日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 12 上野殿御消息(本門取要抄)

【上野殿御消息 建治元年 五四歳】
上野殿御消息 建治元年 54歳御作


【三世の諸仏の世に出でさせ給ひても、皆々四恩を報ぜよと説き、】
三世の諸仏が世に出現して、すべての人々が四恩を報ずるようにと説かれ、

【三皇・五帝・孔子・老子・顔回〔がんかい〕等の】
三皇、五帝、孔子、老子、顔回〔がんかい〕などの

【古の賢人は四徳を修せよとなり。】
昔の賢人は、四徳を修めるようにと教えられています。

【四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、】
四徳とは、一に父母に孝行、二に主君に忠義、

【三には友に合って礼あるべし、四には劣れるに逢ふて慈悲あれとなり。】
三に友には、礼義を尽くし、四には、劣る者には、慈悲深くあれと言う事なのです。

【一に父母に孝あれとは、たとひ親はものに覚えずとも、】
一に父母に孝行とは、たとえ、親が道理を理解しなくても、

【悪〔あ〕しざまなる事を云ふとも、】
また、悪意をもって何かを言うような事があっても、

【聊〔いささか〕も腹も立てず、誤る顔を見せず、】
少しも腹を立てたり、気分を害した顔を見せることなく、

【親の云ふ事に一分も違へず、親によき物を与へんと思ひて、】
親の言う事に少しも逆らうことなく、親に良い物を与えようと思い、

【せめてやる事なくば一日に二三度えみ〔笑〕て向かへとなり。】
せめて、何も出来ない時には、日に二、三度は、笑顔を見せる事なのです。

【二に主に合ふて忠あるべしとは、いさゝかも主に】
二に主君に忠義と言うのは、主君に対して少しも

【うしろ〔後〕めたなき心あるべからず。たとひ我が身は失なはるとも、】
後めたい心があってはならず、たとえ我が身を失うような事があったとしても、

【主にはかま〔構〕へてよ〔善〕かれと思ふべし。】
主君の為になれば良いと、心がけなければ、ならないと言う事です。

【かく〔隠〕れての信あれば、あらはれての】
すぐには、わからなくても、信じていれば、いつか外に現れて

【徳あるなりと云云。】
人徳があると言われるのです。

【三には友にあふて礼あれとは、】
三に友には、礼義を尽くしと言うことは、

【友達の一日に十度二十度来たれる人なりとも、】
一日に十度も二十度も訪ねて来る友達であったとしても、

【千里二千里来たれる人の如く思ふて、】
千里、二千里の遠方から訪ねて来た人のように思って、

【礼儀いさゝかを〔疎〕ろか〔略〕に思ふべからず。】
少しも礼儀を欠くような事があっては、ならないと言う事です。

【四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば】
四には劣る者には、慈悲深くあれと言うのは、自分より弱い人には

【我が子の如く思ひて一切あはれみ慈悲あるべし。】
我が子のように思って、すべてを憐れむべきであると言うことです。

【此を四徳と云ふなり。是くの如く振る舞ふを賢人とも聖人とも云ふべし。】
これを四徳と言うのです。このように振る舞う人を賢人とも聖人とも言うのです。

【此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者なり。】
この四徳があれば、他の事は良くなくても良き人なのです。

【是くの如く四の徳を振る舞ふ人は、外典〔げてん〕三千巻をよまねども、】
このように四徳を行う人は、外典三千巻を読まなくても、

【読みたる人となれり。】
読んだ人となるのです。

【仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、】
次に仏教の四恩とは、一には、父母の恩を報ぜよ、二には、国主の恩を報ぜよ、

【三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。】
三には、一切衆生の恩を報ぜよ、四には、三宝の恩を報ぜよと言うことです。

【一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧〔てい〕和合して我が身となる。】
一に父母の恩を報ぜよと言うのは、父母の赤白二渧が和合して我が身となり、

【母の胎内に宿る事、二百七十日九月の間、三十七度死ぬるほどの苦みあり。】
母の胎内に二百七十日宿り、母は九ヵ月の間、三十七回、死ぬほどの苦しみがあり、

【生み落とす時、たへがたしと思ひ念ずる息、】
生み落とす時の苦痛は、とても耐え難いと思うほどで、息が荒く、

【頂〔いただき〕より出づる煙〔けむり〕梵天〔ぼんてん〕に至る。】
頭から出る湯気は、梵天にまで届くほどですが、

【さて生み落とされて乳をのむ事一百八十余石。】
さらに、生み落とされて飲む乳は、一百八十余石、

【三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、】
三年間は、父母の膝下に遊び、成人して仏教を信ずるようになれば、

【先づ此の父と母との恩を報ずべし。】
まず、この父と母との恩を報ずべきなのです。

【父の恩の高き事須弥山〔しゅみせん〕も猶〔なお〕ひきし。】
父の恩の高きことは、須弥山さえも、なお低いほどであり、

【母の恩の深き事大海還って浅し。】
母の恩の深いことは、大海をもってしても、まだ浅いほどなのです。

【相構へて父母の恩を報ずべし。
心して、この父母の恩を報ずべきです。

【二に国主の恩を報ぜよとは、】
二に国主の恩を報ぜよとは、

【生まれて已来〔このかた〕衣食のたぐひより始めて】
生れて以来、衣食全般を始めとして、

【皆是国主の恩を得てある者なれば、】
すべて、国主の恩を受けているのですから、

【現世安穏〔げんぜあんのん〕後生善処〔ごしょうぜんしょ〕と祈り奉るべし。】
国主に対して、現世安穏、後生善処と祈念し奉るべきなのです。

【三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は】
三に一切衆生の恩を報ぜよとは、過去においては、

