日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


南条時光御息文 08 上野殿御返事

【上野殿御返事 建治元年五月三日 五四歳】
上野殿御返事 建治元年5月3日 54歳御作


【さつき〔五月〕の二日にいも〔芋〕のかしら〔頭〕いし〔石〕のやうに】
5月2日に里芋の茎〔くき〕、石のように

【ほ〔干〕されて候を一駄、ふじ〔富士〕のうえの〔上野〕より】
干されたものを一駄、富士の上野から

【みのぶ〔身延〕の山へをくり給〔た〕びて候。】
身延の山へ送って頂きました。

【仏の御弟子にあなりち〔阿那律〕と申せし人は、】
仏の弟子の中の阿那律〔あなりつ〕と言う人は、

【天眼〔てんげん〕第一のあなりちとて、十人の御弟子のその一〔ひとり〕。】
天眼第一と言って、十大弟子の一人で、

【迦葉〔かしょう〕・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり。】
迦葉、舎利弗、目連、阿難に肩を並べた人です。

【この人のゆらひ〔由来〕をたづ〔尋〕ねみれば、】
この人の由来を尋ねてみると、

【師子頬王〔きょうおう〕と申せし国王の第二の王子に、】
師子頰王〔ししきょうおう〕と言う国王の二番目の王子の、

【こくぼん〔斛飯〕王と申せし人の御子、釈迦如来の】
斛飯王〔こくぼんのう〕と言う人の子供で、釈迦如来の

【いとこ〔従弟〕にておはしましき。この人の御名三つ候。】
従妹〔いとこ〕にあたります。この人の名前は、三つあり、

【一には無貧〔むひん〕、二には如意〔にょい〕、】
一には、無貧〔むひん〕と言い、二には、如意〔にょい〕と言い、

【三にはむれう〔無猟〕と申す。】
三には、無猟〔むりょう〕と言います。

【一々にふしぎの事候。昔う〔飢〕えたるよ〔世〕に、】
その一つ一つの名前に不思議な事があります。昔、飢饉〔ききん〕の世に、

【りだ〔利吨〕そんじゃ〔尊者〕と申せし】
利吨尊者〔りだそんじゃ〕と言う

【たうと〔尊〕き辟支仏〔びゃくしぶつ〕ありき。】
尊い辟支仏がいました。

【うえたるよ〔世〕に七日とき〔斎〕もならざりけるが、】
この辟支仏は、飢饉〔ききん〕の世の中で七日間も食事が出来ないでいましたが、

【山里にれうし〔猟師〕の御器〔ごき〕に入れて候ひける】
山里で猟師が器に入れていた

【ひえ〔稗〕のはん〔飯〕をこ〔乞〕ひてならせ給ふ。】
稗〔ひえ〕の飯〔めし〕を乞うて食べさせてもらったのです。

【このゆへにこのれうし現在には長者となり、のち九十一劫が間、】
この故に、この猟師は、現在では、長者となり、そののち、九十一劫の間、

【人中天上にたのしみをうけて、】
人界、天上界の楽しみを受けて、

【今最後にこくぼん王の太子とむ〔生〕まれさせ給ふ。】
最後に斛飯王〔こくぼんのう〕の皇子となって生まれたのです。

【金〔こがね〕のごき〔御器〕にはん〔飯〕】
金の器の中の飯は、

【とこ〔永〕しな〔久〕へにた〔絶〕えせず、あらかん〔阿羅漢〕とならせ給ふ。】
常に絶えることなく、最終的には、阿羅漢となりました。

【御眼に三千大千世界を一時に御らんありていみじくをはせしが、】
一眼で三千大千世界を、すべて見えるほど立派になって、

【法華経第四の巻にして普明〔ふみょう〕如来と成るべきよし】
法華経第四の巻で普明〔ふみょう〕如来に成ると

【仏に仰せをかほらせ給ひき。妙楽大師此の事を釈して云はく】
仏に言われたのです。妙楽大師は、この事を解釈して

【「稗飯〔ひはん〕軽しと雖も所有を尽くし】
「稗〔ひえ〕の飯は、大した物ではないけれども、有るものをすべて差し上げ、

