と申す事はありがたき事なり。】
そうであれば、法華経とは、これほどに有難いものなのだ。

【頼朝は武士の大将にて、多くのつみ〔罪〕つ〔積〕もりてあれども、】
頼朝は、武士の大将として多くの罪が積もっているけれども、

【法華経を信じまいらせて候へば、】
法華経を信じ申し上げているので、

【さりともとこそをも〔思〕へとなみだ〔涙〕ぐみ給ひけり。】
悪道に堕ちることは、ないであろうと思っていると涙ぐみ申されたのです。

【今の御心ざしみ〔見〕候へば、故なんでう〔南条〕どのはたゞ子なれば、】
今の貴殿の御志を見ると、故南条殿は、親子であるから、

【いとを〔愛〕しとわをぼ〔思〕しめしけるらめども、】
いとおしいとは、思われていたであろうが、

【かく法華経をもて我がけうやう〔孝養〕をすべしとは】
このように法華経をもって自分の孝養をしてくれるだろうとは、

【よもをぼ〔思〕したらじ。】
よもや思われなかったでしょう。

【たとひつみ〔罪〕ありて、いかなるところにをはすとも、】
たとえ、罪があって、どのような場所に居られようとも、

【この御けうやう〔孝養〕の心ざしをば、】
この親孝行の志を、

【えんまほうわう〔閻魔法王〕・ぼんてん〔梵天〕・】
閻魔法王も、梵天、

【たひしゃく〔帝釈〕までもしろしめしぬらん。】
帝釈天までも知っておられることでしょう。

【釈迦仏・法華経もいかでかすてさせ給ふべき。】
釈迦牟尼仏、法華経も、どうして捨てられることがあるでしょうか。

【か〔彼〕のちごのちゝ〔父〕のをなわ〔緒縄〕をときしと、】
この子供が父親の縄を解いたことと、

【この御心ざしかれにたがわず。】
あなたの御志とは、少しも違うものではないのです。

【これはなみだ〔涙〕をもちてかきて候なり。】
この返書は、涙を浮かべて書いているのです。

【又むくり〔蒙古〕のを〔起〕これるよし、これにはいまだうけ給はらず。】
また、蒙古が攻めて来ると言うことは、こちらでは、まだ、うかがっていません。

【これを申せば、日蓮房はむくり〔蒙古〕国の】
蒙古のことを言うと「日蓮房は、蒙古国が

【わたるといへばよろこぶと申す。】
攻めて来ると言えば喜ぶ」と噂されているようですが、

【これゆわれ〔所以〕なき事なり。かゝる事あるべしと申せしかば、】
それは、いわれのないことです。このようなことが、あるであろうと言ったので、

【あだ〔仇〕かたき〔敵〕と人ごとにせめしが、】
仇〔あだ〕、敵〔かたき〕のように人々は、日蓮を責めたのですが、

【経文かぎりあれば来たるなり。】
経文に説かれている通りに攻めて来るのです。

【いかにい〔云〕うともかな〔叶〕うまじき事なり。】
どのように責められようとも、致し方ないことなのです。

【失もなくして国をたすけんと申せし者を用ひてこそあらざらめ。】
何の罪もない、ただ国を助けたいと言う者を用いようとしないばかりか、

【又法華経の第五の巻をもて日蓮がおもて〔面〕をうちしなり。】
法華経の第五の巻をもって、日蓮の顔を打ったのです。

【梵天・帝釈是を御覧ありき。鎌倉の八幡大菩薩も見させ給ひき。】
梵天、帝釈は、これを御覧になっていたし、鎌倉の八幡大菩薩も見られていました。

【いかにも今は叶ふまじき世にて候へば、】
何をどうしても、今は、諌めを聞き入れられない世であるから、

【かゝる山中にも入りぬるなり。】
このような山の中に入ったのです。

【各々も不便とは思へども、助けがたくやあらんずらん。】
人々のことを不憫とは、思うけれども、助かることは、難しいでしょう。

【よるひる〔夜昼〕法華経に申し候なり。】
しかし、昼夜に法華経に祈念しております。

【御信用の上にも力もを〔惜〕しまず申させ給へ。】
あなたも御信用の上、力を惜しまずに祈念してください。

【あえてこれよりの心ざしのゆわ〔弱〕きにはあらず。】
あえて言えば、人々が助からないのは、こちらの志が弱い為ではないのです。

【各々の御信心のあつ〔厚〕くうす〔薄〕きにて候べし。】
各々の信心の厚薄によるのです。

【たいし〔大旨〕は日本国のよき人々は一定いけどりにぞなり候はんずらん。】
結局は、日本の身分の高い人々は、必ずや生け捕りになることでしょう。

【あらあさましや、あらあさましや。恐々謹言。】
まことに浅ましい事です。恐れながら謹んで申し上げます。

【後〔のちの〕三月廿四日   日蓮花押】
後3月24日   日蓮花押

【南条殿御返事】
南条殿御返事


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