【一切の男は父なり女は母なり。】
すべての男は、父であり、すべての女は、母なのです。

【然る間生々世々に皆恩ある衆生なれば】
こうして、生々世々に、すべて、恩がある衆生ですから、

【皆仏になれと思ふべきなり。】
一切衆生が成仏するようにと願うべきなのです。

【四に三宝の恩を報ぜよとは、最初成道の華厳経を尋ぬれば、】
四に三宝の恩を報ぜよとは、最初に説かれた華厳経について尋ねてみれば、

【経も大乗、仏も報身如来にて坐〔ましま〕す間、】
経文も大乗経、仏も報身如来であったので、

【二乗等は昼の梟〔ふくろう〕、夜の鷹の如くして、】
二乗などは、昼のふくろう、夜の鷹のように、

【かれを聞くといへども耳しゐ目しゐの如し。】
華厳の法門を聴聞しても、目や耳が不自由な者、同然であったのです。

【然る間、四恩を報ずべきかと思ふに、】
しかも、これで四恩を報ずることが出来るかと思うと、

【女人をきらはれたる間母の恩報じがたし。】
女性は、成仏できないと言われ、母の恩を報ずる事さえ難しいのです。

【次に仏、阿含小乗経を説き給ひし事十二年、】
次に釈尊は、十二年の間、阿含、小乗経を説かれました。

【是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば、】
これこそ低位者の教えなのですが、それが我々の力量に適しているかと思えば、

【男は五戒、女は十戒、法師は二百五十戒、尼は五百戒を持ちて】
男は、五戒、女は十戒、法師は、二百五十戒、尼僧は、五百戒をたもって

【三千の威儀〔いぎ〕を具すべしと説きたれば、】
三千の威儀を身に具〔そな〕えなければならないと説かれているので、

【末代の我等かなふべしともおぼえねば母の恩報じがたし。】
末代の私たちに適っているとも思えず、母の恩を報ずる事は、難しいのです。

【況んや此の経にもきらはれたり。】
まして、女性の成仏は、この経文においても難しいと嫌われているのです。

【方等〔ほうどう〕・般若〔はんにゃ〕四十余年の経々に皆女人をきらはれたり。】
さらに方等、般若など四十余年の経々でも、皆、女性は、嫌われているのです。

【但し天女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといへども、】
ただ、天女成仏経や観経などに少しばかり、女性の得道の経文があるのですが、

【但名のみ有って実なきなり。】
それでさえ、ただ名のみあって実体がないのです。

【其の上、未顕真実の経なれば如何が有りけん、】
その上、これらは未顕真実の経文ですから、何の力もないのです。

【四十余年の経々に皆女人を嫌はれたり。】
四十余年の経々では、すべての女性は、成仏できないと嫌われており、

【又最後に説き給ひたる涅槃経にも女人を嫌はれたり。】
最後に説かれた涅槃経でも女性は、嫌われているのです。

【何れか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば、】
いずれの経文に、四恩を報ずる経文があるかと尋ねてみると、

【法華経こそ女人の成仏する経なれば八歳の竜女〔りゅうにょ〕成仏し、】
法華経こそ女人成仏が説かれた経文なのです。八歳の竜女は成仏し、

【仏の姨母〔おば〕憍曇弥〔きょうどんみ〕・】
釈尊の叔母の憍曇弥〔きょうどんみ〕や

【耶輸陀羅比丘尼〔やしゅだらびくに〕記莂〔きべつ〕にあづかりぬ。】
耶輸陀羅〔やしゅだら〕比丘尼も成仏の記莂〔きべつ〕を受けているのです。

【されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ。】
したがって私達の母は、女性の身であり、

【畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の竜女だにも仏になる。】
畜生でもなく、蛇身でもなく、八歳の竜女ですら、成仏するのですから、

【如何ぞ此の経の力にて我が母の仏にならざるべき。】
どうして、この法華経の力で自らの母が成仏できないことがあるでしょうか。

【されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。】
それゆえに法華経を持つ人こそ、父と母との恩を報じているのです。

【我が心には報ずると思はねども、】
自分自身の心の中では、恩を報じているとは、思わなくても、

【此の経の力にて報ずるなり。】
この経文の力によって報じているのです。

【然る間釈迦・多宝等の十方無量の仏、上行地涌〔じゆ〕等の菩薩も、】
それゆえに釈迦、多宝などの十方、無量の仏、上行地涌などの菩薩、

【普賢〔ふげん〕・文殊〔もんじゅ〕等の迹化〔しゃっけ〕の大士も、】
普賢菩薩、文殊菩薩などの迹化の大士、

【舎利弗等の諸大声聞〔だいしょうもん〕も、大梵天王・日月等の明主諸天も、】
舎利弗などの諸大声聞も、また大梵天王、日月などの諸天も、

【八部王も、十羅刹女〔らせつにょ〕等も、日本国中の大小の諸神も、】
八部王も十羅刹女なども日本国中の大小の諸神も、

【総じて此の法華経を強く信じまいらせて、】
すべて、この法華経を強盛に信じて、

【余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり。】
余念なく一筋に信仰する人を、影が身にそうように守護されるのです。

【相構へて相構へて、心を翻〔ひるが〕へさず一筋に信じ給ふならば、】
しっかりと、心をひるがえさずに一筋に信じるならば、

【現世安穏後生善処なるべし。恐々謹言。】
現世安穏・後生善処は、間違いないのです。恐れながら謹んで申し上げます。

【日蓮花押】
日蓮花押

【上野殿】
上野殿


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