【及び田勝るゝを以ての故に】
さらに、それを受け取る田である辟支仏が、非常に優れていた故に、

【故〔ことさら〕に勝報を得る」と云云。】
特別に優れた報いを得たのである」と述べられました。

【釈の心、かろ〔軽〕きひえのはん〔飯〕なれども、】
この解釈の意味は、大した物ではない稗〔ひえ〕の飯ではあっても、

【此〔これ〕よりほかにはも〔持〕たざりしを、】
これ以外に何も持っていなかった中で、

【たうと〔尊〕き人のう〔飢〕えておはせしにまい〔進〕らせてありしゆへに、】
そのすべてを、尊い人が飢えていたときに差し上げたので、

【かゝるめでたき人となれりと云云。】
このような素晴らしい人になったと言うことなのです。

【此の身のぶ〔延〕のさわ〔沢〕は石なんどはおほく候。】
この身延の沢には、石などは多くありますが、

【されどもかゝるものなし。】
しかし、この物語にあるような稗の飯などは、ありません。

【その上夏のころなれば民のいとま〔暇〕も候はじ。】
その上、夏なので、上野殿の領民も忙しく時間もない事でしょう。

【又御造営と申し、さこそ候らんに、】
また、命じられた御造営の事で、多忙であるのに、

【山里の事ををも〔思〕ひやらせ給ひてをく〔送〕りたびて候。】
山里の事を思いやられて、このように食べ物を送って頂いたのです。

【所詮はわ〔我〕がをや〔親〕のわかれのを〔惜〕しさに、】
しかし、結局は、自らの親との別れを嘆き悲しまれて、

【父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給ふにや、】
父親の追善の為に釈迦牟尼仏、法華経へ差し上げられたのでしょうか。

【孝養の御心か。さる事なくば、梵王・帝釈・日月・四天その人の家を】
親を想う心でしょうか。そうでなければ、梵王、帝釈、日月、四天が、その人の家を

【すみか〔栖〕とせんとちか〔誓〕はせ給ひて候。】
住み家にしようと誓われたのです。

【いふにかひなきものなれども、約束と申す事はたが〔違〕へぬ事にて候に、】
つまらない事でも、約束であれば、守るのが当たり前ですから、

【さりともこの人々はいかでか仏前の御約束をばたがへさせ給ふべき。】
この人々がどうして、仏前の約束を守らない事があるでしょうか。

【もし此の事まことになり候はゞ、】
もし、この約束が現実になれば、

【わが大事とおもはん人々のせいし〔制止〕候。】
上野殿が大事に思う人々に日蓮への供養を制止され、

【又おほ〔大〕きなる難来たるべし。】
また、大きな難が来るのです。

【その時すでに此の事かなうべきにやとおぼ〔思〕しめ〔食〕して、】
その時は、すでに、この事が叶うに違いないと思って、

【いよいよ強盛なるべし。】
いよいよ、強く盛んに信じてください。

【さるほどならば聖霊仏になり給ふべし。】
そうであれば、聖霊は、必ず成仏される事でしょう。

【成り給ふならば来たりてまぼ〔守〕り給ふべし。】
そして成仏されたならば、必ず、来られて守護されることでしょう。

【其の時一切は心にまか〔任〕せんずるなり。】
その時は、すべて、思うようになるのです。

【かへすがへす人のせいし〔制止〕あらば心にうれしくおぼすべし。】
くれぐれも、親しい人が、供養を制止すれば、それを嬉しく思ってください。

【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。

【五月三日   日蓮花押】
5月3日   日蓮花押

【上野殿御返事】
上野殿御返事


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